黒塗りの高級車すらなかった頃の徳島の田舎のホモ

美国大統領トランプ閣下におかれては、「野獣」の愛称で知られる大統領専用車をお見せになり、敬愛する金正恩同志に親愛の情をお示しになった疲れからか、黒塗りの高級車に追突してしまう。後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、暴力団員谷岡が言い渡した示談の条件とは…。

さて、こんな暴力団員谷岡みたいなホモが、昭和6年の徳島の南端のクソ田舎にいたというのである。
その事件を追ってみることにしたい。

昭和6年5月18日の徳島日日新報の記事に、県南の日和佐町の民家で火事があり、その焼け跡から若い男の死体が発見されたほか、その家の前の海部中学校(旧制)のドブの中からももう1人の死体が発見されたというニュースが報じられた。

ちなみに現在の徳島県の県域新聞は徳島新聞であるが、これはあくまで昭和16年に戦時合併で発足したものであり、それまでは「徳島日日新報」と「徳島毎日社」の2紙体制であった。
ちなみに、徳島新聞が今なお株式会社ではなく社団法人であるのもその戦時合併による影響なのだそうで、「社会の公器たる」為に、昭和19年に会社組織ではなく公益法人にしたのだという。
戦後も徳島県教育委員会管理の公益法人であったところ、2012年から一般社団法人に移行している。

さて、事件の話に戻ると、当初は死者が2名出ていることから「一方を殺害して放火し、もう一方が自殺したのではないか」と言う見立てとなっていた。
ちなみに見出しの「海中の井戸」というのは「海の中」という意味ではなく「海部中学校」という意味である。この海部中学校(旧制)は後年の日和佐高校のこと。
その海部中学の井戸から、被害者の着衣が発見されたのだった。

この事件での死者は2人とも独身者であり、おそらく三角関係のもつれが原因ではないか、と言う見立てをしている。

早速当日から警察による捜査が開始されたが、中学校の前のドブで死んでいた方は拳銃による射殺であるということが明らかになった。

警察による捜査方針としては、まず「強盗ではないか」と言う見立てがなされたようである。
強盗に入ったものの目撃されたので口封じに殺されたのではないか、ということ。
そうでなければ、被害者と格闘して火鉢でも倒して火事になったのではないか、というもの。
ちなみに昭和6年5月17日の徳島の最高気温は21.0℃で最低気温は12.4℃。(気象庁のデータより)
朝方は火鉢が必要な気候であったかもしれない。

新聞社の見立て通り「恋愛のもつれからの殺人」という説も取っていたようで、飲食店の娘を中心に聞き取りを進めていたようである。

そして犯人が挙がった旨が報じられるのは昭和6年5月22日の朝刊。

被害者の一方の思想が赤化したので殺した・・・ということが報じられている。
凶器の拳銃は砂の中に埋め込み、手斧は裏山に投げ込んだ、ということも報じられている。

共産党が非合法であった時代、この「思想が赤化した」ことは、戦前であれば殺人を犯すに足る程のことだったのだろうか。
人によっては「良くやった!」とすら褒めてくれるほどのことだったのだろうか。

それはともかく、この紙面では犯人の生い立ちも報じられており、元々酒癖が悪く、満州に行っていたこともあるらしい。

ただ・・・
あれほど大騒ぎした事件である割りには犯人逮捕の報道が余りに呆気なくはないか?
もう少し大騒ぎしてもいいような気がする。

もしかしてあれか? 浅草の青酸カリ事件名古屋市電高辻車庫の放火事件でもあったような「朝刊夕刊の法則」か・・・!?
そう思ってこの5月22日の夕刊を見てみると・・・

あ、やっぱり。
何でかは分からんが朝刊よりセンセーショナルに報じてる。

酒癖が悪いというのは朝刊の通りで、元々は別の家に養子に行っていた所、放蕩が過ぎて離縁沙汰になっていたのだという。

そして犯行の経緯としては、被害者に仕事を紹介してくれるよう頼んでいたのだという。
しかし全然仕事を紹介してくれない。
それで頭にきて被害者を中学校の校庭に呼び出した。
呼び出された方は当然身の危険を感じているわけで、拳銃持参で呼び出しに応じた。しかし相手に拳銃を奪われて逆に撃ち殺されてしまう。
そしてこの犯罪の暴露を恐れて、同居人であるところのもう1人の被害者を殺して放火までしたのだと自供した。
こちらの被害者には何の恨みも無かったのだという。
それで枕元に蝋燭を立てて合掌したのちに帰宅したのだという自供だった。
火災はその蝋燭の火から発生したのではないか、と言う見立てであった。

帰宅したはよいが、行動に落ち着きがなかったこと、そして服の一部が焼け焦げていることから真面目な兄が「まさかお前じゃないだろうな?」と問い詰める。
結局全てを白状し、兄の勧めにより警察に自首したのだという。

