【義手と義足の昭和史】義手の戦闘機パイロット(S13.8.4)

3日前は「飛行機の日」だったそうな・・・

その日は会社の忘年会で何をやる暇もなかったようである。

さて、その「飛行機の日」を記念して、「義手と義足の昭和史」は飛行機ネタを。

昭和13年8月4日の東京朝日新聞では「大空に再生の歓喜 翔る隻腕の荒鷲 九年研究の義肢成功」と題した記事が掲載されている。

ちなみに、この頃は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」の題号が健在だった。
元々、朝日新聞は明治12年(1879年)に大阪で創刊されたものが最初である。これが明治21年(1888年)に東京の「めさまし新聞」を買収することにより東京に進出、東京日日新聞、報知新聞、時事新報、国民新聞と共に「東京5大紙」として知られることとなったが、関東大震災で東京日日は大阪毎日に併合され、大阪に本拠のあった朝日新聞はそれが有利に働き、規模を伸長することとなる。
ちなみに、この「東京五大新聞」に読売新聞はなく報知新聞があるが、この2紙が合併するのは昭和17年(1942年)のことで、小田急や京王や京急が東急に合併されたように、新聞社も戦時合併されたのである。

ともあれ本題に戻ると、昭和11年に左腕を失い失意のどん底にあった戦闘機乗りのパイロットに、内幸町にあった義肢研究所の所長が「よしッ!僕がその義手を作ってあげる」と一念発起し、9年間の研究の成果を込め、残存部の筋肉の動きから可動義手を作ったということのようである。

そして、この義肢研究所長のセリフが奮っている。
これで飛行機に乗ってみ給え。失敗すれば墜死だが、その時は僕も切腹する

果たして6月26日、義肢でのフライトは成功裡に帰したようで、「白衣の勇士」に多大な希望を与えた、とこの記事は結んでいる。

 

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