【義手と義足の昭和史】両腕の無い母の元に生まれ、両腕を失った兵士の元へ嫁ぐ(S18.2.19)

第二次世界大戦の戦況は悪化していく。
ガタルカナル島から日本軍が撤退した昭和18年2月のこと。

アメリカ側の映像はこのようになっていた。

このガダルカナル島からの「転進」は、第二次世界大戦の帰趨を決したのではないかと言われているが、それが日本で正直に報道されているはずはない。

日本では相変わらず、戦意高揚のための記事ばかりであった。
今回の記事も、そんな「戦意高揚」を目した記事となっている。

昭和18年2月19日の朝日新聞には、「堀江六人斬り」で両腕を失った大石順教の娘が、やはり戦争で両腕を失った傷痍軍人の元に嫁ぐ、というニュースである。

「堀江六人斬り」のその後については、先日も一つエントリを立てて述べたが、元号が変わり昭和2年になると、夫である山口草平の不倫により離婚のやむなきに至る。

その後、東京で引き続き更紗絵で生計を立てつつ子供を育て、昭和6年には大阪は高安に生活の本拠を移し尼僧を志す。
そして昭和8年には金剛峯寺にて得度し「大石順教」となり、障害者の更生に人生を捧げることとなる。

大正6年に生まれ、27歳となっていた娘はその姿を見ていたのだ。
そして「この融資の伴侶となることが私の使命」と、臨時東京第一陸軍病院に入院する、両腕を失った奄美大島出身の将兵の元に嫁ぐことにしたのだという。

そしてこのことは「戦時美談」として新聞で報道されることとなった。

この時、大石順教は55歳になっていた。

 


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