【義手と義足の昭和史】陸軍記念日とスポーツの王座(S14.3.10)

9月に入り、プロ野球もストーブリーグの季節となってきた。

今回紹介する記事は、「白衣の勇士」達のスポーツ大会の記事である。

昭和14年3月10日の東京朝日新聞には「義手、義足勇ましく」という見出しの元に、傷痍軍人たちのスポーツ大会が「切断患者」「神経患者」に分けて行われるという記事となっている。

この記事は、その開催の事実と出場者の名前が淡々と出ているだけなので、今回はそれ以外の時代背景的な部分に触れたいと思う。

この面のトップを飾っているのは明治大学の野球部で、新しい主将のもとに練習を開始したというニュースである。
この当時、野球で最も人気があったのは何と言っても六大学野球である。その中でも明治は、昭和12年春から昭和13年秋までの4シーズン連覇をしている黄金時代であった。

ちょうどこの時に法政大学を卒業し、プロ野球の南海軍に入ることになった鶴岡一人は、法政大学のOBから「野球芸人になるとは何事か。法政の恥だからOB名簿から除名しろ」という騒ぎにまでなったのだという。
しかし本人にしてみれば「どうせ兵隊にとられて生きて帰れるか分からないのだから、生きているうちは好きなことをしてやる」という気持ちでプロ入りしたのだという。
同じようなことは巨人軍に入った川上哲治も言っていたという。

また、一番下の広告欄を見ると仁丹の広告があり、3月10日の陸軍記念日を大々的に祝っている。
陸軍記念日は、日露戦争の勝敗を決した奉天の戦いで、帝国陸軍が奉天に入城した明治38年3月10日を記念して制定されたのだという。
で、容器の名前が奮っていて「体育容器」「防共容器」というのだという。
徹底して戦時翼賛体制の会社であった。

 

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