瀬戸内徘徊

今日の朝は三原から始まる。

三原駅の前には「やっさ踊り」の像がある。

カラーの像は珍しい。
やはり直射日光に当てられると色落ちするからであろうか。その分維持費もかかるだろうし。。。
決死モデル:トルソーさん霧島

ちなみに、この三原最大の「やっさ祭り」、小早川隆景による三原城の築城を祝って始められたのだそうで、三原市内各地にこの像があるようである。

さて、この三原から呉線で、カープ色の227系に乗って行くこととしたい。
長く「国鉄広島」と呼ばれ、115系や117系が走り続けてきた広島地区にも新車が来た。
そのシンボルカラーは赤で、それは紅葉饅頭のイメージであろうが、やはりカープのイメージが最も強いのだろう。

果たして最初の途中下車駅は仁方。
かつては国鉄の仁堀連絡船が四国の堀江まで出ていた駅である。
決モチームWB嵐山

子供の頃から時刻表を見ていて、何でここに連絡線があるのか不思議だった。
それも、国鉄の連絡線であれば青函連絡船でも宇高連絡船でも貨車を運ぶのが普通ではないか? 仁堀連絡線にはその気配もなかった。
ではなぜこんなところに連絡線が? それは終戦の一時期、宇高連絡船だけでは本州~四国間の輸送量が逼迫していたからなのだという。
結局、ターミナルの立地の悪さなどで呉~松山フェリーに太刀打ちできず、昭和57年に赤字により廃止されている。

その仁堀連絡船であるが、仁方桟橋までは駅からしばらく歩かないといけない。こんな国鉄連絡線も異色である。

そして仁方桟橋へ。
仁堀連絡船の廃止後も、松山までフェリーが通っていたのだというが、それも2007年で廃止となっている。
そこそこ新しめ(とはいっても昭和末期に建築したような感じ)の小さなターミナルと、フェリー桟橋がそのまま残っていた。
現在ではここに発着する定期便はない。
向こうで停まっているフェリーは、仁堀連絡船の後裔のフェリーだろうか。

さて、仁方での来意を果たしたらどんどん西進していこう。

次に立ち寄るのは呉ポートピア。
決死モデル:チームTエリー

棒線駅でもあり、駅名からも分かるように、後付けで新設された駅である。
1992年に呉ポートピアランドという遊園地が開園したのだというがバブルが破綻し、それと絶叫マシン中心で子供連れが行ける設備に乏しいことでわずか6年後の1998年に閉園となっている。負債総額114億円は「中国地方最悪の第三セクター破綻」と言われているという。
その後、呉市が買い取り「呉ポートピアパーク」という無料の公園として再開したという経緯があるようである。

そんな呉ポーに何用かというと、呉市電の保存車両があるのである。

呉市電は昭和42年まで、川原石~呉駅前~広と、呉線沿いに走っていた。川原石と言えば昔はこの駅を通過する普通列車がやたら多かったという印象があるが、それはホームが6両にしか対応していなかったからなのだという。

さて、この呉市電1001形、どこかで見たような形状・・・ と思ったら、それは伊予鉄道だった。 ・・・とは言っても別に伊予鉄の50系が全部呉市電から来たものではなく、伊予鉄で独自発注したものと同型であったという事のようである。それが呉市電の廃止で松山へ行ったと。

そしてあとは広島へ。
広島をゆっくり見ていきたいが、あとの日程もあるので今回はこの程度にして西へ急ぐことにしたい。
決モトルソーさんアハメス

昭和55年に政令指定都市となった広島市で、都市内軌道系交通が地下鉄ではなく路面電車のままなのは、広島の市街が太田川の中州で、脆弱な地形であるという事も影響しているようである。

そしてやはり広島から乗るのは227系。
最近の広島は227系が爆発的に増え、そのうち末期色の115系を探すのも難儀になるのだろうか。

そして岩国に到着し、ここから先は錦川鉄道に乗ることになる。
決死モデル:チームRナオミ

とはいえ、当然川西まではJR西日本の岩徳線である。
今回乗るのは錦川鉄道のNT3004「きらめき」。

錦川鉄道は、旧国鉄の岩日線が赤字83線に指定されて昭和62年4月1日、JR西日本の発足と同時に独立したものである。
岩徳線が岩国と徳山を結ぶ路線であるとして、では岩日線は岩国とどこを結ぶ路線であったか。それは山口線の日原だったというが、錦町から先は未成線となってしまった。

錦川鉄道に入って1駅目の御庄は、現在は「清流新岩国」として、新幹線の新岩国との接続がある程度意識されているが、「御庄」だった頃は全然そんなことはなかった。

そして錦川鉄道はその名の通り錦川の清流を車窓に見て上って行く。
船内で唯一の交換駅は北河内で、鉄建公団情緒のある駅舎やホームが残っている。

そして終点の錦町に到着する。ここが錦川鉄道の車両基地でもあり、輸送の拠点となっている。
決モチームTフジアキ

さて、ここから単純往復で戻る・・・というにはまだ早い。

未成線だった岩日北線の路盤を利用して、「周防深川駅」ができる予定であった場所にある「雙津峡温泉」までゴムタイヤのトロッコを運行しており「とことこトレイン」と命名しているのだという。

扱い的には鉄道事業法や道路運送法に基づくものではなく、あくまで「遊具」扱いなのだという。
それでも、ディズニーランドのウェスタンリバー鉄道のように、元いた位置に戻らなければならない、というものではなく、現在は鉄道事業法も緩いようである。

そのとことこトレインは、自然豊かな中国山地の村々を縫うように走る。
トンネルでは地元の中学生?がデザインした光のトンネルとなっている。

そして雙津峡温泉に到着。
ここでループ状に折り返し地点がある。この点はトロリーバスと一緒である。

ところで、このとことこトレインの機関車的な車は、2005年の愛知万博で活躍した電気自動車なのだという。電気自動車であれば長いトンネルでも排気ガスの心配はない。

さて、あとは本当に戻るだけである。
後は前回乗っていなかった美祢線の南半分にでも乗って、小倉から「はかた号」に乗るだけ・・・ と思っていた。

半分ウツラウツラしながら錦川沿いに下っていると携帯電話が鳴る。
何事かと思って出てみると「西鉄バスから」という。
「ご予約いただいていたはかた号なのですが、今日は大雨のため運行を見合わせることになりました。つきましては払い戻しの口座を・・・」
何という展開だろう。

仕方がないので、今日中に新幹線に乗るしかない。

どうせ乗るなら、岩徳線に乗って徳山から新幹線に乗ることにしようか。
かつては「岩国駅」であった威容を誇る西岩国駅。
決死モデル:チームTヤギー

とはいえ、駅周辺は本八戸や宇部新川のように「本来の市街」が広がっているわけではなく、普通の住宅地となっており、コンビニに行くのも結構遠い程だった。

ところで、駅前にはジープのような木炭車が止まっている。
これは、現在唯一ナンバーを取得して公道を走れる木炭車なのだそうな。

そして岩徳線のキハ40で徳山に到着し。あとは新幹線で帰るだけになってしまった。
徳山駅は工事中。
決モチームR園田

あとは、JR東海のEX予約で徳山~東京の切符を予約して乗るだけ。

果たして長躯徳山から東京に戻るような旅でしたとさ。

はかた号は大雨で運休となったが、新幹線は無事に大雨から逃げきることができた。
決モチームPさくら

 

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