ワンチャン狙って、セクハラされて

JR東日本の「JR SKI SKI」も、美少女系タレントの登竜門と化している感がある今日この頃。

大学の頃にやったパラスキーのボランティアでLHD女性といい感じに会話できた余韻は、大学を卒業し新入社員としてどこかの地方都市に配属された後も続いていた。モテないキモヲタなど所詮そんなものである。

そんな時期を、焼き鳥でも食べつつ偲ぶこととしたい。
これもまた「私的devotee史」の1ページ。
決死モデル:チームY宇崎

やはり純真だったのか不純だったのか、配属されたその地方都市でも「どこかにいる隻腕隻脚の美少女とワンチャン」という望みを捨てないでいた。

そこで始めたのが、地元スキー協会のボランティアである。韓非子でいう所の「株を守りて兎を待つ」というやつだ。
スポーツは苦手な自分であったが、スキーだけは得意であった。
それを生かして、どうにか・・・と思ったのである。

そのスキー協会にボランティアとして入った時は、それはもう歓迎してもらった。
しかし、うすうす予想はしていたが、隻手隻脚の美少女がそんなド田舎に都合よくいるはずはない。そもそもそんな美少女がクソ田舎に残ってたら地元のヤンキー共が放っておかないだろう。

そしてまた、田舎なので人付き合いは濃厚で、プライベートなことを遠慮なく聞いてくる。
「初恋は?」「付き合ってる人は?」
そもそもがモテない所に、都会生活の長い自分が適応できるはずはない。

結局、1年も持たずに喧嘩別れのような形で辞めることになってしまった。
ただ、不純な動機で入ったのもまた自分である。そのことを考えると、自業自得であるとしか思えなかった。
当時は自分も若かったのだ。

程なくして、インターネットが日本でも一般的になっていく。
23時が過ぎるとテレホーダイが適用される「テレホタイム」となり、そんな時間に海外のdevoteeページを検索することにのめりこんでいった。

ところで、この焼き鳥屋さんは有名人も結構訪れているようでホンジャマカの石塚や安田大サーカスのHIROも来ていたようである。

HIROはあのアウトサイダーアートの面持ちすら感じられた手書きブログはもうやらないのだろうか。

 

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