風雲!松尾城

軍艦島も世界遺産になるのならないのでアッチ方面やコッチ方面も色々と喧しい所ではありますが・・・

行ってみるにくは無しということで行ってみましょう!

相変わらず、行く手段は飛行機ではなくキングオブ高速バス・はかた号。

ということで、バスタ新宿へ。
決死モデル:チームT美川

後ではJR四国の松山行きが出て行こうとしている。
そういえば西条祭りに行った時は向こうに乗ったんだった。

さて、今回もまた、2か月前のいわゆる「8時打ち」で、高級シートをゲットしたので、悠々と乗って行くことにする。
さすがに3列シートのはかた号というのはきつい。
これが旧ツアーバスに至っては4列なんてのがあるからね。
最安で7,800円で博多に行けるらしいが、到底これで行く気にはなれない。

さて、はかた号は順調に新宿を出発し、一路西を目指す。
ということでしばしおやすみなさい。

・・・翌朝。

目覚めた時には広島のあたりだった。
中国道ではなく山陽自動車道を走っていく。
どうせ新宿から小倉まで素通りなので、交通量の少なさそうな中国道でも行けばいいような気もするのだが、山陽道を通ることにメリットがあるのだろうか?
冬場であれば路面凍結のリスクが少ないとか・・・?

さて、はかた号の朝の休憩は山口県防府市の佐波川サービスエリア。
決死モデル:チームWB小津麗

さすが安倍首相の出身地だけあって、安倍首相関連の品物もある。

ところで、日本で最も総理大臣を輩出しているのは山口県であるが、菅直人(宇部)はそれに含まれていないという噂もある。そのあたりどうなんでしょう?

それは兎も角、バスは順調に関門大橋を渡る。

果たして小倉駅に到着。
決死モデル:トルソーさんメア

時刻通りであれば9:51の到着であるが、今日は9:30頃の到着なので、その分だけ余裕をもって旅程を組む事ができる。
基本的には「はかた号」は博多まで乗ることは無く、小倉までにしている。
小倉から先は、市街地を進むだけに時間が読めないのである。

今回使う切符は、「旅名人の九州満喫きっぷ」。
これは、青春18きっぷ同様、普通列車にしか乗れないが、西鉄や熊本電鉄など、九州内の私鉄も乗り放題という素晴らしい切符である。
今回は、筑豊電鉄や島原鉄道も旅程に入れているので、こちらを使うことにする。
ただ、使うのは2日間だけなので、あと1日を、この先の3か月以内に使いこなさないといけないということになる。
さてどこで使いましょうかね・・・

黒崎へ行く列車は、9:53と9:57と、何と4分おきに出ている。
まるで山手線並み・・・と思ったが、9:53の方は筑豊本線経由で博多に行く系統であった。
それにしたって福岡・北九州周辺の列車頻度は高い。

さて、黒崎に到着しましたと。
決死モデル:トルソーさんナイ

筑豊電鉄にも低床車が導入されている。
一昔前であれば、あの西鉄福岡市内線や北九州市内線の雰囲気を残す連接車が走っていたものであるが。

中間や直方への電車は、1時間に5本、つまり12分に1本出ているが、半分は筑豊中間までの区間運転である。
中間までの系統では、今回目指す楠橋まではいけない。

さて、筑豊電鉄に乗ってみて感じたのは、意外と高架区間が多いということである。
だからこそ残ったのであろうが・・・

右手に線路が増え、車庫が見えてくると楠橋に到着。
ここは筑豊電鉄の営業所のある駅でもある。
決死モデル:チームY宇崎

Yahoo路線によれば、次の行程まで1時間の時間があるという。
1時間あれば目的を達することはできるだろうから、車庫で昼寝している西鉄の連接車を撮影することにする。
もうこの車両は予備車になっているのだろうか?

さて、とりあえず撮ったら目的地を目指すことにしましょう。
本当なら、デカいリュックは黒崎なりどこなりのコインロッカーに置いていきたかった。
デカい荷物を持って歩いていると身ぐるみ剥がされる危険も考慮しないといけないような場所・・・ と思っていた。

アップダウンの激しい田舎道を10分も歩くと、墓地の先に巨大な城郭が見えてくる。
これが1日目の目的の「松尾城」である。

この松尾城、築40年になるという由緒ある城であるが、由来はWikipediaのこのページに詳しいので適宜読んでいただきたいところ。

石垣は本格的に見えるが、コンクリートでできている模様。
敷地は細い道で分断されているが、その間に橋が架かっている。

また、その橋の下にある、敷地を分断している細い道に回ってみると、派手な感じの門がある。とうてい堅気の感じはしない。

もう何と言うか・・・ 凄いね。

ちなみに、この城から少し北に行くと、観音像が立っている。
この観音像は、建主自分自身をモデルにしたのだと言われている。
こちらも正面から写真を撮りたかったが、城郭に邪魔されてしまい後ろからしかとることができなかった。

