第5回ウォーキング 〜親の心に背いてまでも〜

体重の推移は以下の如し。

体重は-3.4kg(前回比-0.6kg)、10回平均で-2.9kg(前回比-0.2kg)と、やっと効果が現れ始めた感じ。

ウォーキングの効果はそれほどすぐには現れないというので「継続は力なり」ということでやっていくことにしたい。

今回のウォーキングは、八柱から矢切の渡しを通って柴又と、殆どの区間を松戸市内とするコースを取りたい。矢切の渡しまでは距離にして7.0km。これまでのウォーキングでは最長距離となる。

柴又の渡船場から先は距離は取っていない。面倒くさくなったので。

ということで始まりは八柱の駅。
兵頭さん風に言えば「我が城下町」となる。
決死モデル:チームR天美

ここからしばらくみのり台方面に線路沿いに歩く。
いつぞや行った常盤平のような団地というよりは場末の住宅地と形容した方がより正鵠を得た表現となろう。
いや、本当に場末感パねえ。

そして新京成の線路から分かれてしばらく行くと稔台工業団地となり、工場や倉庫が数社建っている。。
最近車内表示がLED化してきた新京成の8800系やN800系では、「みのり台」の中国語表記は「稔台」。また、松戸市の町名としても「稔台」となる。

そしてしばらくして県道281号線から分かれて狭い道を行く。

しばらく行くと、和名ヶ谷中学校の先に和名ヶ谷クリーンセンターの煙突が見える。
その和名ヶ谷クリーンセンターの余熱で温水プールを運営しており、かれこれ1年半ぐらい前に第7回プールで行っている。

そしてその先は「二十世紀が丘」となる。
まるで東急不動産が付けそうな瑞祥地名であるが、この一帯が二十世紀梨の産地であったことから命名されたのだという。
実際、この一帯は東急不動産っぽさはまるでなく、やはり場末感があったりちらほら田畑が見えたりする、そんな住宅地となっている。

そして松戸駅東口発のバスでは一大勢力となる三矢小台みやこだい行きの終点はバスの駐泊所となっており、数台のバスが発車を待っている。
この近くが松戸市役所矢切支所となり、地区としてはすでに「矢切」となっていることが見て取れる。

ちなみに、細川たかしのヒット曲で矢切が「やぎり」と読まれているようであるが、本来は「やきり」のようである。
決死モデル:チームRハナ

そして東京外環道の真上の交差点を過ぎると、住宅地と言うよりは農村地帯の面持ちを呈してくる。
ただし、バスの便としては京成バスの松戸駅~市川駅のバスが頻繁にやって来るので、それなりに便利ではある。

そして県道1号線を矢切の渡し方向にそれると、産直野菜の無人販売所まである。
この地域はネギの生産が盛んで「矢切ネギ」としてブランド化までされており、1箱2000円という値段で売られている。

そして道が狭くなった所に野菊の墓文学碑が建っている。
一帯は「野菊苑」として江戸川の向こうに都内を見渡すことができるちょっとした公園となっており、文学碑には、この地域の特徴が書いてある。

曰く、

僕の家といふは、矢切の渡しを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云っている所。崖の上になっているので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一ゑんが見渡される。秩父から足柄箱根の山々、富士の高嶺も見える。東京の上野の森だと云ふものもそれらしく見える。
村はづれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子の来るのを待った。こゝから見おろすと少しの田圃がある。色よく黄ばんだ晩稲に露をおんでシットリと打伏した光景は、気のせゐか殊に清々しく、胸のすくやうな眺めである。

確かに現在でもその通り・・・と言いたかったが、利根川!?

今ここから見えている河川は江戸川だとばかり思っていたが、そもそも江戸川というのは上流はどこなのだろうか。

そう思ってWikipediaで調べてみると、17世紀に千葉県の関宿のあたりで利根川から分流するように開削したのだという。
ああ、千葉県のあのとんがった所(チーバ君の鼻先)が、利根川と江戸川の分流するところだったのね。
それにしても、江戸川を利根川と呼称するのは一般的だったのだろうか・・・

あと、野菊苑にも矢切の渡しの案内が書いていたが「強風時と雨天時は運休します」とか書いている。風の強い今日は大丈夫か・・・?

さて、次は矢切の渡しという今回のウォーキングのクライマックスなので、チームPのエースみくを充当することにしよう。

ここまでくるとネギ畑が広がっている。そして住家は殆どなく、住む所と耕す所が完全に分化している。
これは、江戸川の洪水に備えてこの畑地を遊水地にするような考えがあったのだろうか。

また、数少ない住宅の垣根には椿が咲いている。

・・・と思って矢切橋で決死しようと思ったら、強風が吹いてきた。
それでみくは落ちて、何と首が折れてしまった。
これではみくで撮影を続行することはできない。

チームPのエースと言いつつ総選挙では12位だったみくの代役は、40位(最下位)だったメアに務めてもらうことにする。

江戸川の堤防を越えると野球場やパークゴルフ場になっている。
その脇の笹薮を抜けると矢切の渡しとなるが、何やら怪しい雰囲気である。

入り口にロープが張ってある。
曰く「土・日・休日に運行しています。3月9日(土)より毎日運行の予定です」・・・だと。

あらそうですか。
仕方がないので元来た道を戻ることにする。

さて、元来た道を戻って県道1号線に出たら、市川方面に南下してすぐに北総鉄道の矢切駅がある。
決死モデル:チームRスマレ

矢切駅の前というか後ろには「笑がおの湯」というスーパー銭湯があるので、ここでウォーキングの汗を流したい。

スーパー銭湯や温泉ホテルにはよくあることで馬油が売られている。
馬油とか備長炭石鹸は、温泉地に行けば必ずと言っていい程売られているが、これは馬油メーカーが全国の温泉地で営業をかけたのだろうか。だとしたら、それはそれで一つの「プロジェクトX」だと思う。
もう温泉地と言えば「馬油」と言うほどに定着してしまっているのだから。

遅めの昼食に蕎麦を食べていると、テレビのワイドショーでは茨城県神栖町で発生した女子大生の行方不明事件をやっている。女子大生は葛飾区に住んでいるというが、この神栖町に住む30代の男が何かカギを握っているらしいという。
昼下がりを銭湯でボンヤリ過ごすの悪くない。

さて、1時間3~4本しか来ない矢切駅に電車が来そうなので準備して出ますか・・・

本来、矢切の渡しを渡って柴又側で決死しようと思っていたチームR持田をここで使うことにする。
響鬼の設定では、持田は東柴又中学校の出身なのだという。してみれば帝釈天のそのまた川沿いの方?

それはともかくこの先北千住で用があるので、青砥で上野行きに乗り換えるが、京成線というのは都営浅草線に直通する方が本線筋で、上野に行く方は支線ではないかと思わされることがある。
今回にしたって、押上方面を3本見送ってから、やっと上野行きが出発したというほどである。

その「支線筋」に成り下がってしまった上野方面の関屋駅に近接して、東武線の牛田駅がある。
こちらも浅草駅は支線筋に成り下がってしまった感があるが、それでも特急だけは上野行きだったり浅草行きだったりと、都市鉄道としては支線筋になってしまった方を現在でも志向しているという共通点がある。
支線筋になってしまったというより、観光列車と通勤列車を棲み分けたという方が実情に近いのだろうか。

 

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