ボクシング・ヘレナの衝撃

今日は「boxing day」だそうな。

boxingとはボクシングではなくboxが動詞化して現在進行形になったもの。
つまり、あの「ボクシング・ヘレナ」と同じである。

あの映画の公開当時、自分はまだ高校生だった。
もちろんインターネットもなく、自分以外に「手足のない女性が好き」なんて人がいるなんて知らなかったし、そのような嗜好を表に出してはいけないものだと思っていた。
あくまでガレージキット(当時はフィギュアなんて表現は一般的ではなかった)で欲望を満たすしかなかった。

そこへ「手足の切断シーンでマドンナキム・ベイシンガーが出演拒否した映画」というニュースが入ってきたのだ。
それが「ボクシング・ヘレナ」だった。

自分の中での衝撃は非常に大きかった。
こんなテーマを大っぴらに映画にしていいんだ。
で、やっぱりマドンナにしてもキム・ベイシンガーにしても当然のように「出演を拒否する」ようなものなんだ。

そして、喜び勇んで映画館に行ったーーー のかといえばそうでもない。
これまでも大分の義足の子の項や、HCRの時の項でも触れたが「実物」を見てしまうと、それが手に入らないという苦悶に苛まれるのだ。
キット世の中のどこかには手足のない美少女はいるだろう。そしてその美少女とよろしくやっている男はいるだろう。
それはきっと広末涼子と付き合うよりもハードルの高いことなのだ。

そう考えると、意識的に「実物」とは距離を置かないと理性を保っていられないと思ったのだ。

結局、今でも「ボクシング・ヘレナ」は見ていない。

 

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