犯罪が女子供に向かう時

札幌で51歳無職の男が妊婦に暴行する事件が発生したのだという。
理由は「どけろ」と言った時に生意気なことを言われたからなのだという。

51歳で無職と言うとどのような経緯なのか。
コロナで解雇されたとか?
その辺りを深く取材してほしい所ではある。

このように、弱い女性や子供に暴力犯罪の手が向かうのはとかく余裕のない時ではないだろうか。
他を思いやっている余裕のない時、自分が生きていかなければならない時、その「思いやり」のトリガーは容易に外れてしまう。
それはどんな時代でも同じであっただろう。

今回紹介するのは、昭和26年、栃木県の小山駅で発生した事件である。

その事件の第一報は、昭和26年3月4日の下野新聞に、これ以上ないほどショッキングな形で報じられている。
「倉庫に女の絞殺死体」という見出しで、その絞殺死体そのものが写っているのだ。

当時の新聞の倫理観はどうなっていたのだろうか。
ちなみに、この1ヶ月後に、横浜の桜木町駅で「桜木町事件」という電車火災が発生し、100人以上の人が焼死している。
この時も折り重なる焼死体をそのまま写して物議を醸したはずである。

ともあれ、記事としては小山駅北側の両毛線沿いの日通倉庫に全裸女性の死体があると警察に通報があった。
死体にはネッカチーフが巻いてあり、絞殺と分かるものだった。
全裸死体ではあるが姦淫の跡はなく処女であった、という検視結果であったという。

ちなみに、その記事のすぐ下には「青ネッカチーフに風光る」という見出しで女子高生ガールスカウトの爽やかな話題が記事となっている。
御存命であれば今や80の坂を登っている彼女たちも、さぞ複雑な気持ちで自分たちの記事を見たのではないだろうか。

ではその下手人は誰か。
それ以前に被害者は誰なのか?
翌3月5日の下野新聞ではその捜査の様子について報じている。

なにぶんにも全裸なので、身元自体の判明に時間を要している状態ではあるが、少なくとも小山町内の者ではなく何処かからの流れ者であろう。
特段重労働した形跡もなく都会風のネッカチーフで、中流以上の家庭の者であろうという見立てがなされた。
現場は人通りもない場所であり、みすみすそんな所まで女が行くというのは被害者と加害者は顔見知りなのではないかという推理がなされた。(そしてそれは当たっていた事が後に判明する)
数日前にはサーカス団が小山町を巡業しており、夜中に女団員が悲鳴を上げて追い回されていたなどの話もあり、その線ではないかという見立てもなされた。

ただ、被害者を一糸纏わぬ姿にするということは尋常なことではないと思われたようで、物盗りというよりは怨恨の線の方が強いのではないかという見立てがなされることとなった。

翌3月6日になっても下手人は見つからない。
それどころか被害者の身元も分からない。
そこで、被害者のモンタージュ写真を作成して探すこととなったようである。

ただ、現場の状況が単なる「男が女を殺した」典型的な例には見えなかったようである。
当時はまだ戦後の混乱期の尾を引いている時代で「買い出し」も普通にあったようであり、買い出しを装って女性を連れ出したのではないか、という説も立てられたが、それにしては場所が怪しすぎて引き返すのではないか、あるいは犯人は女連れの男で、そのために被害者は怪しまなかったのではないか等の説も取り沙汰された。

何より女から服を剥ぎ取ったとして、男がどうやって持ち歩くのか。職務質問に引っかかるのが関の山ではないか。
(記事中では「不審尋問」という戦前の表現で書かれている)

前述のサーカス団の線であるが、こちらは薄れてきたようであった。

この事件が急転直下、犯人逮捕が報じられるのは3月8日の下野新聞である。

犯人はなんと国鉄の小山機関区に勤める21歳の機関助手であった。
女性用のワイシャツを着ていた事から足が付いたのだという。

しかしその時点ではなんの証拠も挙がっていない。
それで、前年の8月頃、国鉄の寮の炊事婦の娘に何か投げつけて大怪我させた時の事で逮捕状を取り、この件について取り調べたら自供したというのである。

昭和26年といえば日本国有鉄道が発足して3年目。
戦前は雇いという不安定な立場であった罐焚きも、公務員として一応身分が安定していたと思われる所ではあるが、持って生まれた凶暴性は隠しようもなかったようで、前々から事件は起こしていたようだった。
昭和24年12月に白河機関区から小山機関区に転勤してきたという事であるが、白河は東鉄局の管内だった、ということになるだろうか。

被害者の身元も判明し、小山から分岐する水戸線沿線の岩瀬に住む新婚の主婦であり、夫は求職のため都内に別居している状態で、加害者と同じ黒磯の実家に一時的に戻っている状態であったという。
そしてその就職が決まったので、朝4時過ぎに小山駅のホームで待ち合わせよう、ということになったようである。

黒磯から小山に出る列車には、共に黒磯に住む加害者も被害者も乗っており、「小山発の列車が出るまで待っていよう」と小山駅で被害者を誘い出したという。
そしてその目的は「物盗り」。
被害者の服が目当てであり、犯行後は駅に隣接した機関区で平然と出勤していたので、足取りが掴めなかった訳である。

当然、現在と違って被害者の実名がどうたらとかいう時代ではない。
翌3月9日の下野新聞には、被害者と加害者の様子が事細かに取材されている。

加害者は21歳ながら既に妻子がおり、黒磯では妻が「人殺しの妻と子」として地元では冷たい視線にさらされていたという。

被害者の夫にも取材されており、「せっかく大田区の商社に就職が決まったのに」というコメントが残されている。
待ち合わせの小山駅に妻はいない。
上野駅にでも行ったのかと思って上野駅に行ってもいない。

そして捜査本部ではその2人が数時間一緒にいたというのである。
そこに「配慮」であるとかそういったものは存在しない。

全てが「昭和26年」という時代に起こった事件を物語っていた。

さて、ここからダークツーリズムと相成る。

結局宇都宮では餃子を食べる事ができず、普通にラーメンを食べることになったが、やたら生姜の味が効いているような気がした。

宇都宮からは熱海行きに乗る。
今は東北本線の列車も熱海まで当然のように串刺しする時代なのだ。
被害者の夫も、いまであれば品川まで通しで乗って、品川から京浜東北線に乗り換えていただろう。

最後尾の車両に乗るも「短い10両編成」なので、小山駅に到着した時もそれほど端っこというわけでもない。
向こうの水戸線ホームでは水戸線のE531系が5両編成で発車待ちをしていた。

事件当時であればどちらも蒸気列車だったであろう。
東北本線の大宮〜宇都宮間が電化するのは8年後の昭和34年となる。

ホームの北端から、事件のあったであろう日通倉庫側を望む。
今は既に日通の倉庫はなく、東北新幹線の高架用地になっている。
決死モデル:チームPユウリ

さてこの先どこでにしこくん仕事しようかな・・・とも思ったが、来週はそこそこ大旅行が控えている。
そしてハ群をそこで使い切れば丁度いい。

ということで、この先は栗橋・南栗橋・南越谷と決死していくことも考えたが、普通に久喜で乗り換えて南越谷でだけ決死することとした。
決死モデル:チームWBミサメグ

それが今日の小旅行の後半戦でしたとさ。

 

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