昭和29年のロリペド事件

2020年の東京オリンピック・パラリンピックも近づき、障害者スポーツひいては障害者そのものに注目する機運が高まっている。
切断障害もまた、先日の上智大学の切断ヴィーナスのショーなど、「魅せる義足」への転化など、身体の障害に対する世間のパラダイムを変えようとする試みは続いている。
その時は、出演者の方の一人からも、「また来てくださいね」と言っていただき有難く思った。

それならそれでいいじゃないか、とも思うが、ふと我に返ると、これって「小児性愛者が小学校の運動会に行くようなもの」じゃないだろうかと思ったりしてしまう。

実際、小学校教諭をの中には、小児性愛者がいるのだそうな。

かつてMOON BASEが盛んだった頃仄聞した話では「義肢装具士にもdevoteeは多い」のだそうな。
まあdevoteeの義肢装具士がいてもいいのか。それで障害者の方の役に立ってるのであれば。
ところが自分ときたらどうだ。
なんら生産的な事はしていない。相手の望まない形で消費し続けているばかりではないか。
・・・ただ、そんなことを言い出せば欠損バーなんて成り立たないし、かといってこの趣味をやめるつもりがないなら、気にしても仕方のないことではあろう。
ロリペド並みに世間の指弾を受けかねない趣味である」ということさえ自覚できていれば、あとは対象になる方に迷惑さえかけなければよかろう、と自分では納得しておくことにする。

さて、比較対象であるところのペドフィリアであるが、何も最近勃興した趣味ではない。
昭和29年にはかなり有名になった事件も起きている。
場所は文京区立元町小学校。水道橋駅のすぐ近くである。

事件そのものに関しては、Wikipediaや「オワリナキアクム」にも項目が立っているので、こちらを参照されたい。
おおまかな流れとしては、肺病やみでヒロポン中毒の21歳の男が元町小学校の近所の友人の家に金を借りに行ったが有人は不在。次は水道橋の食堂にある別の友人の勤め先に行こうと思って元町小学校の前を歩いていたら尿意を催し、正面入り口わきのトイレに入っていたら女子児童がいた。その女子児童に興奮して殺した・・・ というものである。

終戦から10年と経っていない時期、現在のように小学校は「関係者以外立ち入り禁止」という場所ではなく、学校によっては「戦災復興住宅」のような使い方をしており、新宿区の早稲田鶴巻小学校に至っては、11教室以外は全て戦災者住宅として使用していたという例もあるという。
にしこくんの中の人チームRハナ

その様な時代、通りがかりの人が小学校のトイレを公衆便所代わりに使用することは、さして驚くべきことではなかったようである。

しかし、事件が発生してしまうと話は別である。
全国の小学校で「校内に部外者がいること」が慌てて問題視されるに至った。
当の元町小学校では、玄関先に見張りの人を置くようになった。(これがいつまで続いたかは不明)

さて、犯人はどれほどのロリペドであったか。
手元にある「警視庁史 昭和中編(上)」から拾い読みしてみたい。

捜査第一課池田巡査と本富士警察署町田巡査の一組も、本部員としてこの捜査方針に従って現場付近の聞込捜査に全力を挙げていたが、事件当日の午後八時ごろ、文京区元町一の九酒類販売業J方において「二、三年前、この土地に坂巻という男が住んでいたが、この男は少女にいたずらする癖があり、私の長女も小学生のころ追い掛けられたことがある。いまどこにいるか分からないが、なんでも少年刑務所に入っているとかいううわさです」どいうことを聞き込んだ。

