私的devotee史

好みのタイプは手足の無い女性だ」という人を「amputee devotee」というのだそうです。(→「用語集」参照)

子供の頃から「手足のない女性が好き」だなんて、なんて不謹慎で特殊な趣味だろうか、という思いを悶々と抱いていた。

何でこんな趣味になったのか・・・?
Dr.スランプアラレちゃんの首がもげるところ?
近所の洋品店で見たトルソー?

このような衝動を、どのように消化していたかと言えば、自分自身には絵を描く才能が(今なお)無いだけに、漫画やグラビアに出てくる女性の手足を切り落としていた。
あと、地元の模型店にあったガレージキットの手足を切ったりとか。
初めてやったのは、パトレイバーの熊耳武緒の水着バージョンのガレージキットだった。
ガレージキットやフィギュアについてはいずれ項を改めて。

インターネット初期(web1.0時代)

つまり2000年前後のこと。

最初は、海外に手足のない女性の写真(人工的に手足を切り落とした写真。「ES」という)があることを知り、やっぱり同じような趣味があることに気づき、慣れない英語を使って一生懸命探していた頃だった。
そして、日本でも「Menazort!」というページがあり、日本にも同じような趣味があることが分かり、めなぞーるさんはじめ、参加者の方と盛んにその手の話をしていたものである。

そして、オフ会も盛んにやっていた。
まには実際に切断障害のある女神も降臨してくれた。
今にして思えば、devoteeをやっていて一番楽しい時期だったかもしれない。

ただ、あくまで「萌え」に根ざした集まりであり、その「萌え」の対象とは深く長い溝があった。
「萌え」の対象たる当事者のホームページを狩り場として手足を切断した女性を見つけようとする人はいたようである。
この事を、そのホームページ管理人とその周りの人たちも相当に問題視していた節がある。当事者のホームページは少ないながらも数ヵ所あったが、この手のdevoteeの人たちに手を焼く記述が随所に見られた。

自分自身はどうだったか?

devoteeの内輪では自分はまだ若い方だっただけに、年長の方から「早く切断女性と結婚しろ」みたいなことを言われ続けたことに嫌気がさし、また、自分自身も人格的に相当な厨房であり、そのコミュニティは潰えてしまった。

空白の時代

自分にとって2000年代中期というのは、萌えについて語り合う仲間もなく、また、他のことで忙しく、この手の趣味に関しては全くと言っていいほど空白の時代である。

ただ、かつてと違い、PVCフィギュアがどんどん増えてきた時代で、自分で色を塗る必要もなく、また、手足を切り落としても処理が楽だったので、次々にフィギュアを買っては手足を切り落とし・・・ を繰り返してきたという状況。

傍目に見れば鬼気迫る状況だったのかもしれないが、別に実際の切断女性に迷惑を掛けるわけでもないので、これはこれでありなのかな・・・ とは思っていた。

「amputeeキャバレー 切断女の夜」という転機

前述の通り、我々devoteeと、その対象であるところの切断女性の間には深い溝があった。(当たり前かもしれないが)

ただ、中には、理解を示してくれる女性もおり、我々フェチ共の中に降臨してくれる女性もいないわけではなかった。
その中の一人が片山真理ちゃんである。
中学生か高校生だった彼女は、我々フェチに寛容に接してくれた。

そんな彼女が、仲間である数人の切断女性と共に、2011年7月16日にロフトプラスワンで「amputeeキャバレー 切断女の夜」を開催したのである。

インターネット上での最初の反応は「どんなホラー!?」「怖い」というものだった。

しかし、終わってみれば成功したのであった。
同時に、この手の趣味も、風当たりが弱くなったとまでは言わないが「そういう趣味もありなのね」という程度の世間的な認識になったのではないかと思う。

また、当事者であるところの切断女性の間でも「隠すより見せる」という流れが、この「切断女の夜」を契機として出来上がったとと思う。(いわゆる「南千住」系)

そういう意味では「切断女の夜」は、エポックメーキングな出来事だったのではないだろうか。
(ちなみに、当時書いた当方のレポートを再録しました)

ツイッターの始まり

「切断女の夜」が終わってからというもの、いつも使っているツイッターアカウントから独立して、フェチ専用のアカウントを開設することとした。

それが現在の@Venus_Revueである。
(2020.3.15以降、アカウントを「@kippumjo_trs48」に変更し、より「喜び組」としての性格を強めることに)

それなりにフォロワーさんも付いてくれたのだが、このアカウントを使って自分は何がしたかったのか全く分からず、この趣味をやっていて最もつらい時代だったと思う。

また、欠損フィギュアをメインとしたホームページを開設したのだが、何をしたいのか自分でも定かでなく、程なくして閉鎖することに。

一つのジャンルとして認知されゆく時代

いわゆる「南千住系」とは別の流れで、新宿ゴールデン街で手足のない女の子による「欠損バー」が開かれることになった。

やはり、「切断女の夜」同様、得体のしれない何かという反応が主となっていたが、やはり開催してみれば大成功に終わり、現在では告知日から数時間で満席となってしまう大人気イベントである。

ついには、ホリエモンまでが来るという事に(2016年10月)。

また、この時期になると拙ブログが始まっており、意味不明な用語も出てくるので自動リンクで「ジャーゴン」を開設する。

ポスト欠損バーの時代

東京パラリンピックが終わり、欠損バーも終わった。
しかし、義手や義足は「見せる」「魅せる」ことが一つの在り方として浸透するようになったのではないだろうか。

欠損バーの女の子たちも、それぞれの道を歩むこととなる。