さてさて、ここから素直に楠橋に戻るか、筑豊本線の鞍手駅に行くか。
鞍手駅に向かって歩くことにした。
周りは一面の田んぼである。

ここから鞍手駅へ行くのに遠賀川を渡る橋は、名もあろうに「北九鞍手夢大橋」。
何とも魁偉なネーミングである。
決死モデル:チームR小沢

さてこの橋を渡り、なおも田んぼの中を行くと、その中に鞍手駅が見えてくる。
かつては長大な石炭車が犇めいていたであろうこの路線も、現在は通称「福北ゆたか線」として、福岡や北九州の都市路線として変貌を遂げており、日中は20分に1本来る。

ローカル線としてはなかなかの頻度であり、待たずに乗ることができる。

そして直方で乗り換え。
直方を直通して博多まで行く系統も無くはないが、大体が直方乗り換えとなる。
ただし、乗り換え時間は2~5分程度で、同じホームでの乗り換えができるのでさほど苦ではない。
むしろ、博多口は転換クロスシート車が充当されているようで、始発駅として座る事ができるのでありがたいくらいだ。

ちなみに、直方まで乗ったのは819系「DENCHA」

なんでも蓄電池駆動の電車らしい。
そういえば烏山線でも似たようなのが走ってた気がする・・・
ただ、このDENCHAが違うのは、交流区間の蓄電池車は初であるということらしい。
JR九州らしく、意匠が派手である。

さて、直方から先は博多行きで、駅ごとに客が増えていく。
飯塚では乗客の出入りが多く、ほとんどの座席が埋まっているという状況。

果たして桂川に到着。
決死モデル:チームP桃園

ここからはいわゆる「原田線」のディーゼルカーに乗って行きたい。
原田線はこの桂川から博多を通らずに、鹿児島本線の原田へ行くもので、かつてはブルートレインの「あかつき」も博多を通らずこの原田線経由で走っていたのである。
しかし現在は、ブルートレイン自体が全くなくなっている。

現在の原田線は、1日数本のローカル線になり果てており、交換駅は全くなく「全線1閉塞」というやつである。
車両は、おそらくは直方所属のキハ40系が使われており、今回の車両も原田からの折り返しではなく、直方の車庫から出てきたのが使われていたようである。

原田線は山の中を行く。
トンネルを越えた先には平野が広がっており、原田に到着する。

原田からは荒尾行きの快速で行くことになる。
新幹線が開業したとはいえ、鳥栖までは、長崎・佐世保行きの特急街道であり、追い抜きの長時間停車も多い。
決死モデル:トルソーさんラ・バルバ・デ

西武ライオンズになる前の太平洋クラブライオンズは福岡市議会議員の嫌がらせなどでとにかく金がなく、島原キャンプに電車で行ったという逸話もある。
今回は大牟田~島原フェリーに乗るので、さながら「太平洋クラブライオンズの足跡を偲ぶ旅」とでも言えようか。

本当は原田からタクシーか何かで西鉄筑紫駅へ行き、西鉄電車に乗って当時のライオンズ気分で大牟田を目指したかったが、原田線を経由したこともあり時間的に厳しいので、JR九州(太平洋クラブライオンズがあった頃なら国鉄)に乗って行くことにする。

はい、大牟田に到着しましたっと。
決死モデル:チームY間宮

ちなみに間宮中の中の人は福岡県出身である。
最近はポーカーにはまっているようで、世界大会にまで出場した模様。

さて、三池港へのバスは大牟田駅の表口である東口ではなく、裏口たる西口のようである。
西口はまた、西鉄電車の発着する側でもある。
大牟田市自体、炭鉱の閉山で地盤沈下傾向にあるようで、大手私鉄の電車が来るほどの都市ではなくなってきつつあるようである。

大牟田駅からはさすがに西鉄のバスで三池港へ。
決死モデル:チームY城ヶ崎

駅から三池港へのバスは、純粋に島原へのフェリーに合わせて発着しており、フェリーと同じ4往復となっている。

そんなわけで、駅からはノンストップで三池港に直行する。
お客さんは座席がすべて埋まる程度で、福岡から島原へ行く最短ルートという割には、それほど埋まっているわけでもないという印象を受けた。
というか、普段福岡~島原間の最もメジャーなルートってどれになるんだろう。高速バスとか?

さて、三池港のフェリーターミナルであるが、これまでの「フェリーターミナル」の概念を突き崩すような小ぶりで、それも古風な自分好みの建物である。
・・・あ、でも富山で県営フェリーに乗った時もこんな感じだったかな?

兎も角も、この三池港は現在世界遺産に認定されている程の由緒ある港となっている。
本当であれば、この大牟田市自体をゆっくり旅行したかったところではあったが・・・。

さてフェリーに乗りましょう・・・
って「フェリー」ってこれ!?!?

