朝日新聞が保守層・・・というかネトウヨから「反日」だの「アカヒ」だの叩かれるほどのリベラルな報道姿勢は、戦前の翼賛的な紙面の反省からきていると言われる。
今回の「義手と義足の昭和史」は、そんな時代の朝日新聞系列の「アサヒグラフ」昭和15年9月11日号の誌面から。
傷痍軍人会愛知県支部のうち片脚を失った29名が、奥飛騨越えの遠足に挑んだというニュースである。
奥飛騨の平湯温泉で宿泊し、朝にバスで安房峠の「高度六千尺」の頂上へ行き、上高地までの行軍で鉄脚をアピール。
1キロを18分で歩いたというので平均時速は3.3kmということになる。
これは結構速い。かなり無理をさせたのではないだろうか。
少なくとも、健常者である自分はこのスピードで平地を歩けるかどうかも怪しい。
実はこのルートは以前に決死旅行したことがある。
飛騨高山から東京に行く時、わざわざ高山本線で名古屋に出るまでもなく、この平湯温泉や上高地を経由して松本からスーパーあずさに乗る、という手もある。
しかしこの平湯を通るルートが通年使えるようになるのは戦後もかなり経ってからのこと。
それまでは「雪に閉ざされた秘湯」だったのだ。
昭和30年4月27日の朝日新聞では、高山から平湯へのバスが試運転を開始した旨のニュースが載っている。
それほど高い自然の壁でもあったのだ。