【義手と義足の昭和史】産業傷兵よりも気になる軍需工員のブラック体質(S13.8.8)

昭和13年、盧溝橋事件で始まった日中戦争は泥沼の様相を呈していく。
そして4月1日、国家総動員法が公布される。

日本中の全ての価値観が「戦争の勝利」「戦争に役立つこと」に振り向けられていく。

そんな中、昭和13年8月8日の東京朝日新聞では「工場の哀しき犠牲 産業傷兵を救え」という見出しの記事が掲載されている。

実際の傷痍軍人に関してではなく、工場での負傷者に関する記事となっているが、サブタイトルは「彼らもまた戦士」。この時点で、いかに「戦争に役立つこと」という価値観が高く称揚されていたかということが見て取れようというもの。

このような「産業傷兵」を救おうという運動が勃興したのだという。
具体的には財団法人義肢研究所が技術員を数名派遣し、諸々の指導を行うということのようであった。

それ以上に気になるのは、

ベルトで右腕を失った職工が病院への道すがら、
一寸ちっとも痛くない、すぐ戻るからくびにはしないでくれー!
と叫び続けたという痛ましい話も少くないが・・・

今、これを「昔話」として語ることができるだろうか?
このニュースからちょうど80年たった今なお、ブラック企業は後を絶たないではないか。

日本は「いつか来た道」をどこまで繰り返すのだろう・・・?

 

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