しかし警察に自首した犯人は、その警察署の中でカルモチンを飲んで自殺を図ってしまった。

・・・で、5月24日の徳島日日新報によれば、その自殺は完遂することになってしまった。

そして自殺に用いた毒薬はカルモチンではなく昇汞つまり塩化第二水銀であったという。
昇汞はかつて消毒薬として広く使われていたが、その毒性の強さから現在では使われていないのだという。
ともあれ、消毒の必要な所ではどこでも使われていたので入手も容易だったのだろう。

共犯がいたかどうかについては結局、分からずじまいになってしまった。

それよりも、犯行原因は「赤化した」だの「仕事を紹介してくれなかった」だのと言うものではなかったのである。
犯人は、被害者の1人(中学校のドブで射殺された方)を非常に愛していた。つまり同性愛者だったのだ。関係を結んだのは40名以上に上るのではないかと言われていた。

それがもう1人(火事で死んだ方)と関係を結んでいるのではないかという嫉妬を生んでいた。
それが今回の犯行動機であったということを、自殺前に語っていたというのである。

それにしても40人と同性愛関係を結んでいたというのはなかなかのような気がする・・・

さてではダークツーリズムと洒落込みますか・・・

そして着きましたるは国際展示場駅。
毎年のコミケで賑わう駅である。
決死モデル:チームR真夜

今晩はそのコミケほどの賑わいはもちろんない。
しかし、退勤客で結構な人数がいた。
この界隈には大塚家具などそれなりの数のオフィスがある。
そしてそのオフィスのサラリーマン目当ての飲み屋も点在している。

そしてこの国際展示場駅から有明のフェリー桟橋までは、ワゴン車による送迎がある。
車内に入ると、ほぼ満員となっており、結構な人数がこれで徳島か北九州に行くのだということが見て取れた。

そして有明のフェリーターミナルに着きましたと。
決死モデル:チームWBラジエッタ

基本、カーフェリーはお客さんを乗せる以上に車を乗せるものであるから、桟橋の前には車が犇めいているのである。

今回はwebで予約しているので切符が取れないとかそういうことはない。
あと、徳島までの十数時間で大部屋だったらモバイル電源取れるかな。。。 と心配して居たが、カプセルホテルのような個室だったのでその点は心配は無かった。
ただし、このオーシャン東九フェリーにはWi-Fiの設備はない。
それだけがただ残念である。

徳島行き(そして門司行き)のフェリーとは言うものの、行先としてはやたら高知をフィーチャリングしている。
まるで徳島なんて存在しないかのように・・・
決死モデル:チームP桃園

そういえば、JRの特急「むろと」も高徳本線や牟岐線の列車であり、あくまで土讃線の列車ではない。
室戸岬(高知県)の行き方としては、徳島回りの方がメジャーなんだろうか。

フェリーの供食設備としては、別にレストランがあるわけではなく全部自動販売機のオートスナックのような形式である。
とりあえず、徳島到着は13:05なので、かなりゆっくり寝ていることができる。

呑む福祉「ストロングゼロ」でも飲んで寝ることにしますかね・・・

・・・で、起きてみると朝の7時過ぎ。
朝風呂に入って、洗濯物をコインランドリーに放り込む。
ただしガス式ではなく電気式なので、どれだけ乾燥できるかは未知数である。

展望デッキに出てみると、潮岬付近であった。
しかしWiMAXの電波は入らない。
しばらくの禁欲生活となる。
決死モデル:チームY城ヶ崎

ただ、ネット環境が閊えないことは事前に調べて分かっていたので、船の中で仕上げたいノマドワークはパソコンに入れておいていた。
そして船の中で悠々と仕上げる。

ところで、洗濯物であるが全然乾かない。
100円を追加投入してもう30分延長してみる。
結局、徳島港が見えてきたところでどうにか着れる程度には乾いた。
いくら気候の温暖な徳島であるとはいえ、まさか11月にまで入って山下清みたいな恰好で歩くわけにもいくまい。

そして徳島港の入港と相成る。
時刻としてはちょうど13時05分ちょうどであった。
決死モデル:チームTフジアキ

徳島には、この東京からのフェリーの他に、和歌山行きの南海フェリーも出ており、拙ブログでも乗っている。
しかし桟橋は別の所にある。
どちらも本数的には少ないので、ターミナルを統一はできないものなのだろうか・・・

ともあれ、「オーシャン東九フェリー前」から入港時刻に合わせて徳島市営バスが徳島駅に直通便を走らせている。
この直通便があれば、徳島駅まで一本である。

そして徳島駅に到着。
徳島の駅前には、色々な会社のバスは出入りする。
今回乗った徳島市営バスのみならず、徳島バス、JR四国バス、小松島市営バス、淡路交通・・・
ただし、小松島市営バスは2015年に廃止になり徳島バスが運行を引き継いでいる。しかし旧小松島市営バスのカラーの車輛は今でも見ることができ、ちょうどさっきも停まっていた。

それはともかく、徳島駅で「四国みぎした55切符」を買い、4番線から14:00の阿南行に乗ることにする。
本当は13:30の海部行きに乗りたかったが、さっき徳島市営バスに乗っている時に頭上を走り去ってしまった。
この次は15:30の海部行きと言うのがあるのだが、これだと日和佐到着が17:03になってしまう。
日の短い昨今、これでどこまで撮影できるものかは微妙である。

