切断ヴィーナス・義足ガールズトーク

行けるかどうか危ぶまれていた虎ノ門ヒルズの「義足ガールズトーク」であったが・・・

前の用事が早めに終わったので、行けそうである。
昨日の時点で「もしかしたら行けるかも」と思ったが、16時からもまた別件があるので、写真展を見る暇もなくそちらへ行かなければならないということもあり、あるいみ逃走経路の確認という意味からも、昨日は写真展に行ったのである。

で、昨日に引き続き虎ノ門ヒルズに行ってみると・・・

3~40人ぐらいはいるだろうか。
結構日差しが強く、スタッフさんも「想定外の日差し」と言ってたのが印象的だった。

司会はフリーアナウンサーの遠田恵子さんという方。
そして向かって左から順に、村上清加さん、須川まきこさん、小林久枝さん、臼井二美男さんの順で座る。

遠田
今日は越智さんのラジオ番組が縁で緊張してこの場に立っている。
ウンウン頷きながら聞いてほしい。
まずは自己紹介から。

村上
私は太ももから半分下を切断し義足。
2009年に電車に轢かれた。
電車の事故は亡くなるもいるが、私は幸い命があった。
主人はボブスレー日本代表で今ドイツにいる。2人乗りで記録を出したという。(会場拍手)

須川
私は13年前に左足を悪性腫瘍で切断。股関節義足を履いている。
その頃から絵を書いていて、乗り越えて、今も仲間に支えられながら絵を描いている。

遠田
ストッキングの模様が素敵。

須川
私が書いた絵なんです。

遠田
須川さんは来週、個展もされるとのこと。

小林
私は右足の膝から下の下腿義足。
先天性の病気で、よくなる見込みがなくなってしまったので、痛みに耐え続けるよりはと2010年に切断を選んだ
義足になってからは、臼井さんの作られた義足でスポーツなど楽しんでいる。

遠田
お着物が素敵。

小林
保土ヶ谷でバーを経営しており、いつも自分で着ないといけない。

遠田
ガールズの中で居心地悪そうにしているのが臼井さん

臼井
いつもよりは綺麗にしているつもり。
義肢装具士。鉄道弘済会で。うちのセンターも70年の歴史がある。
僕みたいな義肢装具士が30人。3000人に義足を担当している。
義手や装具も合わせると4500人。
入社して5年経って、義足ではしてる人がいないことに気づいた。
そこから「走る会」を始め、それから28年ぐらい。
古い人では30年ぐらい付き合ってる人もいる。

遠田
皆さんの義足をどう作っているか

臼井
写真集「切断ヴィーナス」から4年。
越智さんは大会にいつも来てくれていたが、義足を履いた人が笑顔で素敵に見える瞬間を残しておきたいと思った。
リハビリテーション室で記録写真撮っているが、美しい人が時々出てくるので、記念にもなるし、色々な人に知ってほしいと思った。
個人ではなく。プロでできる人でできる人が越智さんだった。
相談したらすぐにやりたい気持ちがあって、意気投合して始めたのが4年ぐらい前。

遠田
写真集出しませんかという話があったとき、どうだった?

村上
正直な話「よしきた」と。
なぜかと言うと、義足のことがわからんかった。銀色のソケット作ってもらって、かっこいいと思ってきて、あんなカッコいいの付けれるなんてラッキーと思った。
「ちょっと写真撮ってみない?」と言われ、スカイツリーが建設中でてっぺんまで行ってなかった頃、撮ってもらったりしていた。
そういう人を集めた写真集を出すと言うことで「よしきた」と。
特に義足を隠そうと思ったことはない。

須川
私は、ずっと義足をモチーフとした絵をやっていて、越智さんに「須川さんの絵の義足のストーリーを再現した写真撮らない?」と。
自分が主体的になることが新鮮で素敵やと思った。

遠田
アーティストとして、ご自身の体がアーティストになると。

須川
パイプのむき出しと繊細なレースの感じが融合して。。。

遠田
義足もアートとしてやっておられると。

小林
私は初めて出てみない?という話を聞いた時は正直嬉しかった。
切る前の自分の足は、人に見られるのが嫌で、隠したい方だった。
義足になって日常に戻ることになってから、自慢だった。
堂々と歩きたいというのが正直だった。
切断しなければできない経験をさせてもらうということです。

遠田
義足を履いてからのほいが、人生がひらけた?

小林
今の自分の人生が開けているかどうかはわからないが、やりたいことをやるようになった。

遠田
この写真集の目的は?

臼井
「切断ヴィーナス」に出てもらった子は11人いたと思うが、1人1人のドラマは比べることができない。乗り越えていくときの一人一人がいるのだが、記念的な作品として、自分の記念的なものとして、それだけで価値があると思った。
それが世の中から認めてもらえれば。
基本的にはこれに出てよかったというのがあればいいと思う。

遠田
こういう写真集は世界的に例が無いのでは。

臼井
25年前の「TIME」誌で義足女性が表紙になったことはあった。
でも写真集は世界でも類がないと思う。

遠田
2014年に出た時社会に与えたインパクトはかなりあったのではないか。
撮影の時の苦労話は?

