バンドンへ

日本では、2つの前線を伴った低気圧が通過していた。
回顧録:2022年12月14日記す)

今日は、ジャカルタからバンドンに行くことにしよう。
中学校の社会科で習った、あのバンドン会議のパンドンである。

さしあたり、朝食はナシゴレン。
そう、な志ごれん。

バンドンに行く長距離列車は、ジャカルタコタ駅でもなく、パサールスネン駅でもなく、ガンビルと言う駅からとなる。
そのガンビル駅、国電であるKRLジャボタベックは一切通過するようだ。

そして「Argo」という特急列車に乗る。
その中でも、1等車に当たる「Eksektif」に乗ることにする。
これでバンドンまで60万ルピア、Ekonomiだと40万ルピアとなる。

そしてバンドンに到着。
構内踏切で駅舎に向かおうと思ったら、保線車両に邪魔されてしまった。
よりにもよって、首都ジャカルタからの特急列車が到着するタイミングで車両を動かすこともあるまいに。

2015年は、アジア・アフリカ会議(通称バンドン会議)から60年になる。
それでお祭りムード。

コロニアルのバンドンの街並みに、藁でできたライオンの像。

ジャカルタに帰るArgoは、14時半の発車であるが、14時02分に同じ方向に行く鈍行があるらしい。
そして、その鈍行列車はArgoの停車駅であるCimahiまで先に行くらしい。
ということで、鈍行の中の人となる。

そしてCimahiに到着。

そして、ジャカルタに入り、ジャボタベックに乗り換えるためにJatinegaraと言う駅でArgoを降りる。
それにしたって、どこかで見たような駅の構造だ。
そうだ。昨日見たボゴールの駅と同じなのだ。
これがインドネシア国鉄式なのだろう。

 

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