63回目の荷風忌

日本付近は高気圧に覆われている。
今日1日、いい天気で推移しそうだ。

今日4月30日は、永井荷風の63回目の命日「荷風忌」となる。

「あめりか物語」「濹東綺譚」で文名を成した永井荷風はまた、早い時期に結婚に破れ、それ以降は自由に生きた。
大正6年、数え年で37歳以降の日記は「断腸亭日乗」として、これこそが荷風最大の傑作ではないかとすら言われているほどのものだ。

昭和34年4月30日の夕刊各紙では、その永井荷風の訃報を報じている。
それは「孤独死」と言えるものだった。

晩年は、市川市内の自宅から浅草のストリップ劇場に通い詰め、楽屋で踊り子と交流することもあったのだという。
当時であれば、本八幡から総武線の40系電車で浅草橋まで行き、浅草橋からは22番の都電だっただろうか。

ともあれ、その4月30日の朝、老境に達していた荷風の身の回りを世話する近所の女性が、自宅玄関が開いていることを不思議に思って入ってみると、荷風は普段着のまま、こときれていたのだ。
その後の医師の見立てによれば、胃潰瘍によるものではないかと言われていた。

「変人」と言われた荷風は親族とすら付き合いが無く、訪れる人もほとんどいなかったのだという。

荷風の死に顔は、非常に有名な画像となっている。
自由で孤独に生きた人の最期を象徴するものであった。

この、自由人であったこと、日記をつけ続けていたことが、永井荷風に対するリスペクトとなっている。

翻ってなぜ自分は日記を書くのか。
日記を書いている時間があったら、もっと有意義に何かに時間を使えるのではないか?
よくそう思うのだが、日記を書かないと、まず反省をすることができない。
また、過去にやっていたことを調べるのに時間がかかってしまう。そのこと自体が時間のロスなのだ。
結局、やったことは記録していた方が人生全体としては時間のロスが少ないのだ。

ともあれ、昨夜ぽわんちゃんの店の前にホテルを取ったのは、琴音ちゃんのイベントの他に、今日の朝、荷風を偲ぶ旅をしたかったからということもある。

目が覚めたのは、8時近くであった。
昨夜は3時ごろ寝たので、まぁこんなものなのだろう。

急いで、昨日更新できなかったインスタ仕事、副業ブログ、副産物ブログを更新してしまう。
これらのうち、何かを断捨離すると言うのは、なかなか難しそうである。

そして、昨日洗いに出した7名も乾いているので、イロハシャッフルを行う。
ここからしばらく、ゴールデンウィークの間はこの陣容で決死していくこととなる。

そして8時半頃、テレビの「チコちゃんに叱られる」を見つつ、ホテルを出発する。

今は、Googleマップがナビをしてくれるので、どこに行くにしても迷う事は無い。
新宿区余丁町にある「断腸亭」の跡に行くには、かなり細い道を通っていくことになるようだ。
実に閑静な住宅地で、ここに住んでいる人は、よほど財産を持っている人に違いない。

閑静な住宅地から、バスも取れそうな広い通りに出る。
そして、そこをしばらく歩くと、目指す「断腸亭」の跡となる。

現在では、開業医の入った小さなビルになっているが、新宿区によってここが断腸亭の後であることが説明されている。

断腸亭日乗」の歴史が、ここから始まったのだと思うと、非常に感慨深い。

さて、次の目的地に行きましょう。
しかし、ここは周りを見渡しても、まるで朝食を食べるところがない。
半ばあきらめかけていたところに、「中でお食事ができます」と案内のある店が出てきた。
ここは、お米やお惣菜の店のようである。

中に入って、おにぎりやコロッケを買うことにした。
しかし、狭い店内には先客がいるので、密になるので中で食べることができないと言う。

仕方がないので、どこか公園で食べることにしよう。
都営大江戸線の若松河田駅に行く途中に、公園があるようだ。

その公園に行くためには、やはり閑静な住宅地を通っていく。
住居表示を見ると、ここは「新宿区河田町」だと言う。
お台場に移転する前のフジテレビはこの辺りにあったのだろうか。

果たして、その公園で朝食とする。
ありがたいのは、その公園にゴミ箱があったということである。
さすがは新宿区である。
他の自治体のように、「ゴミは持ち帰りましょうね」なんてケチくさい事は無い。

その公園には「出世稲荷神社」と言う神社がある。
これも何かの縁だと思い、ここで出世を祈願することにした。

そして、都営大江戸線の若松河田駅へ。
さすがは大深度地下鉄だけあって、エレベーターを何個も乗り継いで行く。

そして若松河田から飯田橋へ。
飯田橋からは、、南北線に乗り換えることとなる。
ここもたいがい大深度地下鉄である。

そして地下鉄南北線で六本木1丁目に到着。
六本木一丁目の改札を出ると、そこはいかにも港区的な、おしゃれな空間が広がっている。

そしてまた、この泉タワーレジデンスこそが、目指す「偏奇館」の跡となるのである。
ただ、せめてその永井荷風旧居の跡であることを示す表示板ぐらいはみたいでないか。

そのためには、エスカレーターを何本か乗り継いで地上に行かなければならない。
この辺は、本来は山がちな地形であるようである。

そして、通りに面した港区教育委員会の表示板にたどり着いた。

…と、なんだかカメラが不調である。
昨夜十分に充電したはずだったのに。
そのうち、年月日が大になってしまった。
これは尋常ではない。

モバイルバッテリーで充電しながら、南北線で永田町を目指す。
永田町では、有楽町線のホームを経由して、2番出口に出る。
ここから、国会図書館に1番近い地下鉄の出口である。

