国鉄バスで来た怪しい男

例の脱走囚人はまだ見つかっておらず、島の観光にも影響を及ぼしている模様。
よくもまあ逃げ回っていられるものである。

・・・さて、昨日触れた昭和30年の脱獄死刑囚は、いったい何をやらかして死刑囚となったのか。

昭和28年3月17日、芳賀郡市羽村(現:市貝町)で、雑貨商一家四人が殺されるという事件が発生した。

これを報じた翌3月18日の読売新聞栃木版では、犯人は5~6人ではないかと報じている。
また、地元の下野新聞では3~4人ではないかという報道で、いずれも複数犯ではないかという見立てであった。

この雑貨店は新聞販売店でもあったようで、新聞配達人が朝3:20頃新聞を取りに行くと、扉は閉まっていたが中から懐中電灯が光っていたのだという。それは「便所に行くのだろう」とスルーされたようである。
もし、新聞を取りに行くのが少し遅くて犯人に鉢合わせでもしたら、事件はスピード解決していたか、あるいは5人目の犠牲者になっていたかのどちらかであっただろう。

その2日後にはさっそく容疑者が2名浮かぶことになる。

目撃者の話が掲載されているのはともかくとして、目撃者そのものが顔写真入りで掲載されているというのは驚きである。各県の警察史に当たっていると、よく出てくる話として「捜査しても村人の協力を得られない」という話がよく出てくる。閉鎖的な日本のムラ社会で、ひとたび犯罪が発生した際に、その犯人を警察に密告した、となるとその村にはもう住めなくなるというような話は多々あったようである。
そんな村社会の中で、犯人は自分の村には関係ない者、あるいは告げ口しても構わない程の者の犯行ということだったのだろうか。
「ニュースソースの秘匿」が一つの焦点となった売春汚職疑惑のたった5年前の話である。

ともあれ、顔出しの彼らの証言によれば、「容疑者A」は、最終の国鉄バスで被害者方前で下車した男なのであるという。
上赤羽へは、宇都宮〜市塙〜茂木を結ぶ国鉄バス水都西線の一部系統が経由しておりJRバスとなった後も2016年か2017年まで走ってはいたが、つい最近廃止になったようである。また、2015年に東野交通の宇都宮~茂木の上赤羽経由が廃止になったこともあり、もはや上赤羽には路線バスは通っていない。

その2か月後、5人の容疑者が逮捕されることになる。
それはともかくとして「容疑者」の段階から実名と顔写真と経歴が公表されているのである。
いずれも20代前半なので、昭和初期の生まれであろう。

いずれも「まさかあの人が犯罪を犯すなんて思ってもいませんでした」というような男たちではない。
それぞれに何か「やりかねない」プロフィールを持って男たちであるようだった。
それにしてもこのような重大な犯罪につき、容疑者の段階でここまで報道するというのは時代の隔たりを感じざるを得ない。

いずれにしても、村人たちは「事件の解決」を赤飯を炊いて祝ったようである。
また、被害者の家の様子も細かく報道しているが、今であれば弁護士を通して「過剰な報道はお控え願います」と張り紙されるところであろうか。

そして件の脱走犯となる死刑囚が「真犯人」と断定されるのはその1週間後である。

真犯人と断定されたのは、被害者が付けていた時計を東京に住んでいる妹に贈ったということで、そこから足が付いたのである。
捜査陣の執念には舌を巻く思いであるが、それにしても妹思いであるということが仇となった形であった。

「六年前から盲目となった母(53)」の「セガレがやったのか」というコメントも載っている。
新聞に報道されていないが、この事件に至るまでにはこの「盲目の母」も大きく影響していたようである。
この母が再婚した夫は今でいえば酒乱で「DV夫」あるいは「モラハラ夫」であった。
白内障で失明しても「目玉の一つや二つ・・・」と豪快に斬って捨てる程である。
その治療費を稼ぐために強盗に走ったという事情もあったようである。
ちなみにそのDV夫は、この事件の1年前に死亡していた。

さて、宇都宮地裁での第一審であるが、判決は同年11月25日に出ている。
後年語り伝えられる大犯罪であった割には、判決が出たこと自体は読売新聞栃木版ではさほど大きく報じられてはいない。
下野新聞に至っては全く報じられておらず、「死刑になって当然なので報じるまでもない」という姿勢でもあったのだろうか。

同じ紙面では、保全経済会事件についても触れている。
これは昭和23年から「投資すれば8%の高率で配当がありますよ」と謳って出資金を募ったが、この栃木県の事件が発生の2週間前の昭和28年3月5日にスターリンが死去し「スターリン暴落」で株価が急落し、保全経済会の経営も破綻したのである。
話は脱線するが、この保全経済会の経営者の名前があまり日本人らしくないと思ったら案の定朝鮮の釜山生まれで、戦後に日本人と養子縁組することで日本籍となったようである。
それでもこの事件は「Category:在日韓国・朝鮮人の事件」にはカウントされていない。同様な事件が現在発生したらどうなるかは分からないが、とりあえずこの事件は国籍を取り沙汰す人がいないということで一安心である。

