寝るのもGW

小笠原諸島Bonin islandsは相変わらず高気圧に覆われている。
今日1日は晴れか曇りで推移するようだ。
最高気温は26℃になるという。

目が覚めたのは、例によって6時ごろ。
昨夜は1時近くまで起きていたので、まだ寝不足になるだろう。もう少し寝ていたいのだ。

というか、強制的にでも寝ないと寝不足やらメニエールやらは解決しないのではないだろうか。

それはともかく、昨日入っていなかった風呂に入ることにしよう。

8時過ぎ、防災無線が鳴る。
「今日のおがさわら丸の入港は11時10分、乗客数は653人」だと言う。

そして何よりイロハシャッフル

ここからしばらくは、以下のような陣容で決死していくことにする。
来週末は母島に行くので、あまり上位メンを使わないようにしたいところ。

母島といえばそろそろ民宿を予約した方が良いだろう。と言うことで、電話で予約したらオーケーだったのだが、そういえば81美容室の予定もそこに入れていた。とりあえず母の日を母島で過ごす事は確定していたのだから、その時点で予定表に入れればよかったのだ。本当に情けない。仕方がないので、この美容室をどこかにずらしてもらうように交渉することにしよう。

ともあれ、この壮大な子供部屋でおはヨーグルト。

みくはにしこくん仕事に入れることができないので、このようなおうち決死等がメインになってしまう。

そういえば、ゆうちょ銀行のATM使えない期間も終わったので、松戸の頃の社宅の修繕費用を払うことにしよう。24,200円。

Twitterではdadaなんて久しぶりに見た。
一頃は冷笑系アカウントとして大活躍していたようだが、あまりの冷笑系が過ぎて、左方面からの執拗な攻撃で顔バレするやらブロックチャレンジされるやらで表舞台から消えていたのである。
かく言う乃公おれも、浅草まで現場を見に行ったりしていた。

そんな事はともかく、風呂に入ることにしよう。
風呂の中ではブラウザゲームをやるわけでもなく。どうせ週末なので勝手に進めてくれるだろう。
クラスアップの望みもないこととて。

風呂から上がってぐったりしていたら、すでに10時40分を過ぎている。
今日は入港日なので港に行ってみることにしよう。

さすがにゴールデンウィークも終わりなので、港で待っている。
民宿の関係者はそんなにはいないかなと思っていたが、一応いるにはいる。

また、警察や海上保安庁の関係者はスタンバイしている。こちらはあくまで任務だ。

そのうちに汽笛が聞こえてきた。いよいよ入港だ。

小笠原丸は、巨大な船体を半回転させて到着する。
ところで、タラップを設置するのは、警察の若い人が総出でやっているのだが、こーゆーのは小笠原海運の仕事を助けることにならないのだろうか。
公務員法上どうなんだろう?それとも、住民や観光客の安全を守る仕事の一環ということなのだろうか。

おがさわら丸からは、それなりの数の乗客が降りてきた。
みんながみんな、ゴールデンウィークにきっちりと休めると言う事でもないだろうから。

こちらはと言えば、引き続きブログをつけることにしよう。
回顧録のpukiwikiからブログへの移動作業である。

しかし、こんな晴れた日にビーチで端末を2台も出して何やってんだろうと思われるかもしれない。
iPadのほうは写真を落とすことに使い、パソコンはブログを移行するのに使うのである。

回顧録は2015年11月21日に只見線に乗った思い出をブログに移したら、ボニーナで昼食としよう。
以前ヤンキータウンで、小笠原高校の先生と飲んだ時に聞いたのだが、ここの「島魚のポキ丼」と言うのがおいしいのだそうだ。
島魚は、島寿司同様に醤油などで漬けてあるので、それほど生臭みはないだろう。
ただ、うずらの卵が載っているのが気になった。うずらの卵は嫌いなのだ。
これは、1番最初に吸いとってしまうことにしよう。
また、気になったのは味噌汁の生臭みである。
とは言え「この味噌汁生臭いですね」なんて言うと、気分を害すだろうから「この味噌汁は、いその香りがしますね」と言うと、奥さんの方が「島の魚から出汁をとっているので、旨味がたっぷり出てるんですよ」と言う。
そして、ポキ丼の方であるが、島魚とワカメをごま油で漬けてあるので、生臭みはほとんどない。
また「ポキ」とはハワイ語なのでそうで、混ぜて食べるのが正解なのだそうだ。

さて、昼食を食べたら、また公園の日陰のベンチでブログ起こしをすることにしよう。
熱帯樹が生い茂る公園の適当な屋根のあるベンチでブログを起こしていく。
周囲では家族連れが遊んでいる。結局、2015年11月25日まで起こした。
旅行などの長いエントリーでもパターンが確立してしまえば、意外に苦痛は無い。

