上部軌道

関西電力は「反原発に苦しめられている」のだそうで、いかにも産経新聞が書きそうな記事である。

さて、その「苦しめられている」お気の毒な関西電力が経営する、黒部峡谷鉄道の欅平から黒部ダムを結ぶ「上部軌道」は、抽選に当選しないといけないのだが、何と黒部ダム→欅平のコースに当選することができたので、早速行くことにしたい。

まずもって東京駅の「銀の鈴」。

そして北陸新幹線に乗り糸魚川へ。
決死モデル:トルソーさん霧島

新幹線が開業してからというもの、この糸魚川へは2時間強で到着することができるようになった。

糸魚川は新潟県の中でも「越後」というよりは「北陸」の面持ちの方が強い地域となる。

そしてヒスイでも有名であり、駅構内には巨大なヒスイが展示してある。

とはいっても夜であり、ただ単に寝るだけのために来ているので、早速駅前のホテルに投宿することとしたい。

そして翌朝のこと。
糸魚川の朝は早い。
6:01発の南小谷行きに乗ることとしたい。そうでないと信濃大町まで行けない。
決死モデル:チームP桃園

糸魚川の駅前には「奴奈川姫ぬなかわひめ」の銅像が立っている。
奴奈川姫ぬなかわひめは、大国主との間に建御名方神タケミナカタを設け、それが姫川を遡上し諏訪へ入り、諏訪大社の祭神になったのだという伝承が残されているのだという。

鉄ヲタ的には、キハ52が最後まで走っていたということでも知られており、南口にはその生首が展示してある。
さすがは物持ちのいいJR西日本というべきか。

そして大糸線6:01の南小谷行きはキハ120で帝国に糸魚川を出発する。
乗客は2人だけ。

そして、いわゆる「大糸北線」の中で最大の駅ともいえる平岩に到着する。
決死モデル:チームTアンヌ

「最大の駅」とはいっても交換設備は外されている。
とはいえ除雪車の基地にもなっておりそれなりに重要な駅となっているようである。
ちなみに、糸魚川~南小谷間で唯一交換設備があるのは、この2つ前の根知だけとなっている。

平岩には6:37に到着し、6:55に出発する。
その間に駅の外に出たりいろいろな写真を撮ることにする。

駅の周囲は、多少商店らしきものはあるが、別に町村の中心地というわけでもなく、過疎地にしてはそれなりにまとまった集落という感じであった。
ちなみに、昭和29年の「昭和の大合併」前までは、ここは西頚城郡小滝村だったという。
小滝駅にしても周囲はほとんど無人で、どっちが中心地だったのかはわからないが、よくもまあ独立した自治体として保てたものである。

そして尚も深山幽谷をキハ120は進み、長野県境を越える。
長野県北安曇郡小谷村の北小谷・中土の両駅は、長野県内でもJR西日本の駅ということになる。

そして南小谷駅の北端にある分界点を越え、南小谷に到着する。
向こうにはJR東日本の127系が待っている。
決死モデル:チームR持田

そして今度は「大糸南線」を行くことになる。
途中、信濃森上駅にも止まったが、駅舎もなく非常に寂しい駅となっていた。交換設備はどうにか残っていたが。
信濃森上と言えば、かつては「くろよん」「つがいけ」等といった急行列車の終着駅だったはず。
ここまで寂しくなるものだろうか・・・?

そして大糸線の「大」であるところの信濃大町に到着する。
駅舎は山小屋風で、駅名標は写真入りになっており、完全に観光地モードとなっている。
決死モデル:チームPペギー

しかし朝早いので、まだお土産屋も食堂も開いているわけではない。
しばらくバスを待つことに。

そし来たバスは、北プス交通の扇沢行きであった。
これはバス停の前の切符売り場で乗車券を買うことになる。
国鉄バスでも、このような人1人入れる程度の切符売り場というのが、鉄道駅の接続駅を中心に存在していたはずである。

ともかくも扇沢行きは出発。
結構長くてだるいバスの旅である。

そして扇沢に到着。
そのうち、トロリーバスもなくなり「電気バス」に代わると言われているので、今のうちに乗っておかないといけない。
決死モデル:チームY宇崎

扇沢では結構な数の登山客がトロリーバスを待っていた。
この区間は、トロリーバスがあってこそだと思うのだが、やはり電気バスが必要なのだろうか。
架線が邪魔だとか?

