彼女が水着に着替えたら

大丗日おおみそかの平成最後の紅白のトリは、何と昭和最後のバブル期を彩ったユーミンと桑田佳祐のキスで終わるという波乱の幕切れとなりました。

「私をスキーに連れてって」のテーマソングがユーミンなら、「彼女が水着に着替えたら」のテーマソングは桑田佳祐と、バブルを象徴する作品だった。

・・・と言って、羽田空港の時点で水着に着替えるのは余りにも気が早すぎるだろうか。
決死モデル:チームTエリー

色々仕事を溜めている割には、どこかへ旅行に行こうと思ったらすぐチケットを買ってしまうのは相変わらずの放浪癖である。

今回乗る便はJALジャパンエアー567便。
いったいどこへ行くというのか・・・

周囲ではやたら中国語が凄い。
日本へのインバウンドは過去最高を記録したと言い、なおかつ著名な観光地ではホテルが予約できない事態にまでなっているという。
「私をスキーに連れてって」「彼女が水着に着替えたら」の頃には考えられなかった事態が、今ここに出来しているのである。

果たして到着したのは、女満別空港となる。
決死モデル:トルソーさん霧島

並みいる中国人客は、揃って流氷を見に来たのだ。
空港前のバスターミナルは、1番乗り場が網走バスの砕氷船乗り場行き、2番乗り場が北見バスの北見行き、3番乗り場が斜里バスのウトロ行きとなる。
都市志向の北見バスを除き、流氷シーズンで書き入れ時となる。

果たして自分は1番乗り場の網走バスに乗ることにする。

バスは地吹雪の39号線を網走へと向かう。
呼人駅前や網走観光ホテル等で少しずつ降りていくが、ほとんどは砕氷船乗り場へ行く観光客のようである。

そんな中で、自分は合同庁舎前で降りることに。
かつての「網走支庁」であった合同庁舎は、現在は「オホーツク合同庁舎」と呼ばれている。

合同庁舎の近くには、網走市立図書館がある。
なぜ図書館と言えば、まあいつもの国会図書館とそう変わりないと思ってもらえばいい。
そして古い新聞をコピーする。
本当は国会図書館でしたかったのだが、目当てのその日の記事だけ国会図書館には無かったのだ。
ま、そうそう明るい話題の記事ではないので、決死モデルのさくらの顔も心なしか険しい。

コピーするだけしたら、後は図書館を辞去。

まだ16時前なので、網走刑務所か砕氷船乗り場に行こうと思えば行けるかもしれない。
でも砕氷船は既に予約がいっぱいで乗れることはないだろう。

元々、18:52の釧路行きで斜里に行くことにしていたのだが、もしかして1本早いので行ける・・・?
時刻表を見てみると、網走発16:17というのがある。
これで行ってみるか・・・

ここからだと、網走駅も近いが、桂台の方も近い。
元々、網走駅というのは網走の中心街から離れており、直線距離としてはむしろ桂台駅の方が近いのだ。

それを、桂台へ行くタクシーの中で運転手に聞いてみた。
「桂台はね、駅の前に雪が積まさってるから、車が止めれないの。JRは旭川から汽車走らせるのやめたいみたいで、風が吹けばすぐに止める」
JRへの不満は強いようだった。

果たして桂台駅に到着。
決死モデル:チームR真夜

網走の中心部からは少し丘に上がることになる。
そして車で行くと、なかなか車を止めにくい所にあり、なおかつ横断歩道もない。
いっそ「オホーツク」「大雪」を桂台まで伸ばすという考えはないのだろうか・・・。

ところで、そういうロケーションというよりは高校が多いために、釧網本線方面の利用が多いようで、ちょうど下校時刻に当たっているので、寒い待合室に人が入りきらず、ホームへの階段に列をなしておとなしく高校生たちが釧路行きを待っていた。

そして釧路行きが来る。

決死撮影を始めるようになって、やたら列車の停車時間を気にするようになった。
3分もあればホームに出て撮影ぐらいはできる。

とりあえず、今回は知床斜里まで行くが、その途中での長時間停車は浜小清水の5分というのがある。
Wikipediaで浜小清水の駅の構造をチェックする。どうやら対向式2面2線らしい。そして駅名標や構内踏切も入れた撮影の構図を考える。
決死モデルに起用するのは、矢切の渡しへのウォーキングで失敗したみくP)を改めて起用したい。

という事で浜小清水に到着。
当時から1か月半近くたっており、5時近くの日本の東の果てでも、ある程度日はある。そしてホームから流氷は見えない。

そしてひとくさり撮影を終え、知床斜里を目指す。

そして知床斜里に到着。
列車は左側通行なら、駅舎に近い1番線に到着すればいいものを、なぜか駅舎から一番遠い、進行方向右側となる3番線に到着した。
有人駅なのですべてのドアが開き、それなりの人数の客が下りる。

ところで今回乗ってきた釧路行きの列車は下校時刻だけに2両編成で、1両目がキハ54で2両目がキハ40である。

それにしてもここでのみくはブスアングルだな・・・。
やっぱり何枚か撮った方がいい。

ところで、斜里は知床半島の観光の拠点であるだけに、最果てではあるが営業している店はそれなりに多い。

さて、ところでなぜこんな夜に斜里なのか。
夕食を食べたいだけなら網走市内の方がよほど店の数も多かったのではないか。
オホーツクまで来たら必ず寄りたい店があったのだ。
それがこの斜里の「北鮮」。

北鮮」とはいかにも剛毅な店名ではないか。
北の新鮮な海の幸を提供したい、その志は感じるにしても、さる筋から何か言われなかったのか気になる所である。

そういうマターだけに、決死モデルはもちろん中の中の人が韓国通であるアハメスを起用したい。

18時からの開店という事であったが、既に作業服を着た地元の会社員が占めていた。その辺りはなあなあでできるのだろう。

ところで、自分は海の幸は苦手であり、こんな店名ではなかったら入ることはなかっただろう。
とりあえずビールを頼み、ホタテバターやピリ辛茄子を注文する。

帰りの網走行きの時刻は18:55なので、デッドラインは30分程度であろうか。
店の人も親切で、良い海鮮居酒屋だったと思う。

さて、積もる雪の中を知床斜里駅に戻りますか・・・

18:55の網走行きが出る頃には、駅員はいなくなっていた。
自動券売機で840円で切符を買い、網走に戻る。

単行のディーゼルカーにはそれなりに客が埋まっていた。
知床で観光して、宿泊は網走という観光客がそれなりの数いるのだろう。

そして網走駅前の宿に投宿。

 

 

 

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