第7回輪行 ~コロナ禍だからこそ行きたかった場所~

このコロナ禍の御時世に、恐れていたことがやはり起こってしまった。
ここはあえてアノニマスポストを引用することにしたい。

1人コロナ患者が出たせいで、卒業式から何から中止になってしまったという多大な迷惑をを掛けたとはいえ、氏名を特定する動きが広がっている。
結局、罹患することが社会的な死につながっていくのである。

今回紹介する69年前の事件を知っていると、令和になった今もってなお、このようなことが続いているということに対し、心胆寒からしめるものがある。

それは昭和26年1月30日の山梨日日新聞でのこと。
一家9人が「長男の業病を嘆き」一家心中した旨が報じられている。

1月29日の朝、隣家の主婦が朝8時になっても起きない一家を不思議に思い、戸をこじ開けてみると、一家9人全員が死体となっているではないか!

その死体はみな晴れ着であり、それぞれに遺書が認められていた。

それに先立って27日、多麻村役場から「長男がらい病患者なので消毒する」旨の通知があったのだという。
驚愕した主人は、1日延期してくれるように願い出た。
その結果が一家心中だったのだ

死亡推定時刻は29日0時頃。そのように推定したのは、近所の家が28日23時頃に火の用心の拍子木を借りに来て、それに普通に応じていたからだという。

この時点では、村人の対応は特に悪くない。
一家を忌避するでもなく、普通に拍子木を借りに来て、普通に朝起こしに行っていることが見て取れるからだ。

その診断を下した県立病院皮膚科部長は、「確実ならい病の兆候があった。本人には告知していない。患者を紹介してきた医師に対しては、秘密を守るためにラテン語で書いてやったのにどこで秘密が漏れたのか。保健所にも報告した」とコメントしている。
9人もの人が自殺したという事実に対し、随分と他人事なコメントである。

いずれその紹介した医師か、あるいは韮崎保健所かのどちらかが多麻村役場に「村内にらい病患者が出て云々」と通告したはずである。

ちなみに「市内の県医学研究所」とあるが、この昭和26年1月時点で山梨県内に市は甲府市のみであり、3月には富士吉田市が、3年後の昭和29年には塩山・山梨・都留・大月・韮崎の各市が発足することになる。

この心中事件と、その後の対応に対しては、日弁連法務研究財団により以下のようなレポートが出されている。

曰く・・・

2月3日〜5日、多磨全生園庶務係中村四郎と全国癩療養所職員組合協議会(全癩協)事務局員井 上務が現地に赴き、山梨県衛生部、韮崎保健所、多麻村役場、患家の主治医、患家周辺の村民、山梨日日新聞社などで真相の調査をおこない、2月5日、「山梨県下北巨摩郡多麻村に於ける癩家一家 心中の実態調査報告」を、多磨全生園長林芳信と全癩協議長に提出している。その主旨は、事件に ついて、「勿論、癩と云う問題は、その原因に大きな役割を占めてはいたであろう」と認めるが、そ れは父親のハンセン病を遺伝病と考えた知識不足や一般民衆の認識不足ということに局限した「癩 の啓蒙運動の不徹底が、かもしだした悲劇」という理解に止まり、むしろ、「一家心中の直接原因が 新聞で指摘されて居る様な所轄官庁の処置、或いは秘密の漏洩でなく」と述べ、長男がハンセン病と診断され、保健所から消毒通告を受けたことが一家心中の原因であることを否定している。 彼らは、何とかほかの原因を見つけようと努力し、父親の社会的地位への感情や家族の病弱への 憂い、長女の極度の厭世観、患者本人の過去の刑事問題などをあげつらい、甲府検察庁まで出向き、 逮捕も起訴もされていない本人の過去の横領疑惑まで暴きだし、ハンセン病による隔離以外の一家 心中の原因を見つけ出すのに躍起となっている。彼らの結論は、一家心中に至った背景には、ハン セン病に関する父親と周囲の村民の無知・無理解があるとはいえ、基本的には一家の内部事情が直接の原因であるというものであった。「無癩県運動」のもとでの患者の摘発、そして徹底的な消毒、 こうした実態が、ハンセン病への恐怖感を住民に植え付け、患家を絶望の淵へ追い込んだという認 識はない。
同じく、 2 月 4 日付『朝日新聞』夕刊は、「ライ病が伝染病であり、病人を隔離し十分に消毒さえ したら伝染の怖れはないことを、村民の全部が知っていたならば、こんな悲劇は起こらなくても済 んだはずである」と論評した。しかし、むしろ、その隔離と消毒への恐怖が、このような悲劇を生 み出したのである。この記事にも、隔離と消毒の徹底を求めて「無癩県運動」を推進する論理が一 貫しているのである。