小林
ハッセルブラッドのスタジオでやったのだが、越智さんにポーズ指定されても、モデルなんて初めてだったので、こんなに注目されていると、顔が引きつっていた。
越智さんの持ち前の天然的さで、心が和んで行った。
最初が笑顔を作るの大変だった。

遠田
義足を抱いている笑顔が素敵。

小林
私は周囲から「鉄の女」だと思われているようだ。
それで、優しく撮って欲しいと頼んだ。
周りが恐れおののくようなのではなく。

臼井
私は撮影があれば立ち会うが、撮影に立ち会わなかったのが2回だけある。
大西さんとヌードで撮った時は立ち会わなかった。

須川
私は越智さんのフォトグラファーとしてのクリエイティブ力と私のアーチストとしてのぶつかり合いでテンションが高まった。
絵の中の好きなモチーフを、木馬やレースを、そう言うのを一緒に見てもらって、フォトグラファーの越智さんの緊張感と、お互いにテンションが上がって、緊張感が楽しかった。

遠田
セルフプロデュースみたいな感じで。

村上
数カットとってもらたが、バイクにまたがって、これが印象に残っている。
義足の感じとバイクが似合うと思って。
このバイクはスタートライン東京(旧:ヘルスエンジェルス)の選手会長のバイク。
スタジオに持ち込むのが大変だった。
写そうと思ったらメタリックなボディに越智さんが写り込むので黒装束になって何時間も撮影。
レンズがみえなかったので、撮ってもらってる感じがなかった。

遠田
皆さんの義足のイメージが、オシャレでカラフルで。
どうやって?

村上
好きな柄を、臼井さんに頼んでやってもらう。

臼井
今の義足はカーボンファイバーで薄くて軽くて丈夫。
普通の足はこの倍ぐらいの重さ。
人間の足というのは、結構重い。

遠田
義足での生活はどう広がったか。

小林
義足になって変わったのは、痛みから解放されたこと。
手術を繰り返したことで、感染症の恐れながら暮らさんといかんかった。
毎晩傷がないか確認しながらだった。そういう確認をしなくてよかった。
やりたいことができるようになった。
硬い床の上を歩いてるような、そういうのから解放されて。
お神輿も、ある程度の年齢まではかつげていたが、あるある年齢からかつげなくなった。お神輿を担いだ時は臼井さんにも錦糸町まで来てもらった。
やっとかつげたという感じで。
お神輿の会の人も受け入れてくれた。
間違って踏んだりしてしまうので、後ろの人や隣の人に「義足だからごめんね」と言っている。

須川
反対に、義足になってからの方が意識して出かけるようになったし、義足になってからの方が、海外に出る機会が増えた。
また義足は、大きくて妊婦さんみたいな服しか着れへんのちゃうか思たけど、義足になっても、日々の生活は。変わらず、臼井さんに相談したら、オーダーメイドみたいに、1cm詰めるとか。今まで着たくてきれなかったシルクのワンピースとか、とても体にフィットする義足を作ってくれて、助かっている。

遠田
アーティストとして広がったことは?

須川
自分の体を受け入れるために、義足の女の子を描いてみたら、受け入れることができるのではないかと思った。
義足の方の足にペディキュア塗ってる絵は同性の共感を得たり。

村上
義足になりたてで、松葉杖つけて外に出たことがあるが、リュックを下ろすにも松葉杖おろさんといかんし、二本足で立てるってなんで素晴らしいんだろうと。
やっぱり義足をつけて、パラリンピック目指すという目標ができたというのが大きい。

遠田
パラリンピックというのは大変だったのでは。

村上
周りのサポートがあって目指せると思った。

遠田
義足の調整は普通以上にこまめにやらんといかんのでは。

村上
ソケットというのは自分の足の形に合わせてやっている。
そのために臼井さんのところに行って。
合わなくなっちゃうと、歩くのも大変なので、行く時はすごく頻繁に行く。

遠田
練習メニューは?

村上
地味な練習だが、ミニハードルを10本置いてタタタタというのを2時間ぐらい。

臼井
アスリート用の義足と一般義足の違いは、ブレード。
膝から下が出てこない。
板の反発で進む。
1つの義足ではこれらのことはできない。水に潜ったり全力疾走したりとか。今はできない。
長めに作っている。体重をかけた時に、板がたわむ、彼女だと5cmぐらい。
男性は7cmぐらい。

遠田
シドニーの頃から帯同しているとのことだが。

臼井
日本出発前にナーバスになって、万全な形で用意している。
断端が痩せちゃったりとか、パーツにヒビが入っちゃったりとか。

遠田
調整はした?

小林
私は膝下切断。
太ももに比べて筋肉なのでよく変わる。
行き出すとちょくちょく行くことになると。
シリコンライナー履いて義足つけるが、最初は周径28cmつけていたが、今は20cm。
8年間で周径が8cmちじんだ。
シリコン履いてると夏には汗を書く、それで一気に細くなる。

須川
私は股義足なので。股義足は、坐骨にお尻を半分乗っけてる義足。
普通のマジックテープで止めるが、融通はきく。

遠田
義足とは一言で言うが、こまめに対応しないといけないもののようだ。

臼井
同じ形の人はゼロ。
骨の先がとんがってたり、
キツめが好きな人ゆるめが好きな人、人の数だけ適合の状態が違う。

遠田
こんな義足があったらいいなと言うのは?

