悪気なく女性の家に入った58年前の吹雪の夜

やっぱり「48」と名の付くグループを(勝手に)持っていると、否応でもNGTの事件が気になるわけで、事件から2か月、あの激白から1か月が経とうとしている2月に入り、新しい局面を迎えることになった。

あれほど「NGT48を嫌いにならないでください」と言っていた被害メンが、Twitterのプロフィールから「NGT48」を消すという事態に至り、なおかつ第三者委員会の発足や正規メンの公演再開に対する不信感への「いいね!」など、NGT48への不信を募らせているのはだれの目にも明白である。

今回のダークツーリズムは、そんな「男が悪気なく女性の部屋に入った」という、ちょうど58年前の今日、網走で発生した事件の跡を追うことにしたい。

事件をいち早く報じているのは北海道新聞と読売新聞北海道版である。
このうち、昭和36年2月9日の読売新聞北海道版を見ることとしたい。

この日の社会面トップは、炭労の給与交渉についての記事である。
北炭は合理化のために赤間(赤平市)、美流渡・万字(栗沢町)の各炭鉱を切り離す予定であったが組合の反対に遭い難航していた。
しかし、給料のベースダウンは行わないことを約束して、組合側から経営分離の約束を取り付けたのだった。
ところが新会社は、労働協定の失効を機に10%のベースダウンを組合側に通告したのである。
それで、その会社の組合の上部団体である炭労が断交をしようということになった、ということである。

また、その隣では浩宮様が離乳という記事がある。
5月に天皇に即位される皇太子徳仁親王殿下は、昭和時代は浩宮と呼ばれていたが、この前年の2月23日に生誕され1歳になろうとしていた。

そのような時代相であった2月8日、日本の東の最果て北海道の網走では、向かいに住む1人暮らしのバレエ教師の女性が朝から全く起きてこないことを不思議に思った住民が、その家に行ってみると女性が殺されているのを発見した、というニュースが報じられた。

地元網走でこの事件が報じられたのは、その翌日の2月10日のことである。

1日遅れはしたが、地元であるだけに扱いは道新や読売などより格段に大きい。
「美ぼうのバレー教師殺さる」として社会面トップで報じているが、確かに草刈民代似の美人であり、網走では相当モテたのではないだろうか。旦那さんを亡くされ、子供は青森県の実家に身を寄せていたようである。

毎週のスケジュールとしては、以下のようになっていたようである。

  • 月曜日:網走
  • 火曜日:常呂
  • 水曜日:網走
  • 木曜日:美幌
  • 金曜日:常呂
  • 土〜日:釧路

つまり発見された日は水曜日で網走の日。生徒さんも戸が閉まっているのを不思議に思ったであろうか。

余談ながら、昭和36年2月10日の時点で被害者は34才だったというので、つまり大正15年2月11日〜昭和2年2月10日の生まれということになる。
この時期に34才だった女性としては以下が挙げられる。

  • 菅井きん(女優、T15.2.28〜H30.8.10)
  • 麻生美代子(声優、T15.4.7〜H30.8.25)
  • エリザベス2世(イギリス女王、T15.4.21〜)
  • マリリン・モンロー(女優、T15.6.1〜S37.8.5)
  • 山岡久乃(女優、T15.8.27〜H11.2.15)
  • メリー喜多川(ジャニーズ事務所副社長、S元.12.26〜)

他の全国紙や全道紙は事件を忘れても、地元網走のトップニュースは相変わらずこの事件であり続けた。

その間も、どこそこの公務員が怪しいだの、どこそこのバーテンが怪しいだの、様々な憶測がなされていたが、犯人は逮捕されていない状態だった。

発見から5日が経過した2月13日の網走新聞では、それまでの捜査の経過がまとめられている。

この記事の中で重要なのは、犯人らしき男を見たという目擊証言である。
その目撃者は駅前の運送会社に勤めていたが、勤め帰りの7日夜11時過ぎ、踏み切りを渡ってすぐの、被害者宅から100m離れた所で不審な男を見たのだという。
吹雪ははげしくなっていたが、鉄道の照明で人相は大体分かったという。

網走署でも「希望もてる段階」であるとしていた。

一方で、被害者は11日の葬儀後荼毘に付され、翌12日に実妹と子息と共に13:30函館行きの準急「はまなす」で教え子に見送られながら郷里の青森県に旅立っていったことが報じられている。