ということで・・・
今日の「事件現場を歩く」は、昨日行けなかった上赤羽に行ってみることにしよう。

そう思って早朝の常磐線に乗ると、肘鉄までしてコーナー席を取ろうとするおばさんにエンカウント。
あからさまに肘鉄までして席を取ろうとする執念はなかなかのものである。
まあ早朝であることもあり、他の席も空いてたのでそこに座ればいいだけだったけど・・・
東京の熾烈な席取り競争を伺わせる一幕であった。

ということで見目麗しき後ろ姿だけ晒しときましょ。
決死モデル:チームR持田

ということで上野に到着し、宇都宮行きの快速を待つことにしたい。
6番線から高崎線を1本見送って宇都宮行きを待つ。

やはり宇都宮ぐらいの長距離になったらもうグリーン車しかない。

熱海からやってきた快速「ラビット」は、グリーン車もやたら混んでいる。
これはどこへ行く客だろうか。
那須の方にゴルフに行く客とか?(JR発足当初は、那須方面のゴルフ客のために「フェアーウェイ」という快速を走らせていた)

2席空いている所は諦めようかな・・・ と思った所へ1つだけ空いている所があったので座る事ができた。
最近は人心もすさんでるね・・・ まあその一人が自分なんだろうけど。

宇都宮に到着し、JRバスに乗ることにしたい。
先述の通り、上赤羽へ行くJRバスは現在全くないが、経由違いで祖母井まで行く系統は現在でもある。
それも祖母井は芳賀町の中心で、国鉄バスのバス駅もある所である。
このバス駅の隣にはタクシー会社もあるので、タクシーで上赤羽にいければいいかな・・・
と思ったら、向こうにいるのは国鉄バスの復刻カラー!?
それも、国鉄末期の青と灰色ではなくおそらくは事件発生当時のカラーである。
決モチームRナオミ

・・・とはいえ、目指す方向とは反対の「東武駅前・作新学院行き」。
この「東武駅前」もかつては「宇都宮一条町」というバス駅であったようである。

しばらくして、ツインリンクもてぎ行きのバスも来たのでこれに乗る。

宇都宮を出てしばらくは、県道64号のロードサイド地帯を行く。
そして鬼怒川を渡り、高校野球の栃木県大会の決勝戦が行われる清原球場の近くの住宅地を過ぎると、昔ながらの曲がりくねった農道を走ることになる。

おそらく、今回の事件の死刑囚も、「宮」に出る時はこの路線を使ったのではないだろうか。

工業団地の真ん中に「芳賀バスターミナル」がある。
現在のJRバス関東宇都宮支店は、現在ここに移転している。

そして「道の駅はが」を過ぎ、市街地が再び現れ出すとすぐに祖母井駅に到着である。
決モチームY宇崎

祖母井駅は、今でこそJRバスの営業は行っていないが、駅舎は残っている。

切符売り場は外に出窓のように出ている形をとっており、現在は「宝くじ売り場」と表示されている。
また、2階には2段ベッドが曇りガラスの向こうに見ることができる。
夜間駐泊もここで行われていたのであろうか。

さあここからタクシーで上赤羽へ・・・と思ったら、駅舎の隣の祖母井タクシーのシャッターが閉まっている。
この時間に営業していないということは、もう会社自体が営業していないということだろうか。
仕方がないので他のタクシー会社に電話を掛けてみると、「15分ぐらい待たないとそちらへ行けない」という。

ここはひとつの判断のしどころである。
上赤羽まで歩いて行くだけで30分はかかるだろう。
そしてまた、その先の東野バス下赤羽バス停まで、捻挫した足を引きずって歩けないこともないのかもしれないが、確実に10:24の宇都宮駅行きのバスには乗れないであろう。
14:30からは新宿の方で欠損バーがあるのでそちらにもいかないといけない。

・・・よし。
ここはもう祖母井で中止することにしよう。
決モチームYジャスミン

昨日は、死刑囚となった男の「もうこの辺でよかっぺ」という声が聞こえてきたような気がした。
今日は、雑貨店で殺された4人の霊が「今更ここまで来ることなかっぺ!」と言っているような気がした。
いかなダーク・ツーリズムでも、天命には従うことにしたい。
ということで、10:01の芳賀町役場入口バス停から宇都宮に戻ることにする。

宇都宮駅へ戻り、今日の欠損バーでのお土産のいちごのお菓子を買っていると、折よく11:36の湘南新宿ラインの逗子行きが発車しようとしていた。
湘南新宿ラインは1時間に2本ぐらいしか来ないので貴重である。まして快速となると・・・

やはり、「こんなところまで来ないで、もっと楽しい所に行ったら良かっぺ」と言われているようであった。

そして直接新宿に到着し、欠損バーの会場へ。
今回の欠損バーは、新人(欠損バーとしては)LISAさんあり、桜ちゃんの股義足ありの、いつにない盛り上がりを見せた欠損バーであった。
お土産のいちごのお菓子も喜んでもらえてよかった。

 

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です