【義手と義足の昭和史】義足の中にお札がザクザク(S24.1.15)

義手と義足の昭和史」は今回から戦後編となる。
戦後の焼け跡から立ち上がった混乱期、人々は生きるのに懸命であった。

地下鉄も銀座線しかなかった時代で、都内には都電が網の目のように走っていた。
その中でも栄えある第1系統は上野駅から日本橋や銀座を通って品川まで走っていた。
その様子が東京都交通局によってyoutubeで見ることができる。

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【義手と義足の昭和史】巡回義肢修理バス(S18.11.16)

昭和18年も後半になると戦況はさらに悪化。
そんな中、11月6日には大東亜会議が行なわれ、大東亜共同宣言が採択される。
参加国は大日本帝国、中華民国(汪兆銘を主班とする南京国民政府)、タイ王国、満州国、フィリピン共和国、ビルマ国。
オブザーバーとして自由インド仮政府。
要は死に体になった日本という番長が「お、お、俺らずっと友達だよな?な?」ということである。

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【義手と義足の昭和史】傷痍軍人に嫁いで支えてあげましょう。そのために皇族は和歌も詠む(S18.8.21)

コロナ対策で個人商店の休業が奨励されている。
これに対し1日50万円、最大400万円の休業保証金が用意されていると言うが、さてどれほどの慰めになることやらで・・・
いや、税収に限りがあるのは分かるんだけど。

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【義手と義足の昭和史】堀江六人斬りから18年、両腕を失った妻吉のその後(T12.4.23)

明治38年6月22日「堀江六人斬り」で17歳の芸妓「妻吉」が発狂した主人に斬られ両腕を失って18年後の記事を紹介したい。
ちなみに、拙ブログのヘッダ画像もまたこの「堀江六人斬り」を報じた新聞記事である。

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【義手と義足の昭和史】科学の手足で返り咲き 〜昭和16年の「日本スゴイ」(S16.4.5)

「ぜいたくは敵だ」は昭和12年9月の国民精神総動員以降のこと。

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【義手と義足の昭和史】鉄脚部隊は平湯から上高地までをハイキング(S15.9.11)

朝日新聞が保守層・・・というかネトウヨから「反日」だの「アカヒ」だの叩かれるほどのリベラルな報道姿勢は、戦前の翼賛的な紙面の反省からきていると言われる。

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【義手と義足の昭和史】安来節・カッポレ思いのまま(S14.5.1)

大阪府知事がムチャクチャなのは、何も今に始まった事ではない。

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【義手と義足の昭和史】片腕の男の殺人

コロナ禍で「コロナで職失った可愛い子が風俗に流れ込むぞ」と発言したナイナイ岡村隆史が大炎上し、フェミニストからは「自殺するまで追い込むぞ」とまで言われる騒ぎに。

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【義手と義足の昭和史】進駐軍の米兵と義足の紳士(S27.9.25)

昭和27年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効するまでは、国際法上は日本は「独立国」ではなかった。
だからMADE IN JAPANの製品は「MADE IN OCCUPIED JAPAN」と表記しなければいけなかった。

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【義手と義足の昭和史】アメリカの良き時代(昭和30年7月頃)

1950年代のアメリカ。
それは東西冷戦の始まりであるとともに、中産階級の消費文化が花開いた時代でもあり、西側世界の全てがアメリカの豊かさに憧れていた。
日本はまだ高度経済成長の直前で、名実ともに「発展途上国」であった。

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【義手と義足の昭和史】陸軍記念日とスポーツの王座(S14.3.10)

9月に入り、プロ野球もストーブリーグの季節となってきた。

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【義手と義足の昭和史】戦争になれば義肢の記事も増えます(S13.12.23)

北方領土をめぐって「戦争しないとどうしようもなくないですか」という発言で、あの維新すら離党クビになった丸山穂高はその後、NHKから国民を守る党というゴロンボ集団の党首に拾われたが、プロフィールに「N国」とは書いていない模様。一応、N国所属というのは恥ずかしいという自覚だけはあるようである。

その丸山穂高であるが、またぞろやらかしよった。
「竹島も戦争で取り返すしかないんじゃないですか?」

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