国会図書館に到着したのは、10時半ごろとなる。
いつもより1時間程度遅れたと言うことになる。

そして、例によって副業ブログ向けの新聞資料の収集となる。
そして、ダークツーリズム用の資料も収集する。

有名な、永井荷風の臨終の際の写真は、朝日・読売・毎日の朝全国にも掲載がなかった。

いつもであれば、第2陣まで200枚の資料を収集するのだが、今回は、永井荷風のゆかりの地をめぐることを優先するため、第1陣で終えることにする。

それでも、紙の資料も合わせて120枚程度収集することができた。

さて、例によって首相官邸の前を経由して溜池山王で昼食とすることにしよう。

果たして溜池山王のすき家でガリマヨ牛丼。
喉を痛めているのに、懲りずに唐辛子を摂取する。

そして歩いて会社に向かう。
직맹の事務室で資料をPDF化する。
この時点では、16時が過ぎてしまった。

次は、浅草のロック座に行くことにしたい。
浅草のロック座は、晩年の荷風が通いつめ、多くの台本を提供したことでも知られている。

ここから、地下鉄銀座線の虎ノ門駅まで歩いて、銀座線で田原町まで行く感じになるだろうか。

ということで、虎ノ門から銀座線に乗るが、車内では副業ブログでもやろうかと思ったが、つい寝てしまった。
目覚めたときには、その田原町に着くところであった。

そして下車し、田原町の通りを北へ上がっていく。

雷門の通りに出ると、仏具店やダルマ店など、浅草らしい店が並んでいる。
浅草六区は人混みで賑わっていた。

果たして、浅草ロック座は盛業中であった。

本当は、ここで夕食がてらホッピーでも飲んで行きたいが、荷風ゆかりの地はもう1つあり、そこへ行くこととしたい。

次は、都営バスに乗って三ノ輪へ行くことにしたい。
吉原の遊女の投げ込み寺として有名な「浄閑寺」に、荷風の詩碑があるのだ。

ロック座から1番近い駅はTXの浅草。しかし、浄閑寺に1番近い駅は地下鉄日比谷線の三ノ輪駅なのだ。

そこへ、草43系統や草63系統の都営バスが出てくるのである。

そして都営バスで三ノ輪駅前に到着。

バス停から横断歩道を渡って、浄閑寺へ赴く。
ところが浄閑寺の門は閉まっていた。
拝観時間は17時までだというのである。
現在時刻は17時26分。

まぁこの件はここまでということで、永井荷風を偲ぶ旅はこれにて終了としたい。

さて、日比谷線と丸ノ内線を乗り継いでぽわんちゃんの店へと赴くことにしたい。
荷風が芸者遊びをしていたように、自分にはぽわんちゃんがいる。

そして銀座で丸ノ内線に乗り換える事に。
ところで、なんだか体調が優れない。
体が火照っているような気がする。
別に匂いがしないとか、喉が痛いとかではない。

今日も行きたいのだが、明日のイベントもあることとて大事をとって今日は素直に帰ることにしたい。

果たして、丸の内店は逆方向の東京方面に乗る。
そして東京駅から山手線で御徒町へ。

素直に帰るにしても、最後はカツ丼でしめたい。
晚年の荷風といえば、大黒屋のカツ丼である。
八幡の大黒屋とはいかないまでも、富士そばのカツ丼でもいいだろう。

そして夕食はカツ丼。
カツ丼を食べたら、後はアメ横を通って上野駅へ。

上野駅からは常磐線で帰途につく。
北千住を過ぎたあたりから副業ブログに取り掛かったが、4記事ぐらいつけることができた。

そして松戸駅のアトレの中のスターバックスでしばしこのブログをいじる。
私的devotee史」に、世の中の出来事に自分がどのように日記に付けたかを書くことにしたい。
そのようにして、時代の中で自分がどのように生きていたかを記録できようというもの。

荷風の「断腸亭日乗」も、スペイン風邪・関東大震災・東京大空襲といった歴史上の出来事をどうを描写しているかということが後年の読者の興味をひいている。

ただ、このようにしてしまうと、後々記録に残りそうな歴史上の出来事は、必ずメモしておかなければいけないという強迫観念も生まれてしまう。
事実、ウクライナ侵攻の始まった2022年2月24日には、何らメモしていないのである。

ともあれ、22時を回ったので新京成線に乗って帰途につくことにしたい。

あと数時間で5月とはいうものの、結構寒い。
ヒーターをつけたら、なんと12°cだった。

結局、風呂に入ったのは0時近く。
こんな状態で、明日早起きしたところで「全身が痛い」とかそういうことになっているのだ。

風呂の中では、以前使っていた Android のスマホをZiplocに入れて使っているのだが、こちらの方が却って音はよく取っていないだろうか。

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