・・・とその13日、網走新聞は犯人逮捕の旨を号外で伝えている。

逮捕したのは12日の夜で、近所に住む38才の運送業の男であった。
その12日の朝から任意で事情を聞いていたが、決め手となったのは長靴の足跡であったという。
また、顔や首に引っかき傷も残っていたことや、事件当夜のアリバイが不明であることも怪しいと見られた。

妻は「10時(22時?)のニュースで聞いた。今日は子供を就学前検査に連れて行ったのに… 逮捕には何もいうことはない」とコメントを残している。
ニュースで「聞いた」とは、ラジオだけはあったのだろう。東京オリンピックの3年前、それも北海道の果てでテレビ普及率は知れていただろう。

この男、この手の事件を起こしたのは初めてではなかったようで、この5年前となる昭和31年にも強姦致傷事件で1年半刑務所に食らい込んでいる前科まえがあったのだという。
その時の手口と似ていたということも、犯人特定のきっかけとなったようである。
そのせいでか、同業者からも「九分九厘あいつだと思ってた」と言われる始末。

翌2月14日の網走新聞では、犯行の動機などについて詳報している。

7日の夜、一杯加減でスクーターに乗って帰宅の途に就いていた犯人は(この時点で飲酒運転だが)、雪で動かなくなったスクーターを止め、その近所に一人暮らしの女性がいることを思い出した。
ちょっと冷やかしていくか・・・

「おばんでしたー」
吹雪の深夜、思わぬ客に丹前がけででてきた被害者は、
「おばんでしたでないしょ!勝手に入ってきて!今何時だと思ってるの!あんた前も捕まって・・・」(バチーン!
「何を!この女!」

・・・気が付いたときには女性は冷たくなって横たわっていた。
男は、怖くなってそのまま帰宅してしまった。
時計はすでに日付をまたぎ、8日00:20になっていた。

翌9日には、運転免許証のことで警察に出頭している。
疚しい所があるなら警察に寄らなければいいだろうに、わざわざその日に引っかかれた跡をマスクで隠してまで行きたがるというのは、「ぼく疑われてないよね? 大丈夫だよね?」と確認したくてしょうがなかったのではないだろうか。いかにも小心者のやりそうな行為である。

記事は、オホーツク海を背にして踊る在りし日の被害者の写真で〆められており、一層の涙を誘う。

結局逮捕された犯人は、現在は博物館網走監獄となっている当時の網走刑務所の未決囚留置場に入れられることとなり、釧路地方裁判所網走支部で行われる初公判は4月13日午後1時からと決まった。

その矢先の4月6日の網走新聞では、その犯人が自殺した旨を報じている。
前日5日の午後1時過ぎ、12号独房で手拭いを窓の格子に掛けて首を吊ったのだ。

網走を数日間揺るがした大事件であっただけに、当初から自殺を恐れ看守の真ん前の独房に入れており、また、本人も入房当時とは違って落ち着いており、自殺する様には見えなかったという。
ただ、遺書が9通あり、なおかつ髭も剃っていたことから覚悟の自殺とみられた。

それでも、自殺前日の4日には妻と面会していたようで、責めるような口ぶりで「あんた襲ってたら・・・」といったようなことを言っていたのが引き金ではないか、と新聞では推測している。

このことに対し、近所の住民は「これで良かったんじゃないですか」「妻や子供がかわいそう」とコメントしている。
最近のように、妻や子供にまで責任を負わせようという論調にはなっていないのがせめてもの救いであるように見えた。

さて、では現地に行ってみましょう・・・

ところで、ものすごい寒波が来てるとか言うんだけど。。。

事件現場は網走駅のすぐ裏手になるが、前日の晩はその近くのホテルに泊まることにした。
これまでの「事件現場を歩く」の中でも、事件発生の当日に犯行現場の近くで泊まるというのは全く初めてである。
決死モデルチームPウメコ

何か妙な事でも起きはしないかと勝手に心配していたが、それ以上に仕事を溜めたまま網走まで来てしまっているので、メールで仕事を催促されそれにノマドワークで資料を作ってたら時間が過ぎてしまい、とても事件がどうたらなんて考えている暇はなかった。

しかし、翌朝の朝食で窓の外を見てみると、網走駅の向こうの裏山の藪が、上で掲示した昭和36年2月10日の網走新聞の写真のような薮になっている。
確かにあのような場所で事件は発生したのだ。

さて、現場に行くこととしたい。
地図では網走駅の近くかと思っていたが、意外と歩かされた。
犯人を目撃したという踏切は「西高前踏切」というのだという。
近くには網走市立西小学校はあるが「西高」と名の付く高校はない。