小林
最終的には一つにことができる義足なんでしょうけど、きちんと正座ができて、ヒールを履くのでも、一手間かかる。なので、今でも正座できる義足があるといいと思う。
小さい頃から茶道やってて、正座もできないので茶道ができていないので。いちいち所作を中断して正座するのではなく自然に立ち上げって。。。というのをよろしく臼井さん。

須川
私は、今の義足で満足。私は股関節なので、普通に歩けてるだけでも。
私は股関節なので、体重が増えても減っても問題ない。
ヒールは一回履いてみたい。
しかし股関節と膝関節がないので。
10センチヒール履いてみたい。

村上
歩けるだけで。
強いて言うなら、曲がった状態で体重をかけることができない。
しゃがむのがしんどい。
和式トイレがしんどい。
(スポーツ義足)
バルブで空気を抜いて。

臼井
これは世に出ていない。
岐阜の今仙とミズノは共同で揮発している。
特性を計測中。

遠田
日本は進んでいる?

臼井
アメリカ、ドイツ、アイスランドのメーカーが進んでいたが、日本も頑張ろうと言うことで。2年前に第1モデルができた。
2年ぐらい経てば製品化されるだろう。
パラリンピックで頑張って欲しいということで開発が進んでいる。

(質問)客1:若い女性
ファッションとして義足をつけると言う時に、洋服とかアクセサリーにどんなレパートリーを?

村上
こう言うファッションだからこんな義足、というほど義足の本数を持っていない。
色々な服を着るからこそ、ソケットはシンプル
義足がこうだからこんなファッションというのはない。

須川
義足のファッションショーあるので、義足にファッションを合わせて。

小林
私は80年代のミラーボールのような柄。
私は指が割れてるので草履はけてるが、私はいつもしたい服装で。
自分のしたい服装で。

客2:若い男性
臼井さんは休日は何をやってるか。

臼井
管理職なので残業代は出ないが、会社に出てる。
やることもないので。
今年、家にいたのは3日しかいない。
担当が500人ぐらいいる。
若い人に振り分けているが。

客3:JK
美術系高校の3年生。
パラの方に向けたオシャレ義足作りたい思ってた。
結構変わった形のものは、一番気にすることは何?

臼井
体重かけても壊れないもの。
体重かけなくていいなら、段ボールでだって作れるが。
履く人が喜んでくれるもの。

遠田
逆に質問者の女子高生に聞くが、なんで義足をテーマに?

客3
友達で車椅子の子がいる、
障害者に向け、車椅子、補聴器、義足モチーフに作った、
共感してもらってファッションとして定着していけるように。

遠田
2020に向かって、こんな社会になってほしいという要望は?

村上
パラに出たことがないが、ロンドンパラは「連れてこられた」という人がいない。来たくて来た人。
東京でも会場がいっぱいになるが、スポーツを見たく来た人がいるので。
知ってもらって興味を持ってもらって。
例えば視覚障害にも伴奏者やコーラーがいる。とにかく知ってほしい。

須川
私の家は代々木。体育館ができている。
再来年、色んな国から色んな人から注目される。
色んなエネルギーが集中する時、その時、都市の文化の成熟度が日本全体が成熟した国になればいいなと。
絵を描いている頭も体も鈍ってくる。運動って本当にいいんだなと。
東京体育館でヨガと水泳をやっているので、応援したいと思っている。

小林
2020の時、テレビでもパラスポーツを見る機会が大きなっている、ー私としては、どんな印象でもいい。とりあえず興味を持っていただくこと、
長く続いてくれたらいいなと、
自分はやりたいことがまだまだあるので、いつまでも色んなことに挑戦したい。
スキーだけは片足で踏ん張ってやることがあったので、両足でスキーをやりたいと言うのがあるのだが、今シーズンは一度やってみたい。

臼井
後輩にどんどん譲ると言っているのだが、内心は変わっていない。
今回越智さんが切断ヴィーナス第2弾をやっている。2年ぐらいかかると思う。
色んな発想が出てくるので、どんどん実現していきたい。
パラリンピック行って思ったのは、医療や福祉ではアジアではダントツでだと思う。
それは強み。医療や障害者福祉のお手本になると思う。
義足を作りに中国から来たりなど。
そういう意味では、日本人が出来ることは、コミュニケーションだったり医療だったりだと思うので、障害者スポーツで存在感を出していきたい。

遠田
ここに来てくださった皆さんがお友達に広げてもらえれば。
最後に越智さんから。

越智
義足の子供とか中学生とか写真を撮ってくださいという人がいて、切断ヴィーナス第2弾を計画している。
切断ヴィーナスプラスとか。ご意見あれば伺いたい。

そして写真撮影会へ。
・・・とは言いつつ、自分は次なる用件があるのでここで終わり。

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