ともかくも、この14:00のに乗って行けるところまで行きましょう・・・

徳島を発車した1両きりの1200系は、満員の乗客を乗せている。
途中、二軒屋と南小松島でまとまった数の乗客を降ろしていった。

そして、那賀川の北岸となる羽ノ浦町の羽ノ浦駅で7分停車と言うので決死を始める。
決死モデル:チームR持田

現在、ここはすでに阿南市に合併されている。
駅舎は古くて好ましいのだが、またJR四国のあの余計なファザードが付いている。
こんな妙ちきりんなファザードを付けた程度でリニューアル工事をしたつもりになっているのだろうか・・・?

さて、それはともかく那賀川を渡り阿南に到着する。
もともとは「富岡」と言う地名であったものが、昭和33年に富岡町と橘町が合併して「阿南市」が発足したという経緯があるようである。

で、この阿南で何をやるかなのだが・・・

阿南~日和佐間にバスでもないかと思って調べていたら、あったのである。

それは大阪~室戸岬の高速バスであり、運行会社である徳島バスが阿南~甲浦間に限り、途中乗降を認めているというものであった。
決死モデル:チームWB嵐山

ところで、この阿南から乗った客の中に、どう見てもさっきまでフェリーに乗っていた女性がいるのだが・・・
失礼ながら、ツイッターを覗いてみたらやっぱりそうだった。
これ以上言うとまるでストーカーのようになってしまうので、これ以上のことは言うまい。

さて、バスは国道55号線を南下する。
国号55号線と言えば「みぎした55切符」は、この高速バスに使うことはできない。
なので別途800円を払わないといけない。

そして日和佐に到着。
日和佐駅の裏にある「道の駅日和佐」であった。
決死モデル:トルソーさんナイ

16時半前に到着したが、これが17時過ぎの到着だったらこんなに明るかったかどうかは分からない。

日和佐と言うのは景色がよく、山の上には城が立っている。
見たところ宿場町のように見えたが、城下町でもあるようだった。

さて、では例の事件現場に行ってみましょう・・・

現在、旧制海部中学の後進である日和佐高校は海南高校と合併し、後者は海南町の方にある。
つまり日和佐高校は現存しない。

その日和佐高校の跡地は、国道55号線から「日和佐隣保館」とある方向にある。
そうか隣保館か・・・

さて、その日和佐高校跡地の近くに行くと、逆光であるのみならず農家の人まで出てきた。
こうなると決死がやりにくい。
「お兄ちゃん、何撮ってるの?」なんて尋問された日には答えにくい。
そんな質問をされた時の回答を頭の中で用意することにする。
確か甲子園に出たことがなかったっけ・・・? 有名な選手とかいたかな・・・
決死モデルチームPウメコ

その答えを出すこともできずに現地へ。
農家の人もこちらを気にすることなく農作業に精を出している。
しかしこうも逆光だと写真も撮りにくい。
きっとこれは「ここで写真を撮るな」という何かのお導きなのかもしれない。こういうのは市羽村の一家鏖殺事件の現場でも感じた。

さて、撮るだけ撮ったら退散しましょう。

ところで、こんな風光明媚な所であれば、海部行きの列車を1本遅らせてでも大浜海岸まで行ってみることにしたい。

大浜海岸と言えばウミガメの産卵で有名な所。
ただしいつでも散乱しているわけではなく、年に1回あるかどうかなのだという。そしてそれは6月が多いのだという。

しかし、そういうのが無くても大浜海岸というのは風光明媚な海岸である。
決死モデル:チームPペギー

さて、ではあとは海部行きの列車を待ちますかね・・・
時間が結構あるので、日和佐の中華料理店で夕食とすることにする。
その店は何と麻婆豆腐をやっていない。仕方が無いので炒飯を食べた。

そして海部行きに乗る。
1500系の2両編成であった。
それも車掌が乗務しているツーマン車両。

後の車輛に乗っていると、車掌氏が「この車両は牟岐で切り離しますけんね、前の車輛に移って下さいね」
「~けん」は阿波では言うだろうか? それともあの車掌氏は伊予の人?

ともかくも牟岐に到着し、切り離し作業となる。
さすがに最近の車輛だけに、切り離し作業は極めて簡単である。
決死モデル:チームP芳香ちゃん

牟岐駅は昭和17年開業であるが、昔の駅舎がそのまま残っている。
写真撮影したいがもう既に真っ暗闇となっている。
泣く泣く撮影は断念した。

そしてあとは終点の海部へ。
海部から先は阿佐海岸鉄道となる。

その阿佐海岸鉄道の唯一の中間駅である宍喰で下車し、ここの民宿で泊まることにする。

ところでこの宍喰駅、無人駅ではないのである。
ここの駅長はイセエビなのだそうな・・・
決死モデル:チームR小沢

あとは民宿にこもってブログつけをするのみ。

(文字数ランキング25位、上位1.9パーセンタイル)

 

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です