【義手と義足の昭和史】安来節・カッポレ思いのまま(S14.5.1)

大阪府知事がムチャクチャなのは、何も今に始まった事ではない。

維新が大阪府政を牛耳る前、横山ノックが知事だったことがあった。

結局セクハラ事件、いや性犯罪を起こして知事の座を追われたのであるが、テレビで復活しようとした際もブーイングが起こり中止になったほどである。
その時に横山ノックが発した悲壮な一言は「どじょうすくいでも何でもやります」。

どじょうすくいといえば安来節である。
今回の「義手と義足の昭和史」は、この安来節が話題となる。

昭和14年5月1日の読売新聞では「この贈り物に生活楽し 安来節、カッポレ思いの侭」という見出しの記事がある。

この時期は日中戦争であり、傷痍軍人が次々と出ていた時期でもある。
義足になったからと言って人生が終わった・・・みたいな雰囲気を作っては国民の士気に関わるのは当然のこと。

東京陸軍第一病院では「義肢を付けているという感じを忘れさせる」ということを目標にしているというが、では具体的にどのように技術的な進歩を見たのか、ということについてはこの記事から読み取ることはできない。
技術は進歩していないが訓練でどうにかなる、という精神論に終始している感も否めない。

義足を付けた「白衣の勇士」がカッポレを踊ったので感激した、というだけの「日本スゴイ」系の記事だというだけのことである。

そうかと思えば日中戦争で右腕を失った兵士と、慰問袋を送った娘さんが結婚に至るという美談も掲載されている。

・・・というような義肢関係の記事以上に重要ではないかと思われるのが、その下のニューヨーク万博でテレビの実況に成功したという記事である。
まだ真珠湾攻撃の2年前で、アメリカとは国交のある時期であった。

4月30日にNBCが初めてテレビの本放送を開始したというのである。
テレビは1台400ドルで高価、とのことであるが相場的にどのくらいだったのか。

今、このエントリを書いているのは宮崎旅行の帰りの飛行機の上であり、ネットに繋がらず調べようもないのであった。

 

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