行政やマスコミまでが一丸となって、責任を逃れようとしていたということが分かる。
何とも胸糞の悪い事件であった。

さて、自転車も買ったので、輪行も兼ねてダークツーリズムといきたい。

朝5時。外はまだ暗い。
別にここまで早くなくてもよかったのかもしれないが、なにぶん世間は平日である。
ラッシュ時に当たってしまうのは避けたい。
ということで始発電車で行くことにした。
決死モデル:チームWBミサメグ

結果、コーナーではなかったが座れた。
・・・だが、南越谷から混んできた。

南浦和でみんな降りるかと思ったら、むしろもっと乗ってきてキツキツの満員電車になってしまった。
むしろ武蔵野線がこんなに混むの?というほどである。コロナで通勤時間を分散させている影響がここに出ているということか?

そして西国分寺からは中央線に乗り換える。
下りなのでさほど混んでもいなかった。何なら座ることもできた。

高尾からは中央線の211系。
同じホームで乗り換えができたのでよかった。
これが階段を介して乗り換えとなると、自転車を持っていると尚更つらい。
決死モデル:トルソーさん霧島

甲府行きは塩山で特急の追い越しがあり6分停車のほかは順調に各駅に止まっていく。

そしてさすがに甲府では1番線到着で、階段を通しての乗り換えだった。
松本行きは3番線からの発車で、向かいのホームに行かないといけない。

1番線のかふふ駅広場で写真を撮っていて老人がフレームインしてもキレて胸ぐらを掴み出す気配もないのでよかった。
たまにそういう頭のおかしい人間もいるので要注意である。

甲府や韮崎からは高校生が結構乗り込む。あれ? 全国一斉休校じゃなかったの? 高校は別?
南アルプスの麓を211系は走る。

そして日野春に到着。
リニューアルされてはいるが、昔ながらの木造駅となっている。
絶景の中にある駅なのだが光線状態が激光気味で撮りにくい。
決死モデル:チームWBナギサヤ

日野春の駅前からは、事件現場近くまでバスが走るらしい。
ちょうどバスが来る時間かと思ったら、火曜日と金曜日しか走っていないらしい。

さて、須玉方面へ行きましょう・・・
基本的に塩川沿いの須玉町中心部に向けて下っていくので、難しいことはない。しかし不安になるような孤独な山道を下っていく。

須玉町中心部から先は逆に登り坂となり、押して上がることになる。
緩やかな坂ではあるが、連続すると結構つらい。
結局かなりの部分を押して上がることになった。
輪行用の服装ではないし、何より重い荷物も背負っている。

ちなみにこの付近の「小倉」という地名は「こごえ」と読むらしい。
事件のあった番地は現在、何かの会社として使われている。現在も営業しているのかどうかは定かではないが・・・

その南東隅に、小さな石の祠が3つ並んでいる。特に何も書かれていないが、おそらくは死者を祀ったものであろうか。

道路を挟んで南側に、大きな石碑が立っている。
これは地域の有力者を讃えるもので、昭和30年に建立されたものらしい。

そしてトラクターの向こうにその3つの祠と家屋があり、発生した番地と1番違いなのだが…
もしかして、事件の発生した家屋は現存してる!?
新聞で見た屋根の形状からするとそのようにしか見えない。
決死モデル:チームTエリー