その踏切を渡ると、いよいよ事件現場となるが、2月13日網走新聞に掲載された目撃証言から推測して踏切から網走駅側に100m強なのか、それとも遠ざかる方向に100m強なのか、そこまでは読み取れない。
どちらも、山側に家を数軒建て得るスペースはあるのだ。
網走市役所に当時の番地(それも新聞によってバラバラ)を訪ねれば一発かも知れないが、別にそこまでしようとも思わない。

推測される事件現場の両方を見渡すことができるところで1枚撮ることにした。

さて、これが終わったらあとは流氷でも見に行きましょう・・・

そして網走駅へ。
駅前ではニポポ像の前で中国人観光客が記念撮影している。本当に網走には中国人しかいない。
対馬の経済を韓国人観光客が支えていたように、網走・・・いや、北海道の経済も中国人が支えていると言っても過言ではないかもしれない。
決死モデル:チームPペギー

そして北浜までの切符を買うことにしたい。
ついでに、北浜から遠軽の切符と特急券を買うことにしたい。

・・・と思ったら、列の前の客’(オタク風)が駅員に何やら難しそうな注文をしており、駅員は営業規則のような冊子をもって別室に行っている。
どうやら旅客営業規則の限界に挑戦したいオタクつまり限界オタクのようである。
本当にね・・・

そんなこんなで切符を購入し列車内へ。

3番線からは10:24の釧路行きが、1番線からは10:23の遠軽行きが発車するが、遠軽行きの方がまだ(折り返すべき列車が)到着していないので、改札は釧路行きだけとなる。

釧路行きの方は快速となっている。
キハ54の2両編成の快速知床摩周号は定刻に発車。

快速とは言っても北浜までは各駅に停車する。
窓には霜の結晶が張り付いて綺麗である。

程なくして10:38に北浜へ到着。
「流氷の見える駅」として有名な北浜駅の所在地としては一応「網走市」ということになっている。

ここでエースの楼山を投入したい・・・

と思ったら流氷がない!?
昨日の夕方斜里へ行く列車の中ではあれだけビッシリ張っていた流氷がまるでないのだ。
自分の行いがどれだけ悪かったというのか。

本当であれば、12:16の網走行きで戻ろうと思ったが、これは11:38の網走行きで戻って、網走駅で時間を潰した方がいいか・・・?

ところで、駅舎の中でカレーの匂いがする。
中では調理する人がいるようである。
どうやら11時から開くらしい。

網走の駅で待つより、こっちで待った方がいい。
という事で、12:16まで北浜駅の中の喫茶店でコーヒー飲みつつ待つことにした。
・・・と、またメールで溜まっていた仕事の催促が来る。
こんな「流氷の見える駅」で流氷が見れなかったばかりか、仕事までやる羽目になるとは・・・

さて、発車時間も近づいたので、ホームへ行くことにしますか・・・

と、海を見てると流氷が来てる!?!?!
流氷が来なくて泣いていたところ、これはありがたい。
急いで写真を撮ることにした。

ホームにはたくさんの人が来ている。
列車に乗るつもりのない人もバスで来ているようだ。
彼らは「流氷の見える駅に、ディーゼルカーが来る」所を見に来たようである。
そんな観光需要もあるんだね。。。

ギリギリのうちに流氷が見れた喜びのうちに2両編成のキハ54に乗ると、昨日以上に客で犇めいている。やはり中国人ばかりだ。

その中国人の女の子が、曇った窓に「I Love Japan」と書いていた。
いつまでも愛される日本でいられるかどうか・・・

網走駅に到着すると地吹雪になっていた。
決死モデル:チームTフジアキ

5分の接続でギリギリ乗れるはずだった旭川行きの「大雪」は、まだ網走に到着していなかった。
網走では、石北本線よりも釧網本線の方が時間には正確のようである。

ホームでは、中国人観光客が時ならぬ地吹雪の前で記念写真を取っている。
このオホーツクの何から何までが珍しいようだった。

さて、約20分遅れてキハ183NNの「大雪」が到着した。
車内清掃をしてすぐに折り返し発車であるが、その「清掃中」 の札が、日本語・英語の他に韓国語・中国語で書かれている。
JR北海道の国際化は東日本以上となっている。

そして「大雪」は発車、地吹雪のオホーツクを西進する。

そして遠軽に到着。
かつては名寄本線も出ており、広大な構内は今は持て余している。
決死モデル:チームWBラジエッタ

「大雪」は進行方向を変えるがたった3分しか停車しない。
そして車内販売もやめているので、客は大急ぎで自動販売機でジュースを買っている。

さて、こちらは次の目的地へ行きますか・・・

 

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