今日は「boxing day」だそうな。
boxingとはボクシングではなくboxが動詞化して現在進行形になったもの。
つまり、あの「ボクシング・ヘレナ」と同じである。
今日は「boxing day」だそうな。
boxingとはボクシングではなくboxが動詞化して現在進行形になったもの。
つまり、あの「ボクシング・ヘレナ」と同じである。
「ローラだよ」と敬語を知らないおバカキャラだったローラが「辺野古の自然を守る署名をしよう」と言ったら・・・
<サンデー・ジャポン> ローラ「辺野古埋め立て中止の署名発言」に 西川史子「沖縄の問題は環境問題だけではないから。普天間どうするの」~ネット「西川史子&デーブ・スペクターが正論だよ」 https://t.co/da1Akn9r7e
— アノニマス ポスト (@anonymous201504) 2018年12月23日
12月23日は欠損バーのクリスマスパーティーがあり、ほぼフルメンバー揃うことになる。
【12/23クリスマスパーティ】16時〜、17時45分〜の回にはまだお席ございます☆
残りわずかですのでお早めに!!https://t.co/xgG3pk3FQE— 欠損BAR ブッシュドノエル公式 (@bucheden0el) 2018年12月20日
昭和13年、盧溝橋事件で始まった日中戦争は泥沼の様相を呈していく。
そして4月1日、国家総動員法が公布される。
3日前は「飛行機の日」だったそうな・・・
12月17日は【#飛行機の日】
1903(明治36)年、ウィルバー&オーヴィルの #ライト兄弟 がアメリカ・ノースカロライナ州のキティホークで、動力飛行機ライトフライヤー号の有人初飛行に成功。ライトフライヤー号は、現在、スミソニアン国立航空宇宙博物館に展示されている。
写真:AP/アフロ pic.twitter.com/P6MSgE9K18
— 婦人画報 FUJINGAHO (@fujingahojp) 2018年12月16日
その日は会社の忘年会で何をやる暇もなかったようである。
体重の推移は以下の如し。
11月29日の-2.0祭からものの半月で、-3.0に漕ぎつけることができた。
さすがはカロメ生活の威力である。
とりあえず順調に激減を続けているのでこの調子でカロメ生活にこれ努めたい。
行けるかどうか危ぶまれていた虎ノ門ヒルズの「義足ガールズトーク」であったが・・・
【16日まで】虎ノ門ヒルズ2Fアトリウムでパラアスリートを数多く撮影してきたフォトグラファー #越智貴雄 さんの写真展が開催中。陸上の #前川楓 選手など撮りためた #女子義足アスリート や #切断ヴィーナス #義足のファッションショー の3本立てで構成されています!https://t.co/QDdLcy4oy4
— パラサポ (@parasapo) 2018年12月4日
今度新しく日比谷線の駅ができるという虎ノ門ヒルズで、切断ヴィーナスの写真集をやるという。
「越智貴雄 写真展」@ 虎ノ門ヒルズ2Fアトリウム。「女子義足アスリート」「切断ヴィーナス」「ファッションショー」。必見です。7時から23時までという虎ノ門ヒルズの開館時間いっぱい展示を見られるのもうれしい。12/16(日)まで。12/8(土)にトークショーもあります。 pic.twitter.com/LdalX2YyLb
— エリソン (@HerissonK) 2018年12月5日
去る11月27日に紹介した「上海南駅の赤ん坊」の写真は、日本でもネトウヨ業界で特に有名だったようで、「反日的捏造」の象徴にすらなっているようである。
2018年にトランプの悪イメージを拡散したのが「TIME」誌なら、81年前の昭和12年(1937)の米国「LIFE」誌10月4日号に上海南駅で日本軍の爆撃で泣き叫ぶ赤ん坊の写真が掲載。これら第二次上海事変のプロパガンダ写真の数々が米国民の反日感情を煽り対日戦争を用意した。この写真は演出されて撮影された pic.twitter.com/fd0F9PcFxw
— 西村幸祐 (@kohyu1952) 2018年6月24日
昔の学制では、現在の防衛大学校に該当する学校として「陸軍士官学校」「海軍兵学校」があった(ただし現在の防大と直接の接続はない)。
そしてその上に「陸軍大学校」「海軍大学校」という現在の自衛隊で言う幹候学校みたいなのがあり、その陸大を首席で卒業すると、畏くも天皇陛下の前で講演を行う「御前講演」を行うのが通例であったようである。
下村定中尉の御前講演。マルヌの会戦の経過とその分析。
有名なタクシーによる兵員輸送にも言及。
末尾で日露戦争で只管突撃を繰り返した当時に触れつつ、数の上で優勢だった仏軍が敢えて退却を決断した点を肯定的に評価しているのが興味深い。 pic.twitter.com/Ehe5DrkRxd
— 退役 (@Schlieffen_Plan) 2015年12月8日
四肢のうち三肢までが無いという「triple」で最も有名なのは、エクアドルのVictoria Salcedoさんじゃないだろうか。
体重の推移は以下の如し。
まあ昨日-2.0祭したので減ってるということはないだろう。
ただ10回平均で見れば確実に減ってる。
この調子で-3.0の高み・・・いや低みを目指していきたい。
そのためには引き続きカロメ生活を続けていくのみである。
「義手と義足の昭和史」前回で紹介した盧溝橋事件の1か月後。
今度は上海で戦闘状態が勃発した。これが「第二次上海事変」である。
これは「LIFE」誌の1937年10月4日号に掲載された「上海南駅の赤ん坊」という有名な写真であるという。
日本軍の爆撃により一人上海南駅に投げ出され、大火傷を負った赤ん坊。
Wikipediaによれば、以下のような状況であったという。
午後4時、16機の日本軍の飛行機が来襲し、空襲によって上海南駅で杭州行きの列車を待っていた市民たちが多く死傷した。王小亭は急いで彼の車で廃墟となった上海南駅に駆け付けた。彼が駅についたときの惨状と混乱を、彼はこう語っている。
「それはひどいありさまでした。人々はまだ起き上がろうとしていました。死者や負傷者が線路やプラットホームを越えて散らばっていました。手足がそこらじゅうにありました。私の仕事だけが見たものを忘れさせてくれました。ふと、私の靴が血で浸されているのに気付き、私は映写機の再装填をやめました。線路まで歩いていき、頭上の燃えている橋を背景に長回しのシーンを撮りました。そこで線路から赤ん坊を拾い上げプラットホームに運んでいる男性を見つけました。彼は別の酷く傷ついた子供のところに戻って行きました。その母親は線路で死んで横たわっていました。私がこの悲劇を映画に撮っているときに、飛行機が戻ってくる音が聞こえました。即座に残った映画フィルムで赤ん坊を撮影しました。私は赤ん坊を安全なところへ運ぶために走って行きましたが、そのとき赤ん坊の父親が帰ってきました。爆撃機が頭上を横切りました。爆弾は落ちてきませんでした。」。
やけどを負い、けがをして泣く赤ん坊の名前も性別も、この後生き残ったのかも不明のままである。
いずれ、この写真は、アメリカの中国への同情と、反日感情をあおることになったのだという。
ちなみに、この当時の上海南駅は、現在杭州への高速鉄道が発着する上海南駅とは全く別の場所にあり、上海軌道交通4号線の「西蔵南路」と「南浦大橋」の間ぐらいにあったのだという。現在の上海南駅は、上海市街の南の外れ。
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