スクール水着で乗りつぶしオロロンライン(2日目)

留萌で迎える朝。

今回、にしこくんの中に入っているのはチームR小沢

小沢の中の中の人はこの留萌出身である。
ということで、今や終端駅になってしまった留萌駅で決死することに。

これでも昔は、増毛方面だけではなく羽幌方面や、天塩炭礦鉄道の達布までも通じるターミナル駅だったのである。

ただ、今や「線路があるだけでもありがたい」という状態になってしまった。
ただし、留萌駅の駅舎は今でも立派な建物であり、委託駅ではなく立派に社員を配置している駅である。

さて、その終端駅となってしまった留萌駅を8時11分に発車した深川行きの単行ディーゼルカーは、留萌川を遡るようにして峠越えを目指す。

果たして、今や留萌本線唯一の列車交換駅となってしまった峠下駅に到着。
決死モデルはチームY楼山

この列車の到着時が、現在の留萌本線でほぼ唯一の列車交換の時刻でもある。

この峠下駅、周囲に人家は見当たらない。
もはや無住地帯であるのであれば、駅である必要すらなく「峠下信号場」でいいのではないか?

ただ、並走する沿岸バスの時刻表を見る限りでは、通学時刻に合わせて留萌~峠下分岐点というバスがあるので、一応全くの無住地帯というわけではないのだろう。

さて、今回の旅の来意は「沿岸バスに乗ること」なので、留萌に戻ることが必要である。
さっき見送った8:36の留萌行きの次は11:41の留萌行きとなるが、今回の旅ではそこまで待っている暇はない。

仕方が無いので、並走する国道の峠下分岐点から、バスで留萌に戻ることにする。
今回来たバスは沿岸バスではなく、共同運行している道北バス。
留萌~旭川を直通する路線であり、この路線には「萌えっ子フリー切符」は使用できない。

楼山の後ろには、同じように峠下駅を撮影に来たマニアがおり、この界隈の需要は、通学の高校生や通院の老人だけではなく、我々マニアにも支えられていると言っても過言ではないだろう。

さて、留萌に到着したら今度は羽幌方面を目指すことにいたしましょう。

沿岸バスには、留萌~豊富の羽幌線代替バスの支線として、上平~古丹別という路線がある。
支線とは言いながら1時間に1本程度出ているというから立派なものである。

ということで、いったん上平で降りる。
決死モデルはチームWBラジエッタ

上平は、見渡す限り何もない。
農家が点在しているので無住地帯ということは無いだろうが、南海電車の極楽橋並みに何もないジャンクションである。
日本のバスターミナルで、ここまで何もない所に存在する所があるだろうか。
ちなみに上平の語源はアイヌ語のwen pira。「悪い崖」という意味である。

さて、この支線の終点である古丹別という場所、本線筋から離れた場所であり、町役場があるわけではない場所であるにしてはやたら大規模な集落で、高校(苫前商業高校)や銀行やセイコーマートまである。
決死モデルはチームRナオミ

運転士さんによれば「ここは昔羽幌線の古丹別駅があったんだ。最近はバスの運転士もなり手がいなくて大変だ。大型二種免許を取るだけでもかなりの金額になるから仕方がない。バス会社でも補助出して札幌や旭川の教習所で二種免取らせている。あんたは萌えっ子フリーパスできたのかい? 何か人気があるみたいだね。俺は昨日札幌行きの特急バスに乗ってたんだけど今日はこうして古丹別行に乗務してるんだ」
沿岸バスのツイッターの「中の人」がオタクであることに関しては、特に興味は無いようだった。

さて、上平に戻ったら、今度は羽幌を目指したい。

基本的な認識として、沿岸バスの本社は留萌にあるわけではなく、この羽幌にある。
沿岸バスの中の人は、この羽幌で「萌えっ子」だの「スクール水着」だのとツイートしているということになる(はずである)。
決死モデルはチームY城ヶ崎

この沿岸バス本社の建物はなかなか味のある昭和建築であるが、昭和36年(1961年)に落成したものであるという。
当時であれば、築別の炭鉱もさぞ全盛期であったことだろう。
人口も3万人を超え、あわや市制すら目指していたという時期である。
築別炭鉱が閉山し、市制を焦った羽幌町が「人口水増し事件」を起こすのは、この本社社屋の落成から10年が経った昭和46年の事である。

ところで、この沿岸バスの本社ターミナルと、昔の羽幌線の羽幌駅は別の場所にあり、運行上の拠点としては、むしろ羽幌駅跡にあった「羽幌ターミナル」の方が重要のようである。

本社ターミナルから歩いて行ける所に、羽幌駅跡の羽幌ターミナルはある。
折よく、羽幌港連絡のマイクロバス(というよりはバン)の「観音崎らいな号」が止まっていたので、チームP桃園と一緒に撮る。
やっぱり沿岸バスに旅行に来た以上は、スクール水着のバスを撮らないとね。

さて、バスに乗ってまた北を目指したい。

左手に日本海を、右手になだらかな丘を見ながら、バスは漁村を走っていく。
ところどころ、羽幌線の鉄橋などの遺構が残っている。

羽幌から先は、初山別村、遠別町、天塩町、幌延町・・・と行くが、財務事務次官という「大蔵官僚の出世の頂点」まで上り詰めた津田広喜氏は、幌延町出身で天塩高校出身だという。
昭和23年生まれだというので、天塩高校に通っていたのは昭和39年~昭和41年度ということになり、確実に羽幌線で通っていたことであろう。
稚内高校でも旭川東高校でもなく、天塩高校というのがイカすではないか。

今晩の宿は豊富温泉であるが、あえて豊富温泉では降りずに、終点の豊富駅まで行くこととしたい。
決死モデルはチームTフジアキ

ついに沿岸バスの北の果て・豊富駅まで到着した。
ここまで来ると天塩国ではあるが、支庁としては宗谷管内であり、金融機関も留萌信金ではなく稚内信金となる。

「萌えっ子フリー切符」が使える稚咲内まで行ってみたいが、あいにく14時で最終バスが出払っている。

今晩の豊富温泉の宿は、何と1万円強の部屋しか開いていないという。
そういうことであれば、豊富駅まで車を出してもらってお迎えしてもらってもバチは当たるまい・・・

それにしたって豊富温泉は石油臭い。
浴室でも逃げ場がないほど石油臭い。

決死モデルはチームPウメコ
しかしウメコは警察マターもあり温泉マターもありで、ブログ開設以来やたら忙しい。

そういえば古丹別までのバスの運転士さんも言っていたが、この豊富温泉は、アトピーに効くのだそうな。

当方もそれほど肌が強い方ではないので、この温泉にあやかって肌をどうにかしたい所である。

Wi-Fiの使える部屋で、ブログ書いたりネット見たりしつつゴロゴロ過ごすことに。
夕食は、さすが1万円強の部屋だけあって海の幸が盛りだくさんである。


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