思わず手を合わせてしまった。

さて、後は韮崎駅まで向かうのみである。
塩川沿いに下って行くのみ。

・・・というか、下るだけでほとんど自転車を漕いでいない。
本当にこれで運動になるのかと言うほど漕いでいない。

ほとんど漕がないまま韮崎の市街地に入る。
そして韮崎駅に到着。
決死モデルチームPウメコ

韮崎駅は築堤駅となっている。
側線があるわけでもなく、都市部の駅のようなコンパクトさである。

ちょうどいいタイミングで14分後に高尾行きがある。
高尾行きということは甲府で乗り換えなくてもいいということ。

朝早く出発したので、相模湖駅~橋本駅まで、相模川沿いに輪行できるかもしれない。
ちょっと相模湖駅で降りてみるか。
決死モデル:チームYジャスミン

駅前にはシュールな銅像がある。ヌードトルソーにも見えるし一体何なんだろう?
それはともかく駅前食堂で昼食。
この辺りの農産品は、大豆が有名のようである。

一応、この周辺は観光地としての体裁が整っており、三ヶ木みかげ行きの神奈中バスがそれなりの本数走っている。
神奈川県の駅として、別に秘境でも何でもない。

さて、何で相模湖で降りたのかというと、最近やまゆり園の19人殺し事件で犯人の植松聖に死刑判決が出たからである。
つまり今回は1つの輪行で2つもダークツーリズムをするということになる。

食べるだけ食べたら、輪行に赴くことにしたい。

ところが、さっきの韮崎の時と違ってたまに登りがある。
これはちょっと辛い。

そんなこんなでやまゆり園に到着。
19人も殺人があった施設なので、建て替えを進めている。
事件に関するWikipediaの記事によれば、元々は昭和39年に完成した施設であるというが、それが老朽化し平成4~6年に建て替え工事を実施している。30年弱が建て替えサイクルのようなので、事件が無くても建て替え予定はあったのかもしれない。
決死モデル:チームPユウリ

かたや山梨の一家心中事件の現場は現在でも残っていたり・・・

さて、後は橋本駅に向かって走って行きたい。
神奈川県とはいえ、両側に雄大な渓谷が迫りくる。
・・・で、上り坂も結構ある。

現在でこそ相模原市に合併しているが、相模湖町、津久井町、城山町と独立した津久井郡の自治体だった所である。

小泉今日子の母校でもある神奈川県立津久井高校には福祉科というのがあり、何かの選手権で入賞したのだという。
そうか福祉科か・・・

その津久井町の中心である神奈中バス三ヶ木営業所は雛にはまれな大バスターミナルである。
決死モデル:トルソーさんナイ

そしてそのすぐ先にある津久井ゴルフ場の所がサミットであとは下るだけ。

そしてしばらく走ると、左手に湖が広がる。
これが津久井湖である。
決死モデル:チームY間宮

人工湖であるとはいえ、桜や紅葉の季節には観光客でにぎわうようである。

そしてまた相模川を下る・・・ とはいえ、相模川を素直に下れば平塚の方に行ってしまうわけで、そこからそれて相模原の橋本に行くということで結局はアップダウンとなる。

住宅地には入ったものの、結構な距離を押して歩くことになった。
やっぱり輪行にはそれ相応の服装が必要のようである。

そして横浜線の踏切を渡り、ついに橋本駅へ・・・

ようやく橋本駅に到着。
ここで自転車を片付けて、京王線に乗る。
決死モデル:チームPメイ

欠損バーに行くので、まさか帰りに酔っ払い運転するわけにもいかないし、松戸まで一旦帰るべきか。
自転車を会社に置いて、ついでにシャワーも浴びることにしよう。

ということで、新宿行きはやり過ごして、本八幡行きに乗ることにしたい。

神保町で降りて会社へ向かったが、東京はやはり人が多い。自転車で走るには向いていない。

結局、39.3kmを3時間23分で走り、表定時速は11.6km/h。

 

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