それはともかく、発車時刻が近づくと改札には1台のバスでは乗り切らないのではないか? と思うほどの人が並んでいた。

ただしトロリーバスは数台の続行運転で、5台目ぐらいのバスに乗ることができた。
あとは黒部ダムを目指すだけ。

難工事として知られた破砕帯の辺りは雨のマークのプレートが貼ってある。

そして黒部ダムへ・・・
ちなみ立山黒部アルペンルートはここで終わり。

上部軌道のツアーは黒部ダム駅の駅長室が集合なので、ここで待っていればいい。
しかし、黒部ダムの雄大な眺めも写真に撮っておきたいところ。
となれば、急いで展望台に上って写真を撮るしかない。
決死モデル:チームR園田

ということで、体調が悪くてマスクをしつつ息せき切って展望台に走る。
マスクをしながら走るとここまで苦しいを言うことを初めて知った。

そして撮影。
黒部ダこの雄大な眺め。まさにプロジェクトXである。

さて、撮るもの撮ったら集合場所へ行きましょう。

最初はバスでインクラインの出発地へ。
バスは北プス交通の貸し切りだった。

そしてインクラインへ。
インクラインなので、ケーブルカーのように急な斜面が続く感じである。
15名ほど詰め込まれて、いざ地底の奥へ。
決死モデル:トルソーさんファラキャ

ケーブルカーと違うのは、巨大な台の上に搬器がちょこんと乗っかっており、その中に詰め込まれているということである。
中では、中島みゆきが2002年の紅白歌合戦で「地上の星」を歌った時のエピソードがビデオで流れる。

そして黒部川第四発電所、略して黒四に到着。

地底の奥深くとは言いながら、関西電力が社運をかけて開発した発電所であるだけに、昭和の面影が残った会議室などがあり、ここで昼食となる。
また、発電所内の見学を行う。

そして、食べながら黒部ダム開発の歴史をビデオでおさらいする。
黒部ダムと言えば「プロジェクトX」で有名だが、石原裕次郎が主演した「黒部の太陽」(日活 1964)でも知られる。
裕次郎自身が気合を入れて制作したという映画である割には、意外にテレビでの放送の話を聞かないのは、裕次郎自身が「ぜひこの迫力を映画館で見てほしい」とビデオソフト化を望まなかったからだということである。

それにしても、この迫力はすごい。。。

そしてこの黒部ダムへは、普通の手段で通勤できるはずはないので、まるで南極観測隊のように定期的に交代しながら勤務を行うということになる。
そのための交通機関がこの上部軌道ということになる。

人だけではなく食料や資材も運ばないと生活できないので、貨車が連結されており、基本は混合列車ミキストということになる。

また、上部軌道沿いには黒四だけではなく他の発電所もあるので、途中駅もあるということになる。
仙人谷もその一つで、ここに職員宿舎があるのだという。
ここで20分程度停車して見学会。

この辺りは「高熱隧道」と呼ばれており、確かにトンネル内から熱風が伝わってくる。
100℃以上の高熱の岩盤を掘削したのだという。

そして欅平に到着。
ツアーとしてはここが終点ということになる。
決死モデル:チームTエリー

欅平駅の中には「峡谷そば」という蕎麦屋がある。
「阪急そば」「高速そば」同様、黒部峡谷鉄道もまた、関西私鉄のDNAが息づいていることを感じさせる。

そして宇奈月への切符を買って峡谷鉄道本線の列車を待つ。
ところで、黒部峡谷鉄道の客車は1編成で13両になるという。
ということは、京浜急行の12両を超えて私鉄でナンバーワンの長編成ということになる。
さすがは関西電力、資本金ベースでは日本一の鉄道事業者である。

そして長編成の列車は欅平を出発する。
アナウンスはどこかで聞いた声だと思ったら室井滋であった。
確かにエッセイ集「きときとの魚」も出している室井滋は滑川市の出身である。
決死モデル:チームTヤギー

そして列車は急カーブを曲がりながら急峻な黒部峡谷を下ってゆく。
猫又や鐘釣では旅館があるが、こういう所も温泉場となっている。

猫又や鐘釣以外では、一般の客が乗降することを前提としていない。
関西電力の社員が乗り降りするだけの駅となっている。

そして新旧の赤いトラス橋が見え出したらいよいよ終点の宇奈月となる。

そして宇奈月に到着。
決死モデル:チームY間宮

富山地鉄の駅は「宇奈月温泉」だが、こちらは「宇奈月」。
黒部峡谷鉄道の古い凸型の機関車や、草軽電鉄にもあったようなジェフリーが保存してある。
黒部峡谷でもジェフリーを使っていたのだろうか。
Wikipediaの「草軽電鉄」の項目によれば、草軽で使っていた大正9年製のジェフリーは、信越電力が発電所の建設工事用に使っていたものを大正13年に譲り受けたのだという。

黒部峡谷鉄道自体は信越電力ではなく「日本電力」の発電所建設軌道だったようであるが、ジェフリーは広く使われていたということだろうか。

そして山小屋風の富山地鉄宇奈月温泉駅は、黒部峡谷鉄道の駅から坂を少し下ったところにある。
決死モデル:チームWB小津麗

電鉄富山行きは特急「アルペン」で、14760系であった。
ところで、富山地鉄の車両の番号の付け方というのは一種独特である。
上3桁は電動機出力を馬力で表したもの、つまり147馬力ということで、下2桁が形式番号つまり「60系」だというのである。
それで京阪3000系は「10030系」、西武レッドアローは「16010系」ということになるらしい。
へええ・・・