さて、14時が過ぎてしまった。
そろそろ生協に荷物も出ている頃だと思うので、買い物することにしよう。

明日の南島は喉が渇きそうなので、2リットルのお茶を3本買うことにした。
それと、今日の鍋に使う鶏肉とキムチも買うことにした。
明日は南島で体力を使うから肉を食べたほうがいいだろう。

ひとまずこの状態で一旦帰宅することにしよう。

帰宅すると、アマゾンで頼んだ食料がまた届いていた。
今回は特保サイダーとスープ。

もうすでに14時50分近くなっている。
そろそろ出港になりそうだ。急いで二見港に行こう。

生協の手前あたりでも「700番台のチケットをお持ちの方はご乗船ください」なんて言うアナウンスが聞こえる。

それぞれの民宿やペンションの人たちがお見送りに来ている。
そこの子供たちなんかは「行かないで〜」なんて言っている。もはやそれがルーチンなんだろう。

そのうち、小曲のグレースのおばさんも夫婦でやってきた。
カヌーなんかもやってるらしく、オールを持ってきた。
夫婦揃ってあの芝居がかった感じで客に別れを告げる。
リゾート夢追い系の本領発揮と言う感じだ。

そして船は出る。
小笠原太鼓がドンドコドンドコ鳴っている。
追いかけボートも一斉に出港した。

「出港」という6日にいっぺんのイベントがこれで終了した。

さて、買い物の続きを続けようか。
生協に行くと14時過ぎに比べて品揃えが増えたと言うわけではなく、牛乳が多少並んだと言う程度。

しかし、今日来た便では、野菜や豆腐や魚が入らないだけに、買い物戦闘も気合が入らない。

ニンニクは全くなく、納豆とヨーグルトを少し買った位にして生協を出る。
そして、向かいの小祝商店に行くと、ミニニンニクが売っていたので、それを買う。
もはや鍋に入れるものはそのぐらいしかない。

さて、またブログ編集を続行することにしよう。
公園の少し高い丘にある藁葺きの四阿で過ごすことにしよう。風が入って気持ちいい。

ところで、65歳で定年退職した後は青ヶ島の塩工場で働かせてもらうわけにはいかないだろうか。
ただ塩工場なら体力を使うから難しいだろうか。

そうしていると、iPhoneに電話が入ってきていた。
一体どこだろう?運送会社は置き配しないで持ってきたんだろうか。
それだったら置いてくればいいのに…と思って電話番号を調べたら役場だった。
もしかして明日の南島の外来種駆除がらみだろうか。
そう思ってかけ返したら、案の定その通りで、明日の南島は波が高いから船を出せないので中止だと言う。
なんと言うことだろう。

そうなると今晩はヤンキータウンで飲み明かすことにしようか。

結局、回顧録の方は2015年11月29日に海芝浦や小島新田まで行った時まで書いた。

帰宅して、鍋の準備をすることにする。
その前に、鶏肉を解凍しなければいけない。
と言うことで、水を流して鶏肉を解凍する。
これだけでもなかなかの水道代になるのではないだろうか。

その間に副産物ブログをやるなどする。

そして、肉を切ったり、豆腐を切ったりするのは、へ、台所はかなりの段ボールで埋め尽くされるようになった。
さすがにこのくらいあれば、おがさわら丸のドック入りも乗り切ることができるのではないだろうか。

結局、食べ終わったのは20時過ぎ。
さすがに今日は疲れていると言うこともないので、ヤンキータウンに行くことにしようか。

そして、重い腰を上げたのは21時近くのことであった。

ゴールデンウィークとは言え、ほとんどの店が閉まり、静まり返った中を歩いていく。
ギョサンであるが、指の付け根あたりが痛い。さすがに履き慣れないと足が痛い。

そして、ヤンキータウンにつくと、小笠原高校の先生がいた。
いつも思うのだが、飲み屋で生徒が働いていて、先生と会うと言うのはどんな気持ちだろうか。
とは言え、ここは小笠原なので、その辺は全然アバウトなのだろう。

いつものように、YouTubeでアメリカンポップスを流している。
そもそものマスターのネイティブランゲージは英語なのだ。

ところが、なかなか会話もできずマスターにしてみれば「何のためにここに来たんだろう?」と思ったかもしれない。

1時間ほど飲んだくらいにして辞去。また暗い中を家路に就く。

そしてぐったりとエアソファーで寝込む。

今日の決死出演は8名(累計8名)。

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