【義手と義足の昭和史】アメリカの良き時代(昭和30年7月頃)

1950年代のアメリカ。
それは東西冷戦の始まりであるとともに、中産階級の消費文化が花開いた時代でもあり、西側世界の全てがアメリカの豊かさに憧れていた。
日本はまだ高度経済成長の直前で、名実ともに「発展途上国」であった。

そんな「発展途上国」であった日本の姿をよく写真にとどめているのが「岩波写真文庫」という薄い本であり、現在でも大き目の図書館では借りて読むことができる。

例えば能登半島一周の旅の前にも、第133集「能登」と第179集「石川県」を読んでいた。
(2017.1.20「能登半島一周(1日目)」より再掲)

この頃、日本においては手足の切断者の多くの割合が、第二次世界大戦における傷痍軍人であったということは想像に難くない。
事実、戦後すぐに至るまで「義手と義足の昭和史」で取り上げた新聞記事はだいたいが傷痍軍人がらみである。

それは、戦勝国であるアメリカでも同じだったのではないだろうか。
この岩波写真文庫の第191集「アメリカの地方都市」は、昭和30年7月に大型練習船「日本丸」に乗ってアメリカのオレゴン州ポートランドに行った記者が写真に収めたアメリカの街並みである。
その表紙に「OREGON ARTIFICIAL LIMB CO.」というショーウィンドーがあるのだ。

上の方には「BRACES – LIMBS – TRUSSES」と書いてある。
つまり装具・義肢・ヘルニア用鼠径部ストラップを扱っているというのである。

ただ、この本ではショーウィンドーを映してはいるが、肝心の義肢については写っていない。
当時の日本の義肢とどれだけ差があったかは分からないが、当時の日本人がうらやむようなものであったのではないだろうか。

そしてこの当時アメリカ生活の長かった雪氷学者中谷宇吉郎氏ともう1人の女性の対談でアメリカの生活の印象を語っている。

中谷氏は、アメリカ生活の印象を以下のように語っている。

  • 夜に街に出るということが少ないので店も早くに閉じる。
  • アメリカの働き方が日本の働き方より厳しい。日本は天国。
  • 勤め帰りに一杯やるというのもアメリカでは無い。

「Karoshi」が国際語になってしまった今の感覚では意外に思えるのが2項目で「アメリカの働き方の方が日本より厳しい」と言うものである。
発展途上国だった日本はまだまだアメリカよりのどかだったのだろうか。

そういえば先月ベトナムに旅行した時、実業家さんも言っていた。
「日本は給料が高くて豊かです。でも忙しくて大変だった」

ところで、このアメリカに行った日付をもう少し正確に特定できないだろうか。
そう思ってインターネットを当たってみると、ポートランド最大の祭りは「Portland Rose Festival」というのだそうで、毎年6月にやるのだという。

1955年の場合、6月8~12日に行ったようである。
そうすると、7月に行ったというのは間違ってる・・・?

それにしてもよくこのような資料が残っているものである。
さすがはアメリカと舌を巻かざるを得ない。

韓国では昔の新聞をすぐ読むことができ、ベトナムやカンボジアではどのカフェでもWi-Fiがすぐ使えるということを考えると、日本のインターネットはやはり後進国なのではないかと思ってしまうのだ。

ちなみに、件の「OREGON ARTIFICIAL LIMB CO.」は現存する会社のようである。

 

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