さて、富山行きは山間を下っていく。
日本的な山峡の農村が車窓に広がる。
駅もまるで更新されていない。

そして北陸本線・・・ というかあいの風とやま鉄道に合流し、新魚津へ。
新魚津とはいうものの、何のことはなく魚津駅の並びにあり、跨線橋で乗り換えることもできる。
ここで交換列車待ち合わせのために数分停車。
決死モデル:チームPさくら

そして出発して次の駅が電鉄魚津駅。
こちらの方が富山地鉄としては魚津市の中心駅となるが、配線としては棒線駅となる。
少し前まで、「電鉄魚津ステーションビル」という味のある駅ビルがあったのだが、老朽化とテナントが次々撤退したので廃墟化し、ついには2009年に解体されてしまったのである。

そして上市へ。
上市ではスイッチバックで、すべての列車が方向転換することになる。
平地の駅でこんな面倒くさいことをしなければいけないのは、もともと上市の先にある日石寺への参詣鉄道としようとしたところ、滑川や魚津への都市間連絡鉄道にしようと方向転換したからであるという。

そして寺田に到着。
ここは立山線と分かれる駅であり、分岐部分には古式蒼然とした中間駅舎もある。
決死モデル:チームP芳香ちゃん

富山から寺田の間は、本線(宇奈月線)の列車もくれば、立山線の列車も来るので本数が多く、見ていて飽きない。
それで一度途中下車したのである。

ところで、寺田駅は中新川郡立山町に存在する。
つまり、黒部ダムと同じ自治体にあるということになるのだ。
立山町はかなり広い自治体である。

そして立山線から来るカボチャ色の14760に乗って富山を目指すことにする。

そして、富山地鉄の車庫のある稲荷町でまた降りてみることにする。
ここは不二越線と合流する駅でもある。
決死モデル:チームR天美

とはいえ、不二越線の車両と言えば東急からもらってきたステンレスの8090系・・・いや、17480系であり、何とも味気ない。
ただ、地方の鉄道路線としてはかなり元気な部類となるので、あまり贅沢も言えないか・・・。

それにしても構内には京阪3000系・・・ではなく10030系があったり、西武レッドアロー・・・ではなく16010系があったり、見ていて飽きない。

そのうち、本線から列車が来るので、いよいよ地鉄の旅も終わりを告げる。

そして来た電車というのが地鉄最古参の10020系であった。
これはラッキー。

富山地鉄唯一の複線区間である稲荷町~電鉄富山間の短い旅で10020系の旅は終わる。
決死モデル:チームWBラジエッタ

電鉄富山駅の構内には、宇奈月温泉行や立山行きの特急のヘッドマークが飾ってある。

さて・・・ そろそろ夕食の時間である。
どうせなら富山ブラックラーメンでも食べてみようか。

そして富山駅の中のラーメン屋で食べると、とにかくしょっぱいだけだった。
こんなのをありがたがって食べるのか。

さて、あとは帰るだけ。

その前に時間があるので、ちょっと市内線にも乗ってみることにする。
地鉄ビル前という味のある停留所から、ちょっと富山大学前に行ってみようか。
決死モデル:チームT美川

丸の内を経て神通大橋を渡り、最初の駅が富山トヨペット前となる。
ここはかつて射水線の始発駅で合った新富山駅であり、頭端式の駅があった。
しかし現在はこのような味気ない駅名となっている。

そして富山大学前は、車止めもない味気ない終点であった。
別に乗りつぶし以上の要件はないので、単純往復で富山駅に戻ることに。

戻ったころにはすっかり暗くなっていた。

そしてあいの風とやま鉄道で直江津を目指す。
頚城バスつまりマルKの夜行バスが直江津から出るのである。

とはいえあいの風とやま鉄道は泊までで、ここから先はえちごトキめき鉄道となる。
決死モデル:チームWBナギサヤ

そして糸魚川~梶屋敷のデッドセクションから直流電化に変わるのでつくばエクスプレスのように交直流の車両を導入するわけではなく、ディーゼルカーを入れるという解決法で凌ぐことにしたようである。
車両は姫新線を走っているようなキハ127と共通のようだった。
さすがは元JR西日本の区間である。

そして直江津に到着し、頚城バスマルケーの夜行バスを待つことになる。

乗り場が分からなかったが、直江津駅の少し西側になるらしい。
あらかじめ調べないとわからない場所だった。

いざ乗ってみるとガラガラで、事実上の自由席だった。
決死モデルチームPウメコ

そして東京へと向かうことに。
これで黒部峡谷への弾丸旅行は終わりで、また明日は仕事という現実に向かうことになる。

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