随分と小ぶりな「フェリー」であることよ。
むしろ「高速船」と表現した方が良さそうな規模である。
まあバスに乗ってきた人数を考えるとこんなものだろうか。
少なくとも「フェリー」というからには車も積載できるほどの大きさかとも思ったのだが全然そうではない。
では福岡から島原に車で行くにはこのフェリーではなく何で行けばいいというのか・・・?
というか、島原半島は地続きなので、諫早まで高速道路使うだけか。

さて、ものの1時間強の航海で島原に到着。
バックには雲仙岳が聳え立っている。
決死モデル:チームPみく

なかなかのロケーションである。
この島原港からは、熊本へのフェリーも出ており、こちらは10往復程度あり、たった4往復の三池航路と違ってこちらがメインラインの趣を呈している。
船体も熊本便はいかにも「フェリー」然とした大ぶりなものとなっている。
それもそうか。対福岡の交通は高速道路を使えばいいわけで、熊本など南九州方面にはまだフェリーだけが頼りの状態である。

さて、ここからは島原鉄道で諫早を目指したい。

島原鉄道の島原外港駅は、フェリーターミナルから5分程度歩いた所にある。
本当であれば、島原鉄道はこの先、島原半島南部の加津佐まで伸びていたものが、2007年にこの島原外港から先は廃止になったのである。
本当は南島原で廃止したかったようだが、島原市の要請でせめて外港までは、ということになったらしい。

実は、廃止直前に加津佐まで乗ったことがある。
当時、まさにその加津佐出身の国会議員・久間章生が「原爆しょうがない」発言で物議を醸していた頃である。

口之津から鬼池までのフェリーに丁度良い折り返し列車が無かったので、タクシーで口之津まで行ったが、そのタクシーの運転手に、地元選出議員としての久間氏の評判を聞いてみると、
「長崎選出の議員なのにあの発言はないでしょう。田中角栄みたいに地元に利益を落としてくれるならそれでも支持されたかもしれないが、そういうのもないしね・・・」
ということであった。

・・・と、そんなことはどうでもいいとして、来た車両は往年のキハ20(キハ55)のリバイバル塗装であった。
どうせリバイバルするなら、あの国鉄色にヒゲを付けた塗装にしてほしかったところ。

さて島原鉄道で諫早を目指す。

島原駅は対向式ホームで、ホームは下手な国鉄駅より広く作ってある。
決死モデル:チームPウメコ

往年は博多への直通急行を走らせていた島原鉄道ではあるが、線路のカーブのRなんかはやはり私鉄仕様である。

右手には有明湾が広がり、夕暮れではあるがいい車窓である。
諫早に到着する頃には、もうすっかり暗くなっていた。

・・・と、駅の発車案内を見てみると・・・?
決死モデル:チームR天美

ななつぼしが来るの?こりゃ凄い。
列車を一つやり過ごしてでも撮った方がいいかな?

でも、諫早なんてたぶん数分の停車で長崎に行っちゃうんだよな?
それであれば、長崎でゆっくり撮った方がいい。
長崎であれば終端駅なので、ゆっくり時間が取れすはずなので、何となれば編成全体を撮れるかもしれない。

ということで、長崎駅に先回りすることにした。

はたして特急でワープして長崎に到着。
決死モデル:チームPペギー

さて、ななつ星は何分後になるか分からないが、暫しホームにて待つことにする。

諫早発は、この「かもめ」の8分後なので、機関車牽引で遅いにしても10分後かそのくらいには来るのか・・・と思ったが全然来ない。

どういうこと?
改めて、JR九州のサイトで時刻表を見てみる。

何と、諫早は確かに18:12発であるが、その途中は旧線を廻って喜々津で30分停車、大草で30分停車、長与で14分停車してたっぷり時間を稼いだうえで、20:19に長崎に着くというのである。
それも、往年の寝台鈍行「ながさき」さながらに、大村線経由で来るらしい。
そんなの知らなかった。

ということで、先に夕食を食べてしまうことにする。

そしていよいよ20時。「ななつ星」とご対面である。

結構定期運行しているようで、同業者なんて全然見当たらない。
しいて言えば、隣のホームの「かもめ」に乗る乗客だけがカメラを向けている程度である。

いささか拍子抜けはしたものの撮影に入る。
しかし闇夜でこの黒い車体の「ななつ星」は撮りにくくてしょうがない。
しばらくすると、機回しをするためか機関車を切り離した。
ところで、機関車が到着した線路には機回し線もないし、一体どのようにして機回しをするのだろうか?
そのあたりの謎も解明したかったが、時間がもったいないので引き上げることに。

長崎駅はイルミネーションが飾られていた。

後はもうホテルで寝るだけ。

 

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