目撃証言自体があるわけではないが、既に事件発生当日には犯人の名前は挙がっていたということになる。

更に、突っ込んで聞くと、同人の妻が「ああ、あの子なら病院とか刑務所とかへ長く行っていたということですが、最近は出てきているようですよ。二、三日前にも家の前を青い顔をして、ハイカラ頭で通るのを見ました。坂巻のことなら、すぐ近所に住んでいるAさんが子供のころからの友達だそうですがら、よく知っているでしょう」という重大な事実を話した。
こうした聞込みを得た両刑事は、坂巻の消息を確かめるため、更に近くに住むAを訪れ、聞込みを続けたが、Aは「坂巻とは小学校も中学校も九段の暁星で一緒であったが、少し乱暴者で、中学二年のとき退学させられ、二、三年前まで元町一の一五に住んでいたが、その後のことは知らない」と言う。

本事件を扱ったページによっては、犯人の坂巻脩吉を「トンスラー」(韓国人を指すネトウヨ的ネットスラング)であるとするものもあるが、元々青果問屋という豊かな家庭で、暁星にまで入っているのである。
コリアンでも経済的に豊かな家庭もあっただろうが、坂巻の年齢で小学校入学と言えば真珠湾攻撃前後。中学校入学と言えば戦後すぐのこと。闇米やドブロクでどれだけ儲けたとして、子供を「お坊っちゃま学校」暁星に入れようという考えを持ったかどうか・・・

両刑事は、この坂巻を有力な容疑者として、これを本部に報告するとともに、事件当日の彼の足取りを追及することに全力を注いだ。そして、事件発生から五日目の四月二十四日、文京区元町一丁目の塗装業Mから、事件当日、坂巻が元町小学校付近をうろついているのを見たという事実を聞き込んだ。
それによると、Mは、しばらく会わなかった坂巻と同月四日街頭で偶然出会った。そのとき、坂巻は、二年前から肺結核で静岡の病院に入院していたが、だいぶいいので、病院を出て、今は家でぶらぶらしている。明日父の住んでいる市川に帰ると言って別れた。それ以来、坂巻は、Mを時々訪れるようになった。
事件当日の午前十時ごろ、坂巻は、Mを訪れたが、同人が不在で会えず、Mの母親に「また来る」と言って帰ったが、それからしばらくして、坂巻が元町小学校の方へ歩いて行くのを母親が二階から見たと言う。
その夜、Mが自宅近くの風呂屋で、水道橋食堂に勤めている友人で、坂巻とも友人であるSと一緒になった。そのとき、Sの話では、その日の午前十一時ごろ坂巻が食堂に来て、店に入るとすぐ洗面所で顔と手を洗って帰ったが、なんとなく落着きがなくいつもと様子が変わっていたということであった。
両刑事は、その足で、水道橋食堂にSを訪ね、坂巻が立ち寄った事実を確かめた。Sは、Mの話が事実であることを認めるとともに、そのとき、坂巻は、調理場に入り、姉に電話を掛けて金を無心しているようだったが、なんだか元気がなく、飯を食っていけと言ったが食べたくないと断り、すぐ出ていったと証言したほか、坂巻は、紺色の上着にねずみ色のズボン、ラバソール靴を履いていたという服装まで話した。

こうなると、後は坂巻を探すだけ、ということになる。

こうして、懸命に坂巻を追及する両刑事が再びSを訪ねると、
坂巻が四月二十五日夕刻、水道橋食堂に現れ、Sに対し「ここに刑事さんが聞込みに来るでしょう」と聞くので、
「現場が近いから調べに来るさ。四月十九日、お前が来たときと時間がぴったりしている。お前がやったのではないかと心配している」と言うと、
坂巻は「おれの所へも刑事が来るかな」とせせら笑いをし「ぼくじゃあないですよ」と話し、
それとなく捜査陣の動きを探っている様子が見受けられたという。

逮捕は以下の通りの

以来、捜査本部は、玉の井特飲街、浅草山谷の旅館街など、坂巻が立ち回ると予想されるあらゆる方面に捜査網を広げて追跡捜査を続け、六日目の五月一日午後一時三十分ごろ、同人の実父の勤先である千代田区神田山本町秋葉原青果市場に小遣銭を無心にきた坂巻を張り込んでいた池田、町田の両刑事が逮捕した。

