7月4日にドブ板通りを歩く

今日7月4日はアメリカ最大の祝典・独立記念日インディペンデンス・デイですよ。

こんな日はアメリカらしい所を歩いてみたい。
でも「アメリカらしい所」ってどこ? アメリカ大使館?
ただアメリカ大使館を撮ると、もれなくおまわりさんに不審尋問されるらしい。
そこまでして撮りたいものでもない。

じゃ沖縄?
しかし沖縄に日帰りで突発的に行くほどの暇はないし、何より台風3号が来ており飛行機の便も停まっている。
じゃコストコ? いやそれは会員証が必要だし、あまりにチープすぎる。

無難に横須賀のドブ板通りにでも行ってみますかね・・・
関東ではあの界隈が一番アメリカ情緒を出した場所のはず。

決死モデルはチームPペギーに出てもらうことに。
ただしペギー松山(モモレンジャー)はスイスとのハーフであり、アメリカとのハーフではないようである。とは言ってもフランス系なのかドイツ系なのかまでは設定が無いようである。
国民皆兵のスイスにあって、ペギーの父方の実家でもきっと自動小銃を持っていたのだろう。

・・・という話はどうでもよくて、東西線と京浜急行に乗って横須賀を目指しましょう。
金沢文庫までの快速特急は、ドレミファインバーターの新1000系と幸先がいい。
文庫で各停に乗り換え汐入へ。

独立記念日インディペンデンス・デイだけにペギーの衣装も星条旗ビキニ。

そもそも、なぜ「ドブ板通り」なのかというと、話は戦前に遡り、現在の米軍基地に至るまでが「大日本帝国海軍横須賀鎮守府」だった時代、この通りにはドブ川が流れていたのだという。
このドブ川の上に、横須賀海軍工廠から分厚い鉄板を貰ってきて渡して、通りのようにしたのがその嚆矢なのだという。

そして日本が敗戦し、アメリカさんが進駐し海軍基地として使用するようになってからは、店々の看板は英語に書き換えられ米兵で賑わうようになり、特にベトナム戦争期は物凄い賑わいだったのだという。
ベトナム戦線は泥沼化し本国では反戦運動まで起こされて兵士の士気は下がる。
明日をも知れぬ命を、このドブ板の上で荒くれて発散したアメリカ兵も数多くいただろう。

ここで無難ににしこくん仕事も。

ところで、このドブ板通りの一番南側の繁華街との接点にある最善堂時計店という店、ファザードの文字は昭和20年代、それも戦後すぐを知っていそうなフォントである。

こういうのを横須賀市の文化財に指定してもらえたりはしないのだろうか・・・。

ところで、このドブ板通り、7月4日だからと言って特段のお祝いをしているわけでもないようで、ただ、どこかからの修学旅行生で賑わっていた。
平和学習か何かが目的で来ているのだろうか。

ベトナム戦争期の荒くれた「ヨコスカ」も今は昔、横須賀も今や町おこしに必死な一つの地方都市となっている。

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