カービン銃ギャング事件の主犯・大津健一の著書「さらばわが友 実録・大物死刑囚たち」によれば、小菅拘置所での坂巻はマンボばっかり歌っている陽気で考えなしの青年だったようである。
また、同書では坂巻逮捕の原因が、現場に落ちていたイニシャル入りのハンカチであるとしている。

「坂巻、君はどうしてパクられたんだ? 何も証拠はなかったんだろう?」
福田の声である。年上らしく、ゆったりとおだやかに聞く。
「なかったですよ・・・」
若々しく細い声であった。
「どうして、サツ(警察)は君だと分かったのか?」
坂巻も知らないらしかった。
「なんだ。自分がどうしてパクられたか分からないんか?」
ノンキな坂巻に、福田はゲラゲラ笑っていた。どこか遠くの房から声がした。
「それはS・Sのイニシャルが入ったハンカチが現場に出たからだと、新聞に出ていたよ」
みんな聞き耳を立てているので、顔は見えなくても、すぐ反応がある。
「どうしてハンカチなんか現場に落としたんダ」
福田が尋ねている。
「・・・・・・」
坂巻は答えない。
「ウン? どうしてそんなものを?」
「・・・・・・」
「落としたのか?」
「・・・・・・」
「おい!聞いてるのか!」
福田がちょっと大きな声を出した。坂巻は全く答えないのである。
「どうしたんダ?」
その時、遠くの房から太い声が響いてきた。
「福田さん!そう問い詰めるのはかわいそうだよ。自分のアソコを拭いたんだよナ。坂巻君!」
近所の房からドーッと一斉に笑い声が上がった。
「そうか!なーるほど」
福田がまたもや大きな声でケラケラと笑った。
「坂巻君ヨ、後始末にイニシャルの入ったハンカチを使って捨てりゃ、これはパクられるよ。抜けてるなあ!」
再び近所から笑い声が沸いてしばらく続いた。
「・・・・・・」
坂巻は各房から笑われても、一言も言わない。おそらくヒヨコみたいな顔を赤くして独り恥ずかしがっているのだろう。
ヒヨコのような子供をからかう追及の手は、なかなか止まない。悪い大人たちではある。
「おい!坂巻君。君が小学校の便所の中に入っていったとき、鏡子ちゃんはビックリしたろう?」
暇にまかせて、核心に触れてきた。
「ハイ・・・」
「どんな顔をしたか?」
「最初はキョトンとして、私を見つめていました・・・」
「それからどうしたのか?」
悪党たちは、坂巻のような子供がやった強姦事件だけに、肝心のことが聞きたくてたまらないらしい。
それから長々と、微に入り細にわたって四方からの質問の矢面に立たされた坂巻は、しぶしぶと具体的に状況説明をしなければならない羽目になった。

ただし、前述の「警視庁史 昭和中編(上)」では、ハンカチについては被害者から奪ったものだと記述されている。

坂巻は、不意の侵入者に驚き、便所の片すみで声さえ出せずに震えている少女に襲い掛かり、必死にもがく少女の頸部を両手で力いっぱい絞め付けて殺したうえ暴行を加え、内側から錠を掛けたまま仕切壁を越えて、いったん隣の便所に逃げ込み、少女から奪ったハンカチで手の汚れなどをふいて便つぼの中に捨て、人の気配のないのを確かめて、同校の正門から逃走したというのである。

また、「トイレの花子さん」の発祥をこの事件に求める向きも結構あるようで、それをブログで検証しておられる方もいる。

事件から60年以上、被害女児の同級生は皆定年退職してしまい古希の坂を登っている。

元町小学校自体は、既に1998年に廃校になり、真砂小学校と統合され「本郷小学校」となっているが、震災復興建築である校舎は現在でも残っている。

元町小学校は「震災復興建築」であると先述したが、元町公園もまた「震災復興公園」として、公園にしては非常に立派な門構えが現在に残っている。

「学校や公園を避難所にする」という考えが大正の大震災直後から根付いていたことになる。

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