やっぱり今回名古屋に来た目的と言えばこっち。
本日はお店の前にこのような目印を置いています。
探せるかな〜? pic.twitter.com/AZF32w24rC— 欠損BAR ブッシュドノエル公式 (@bucheden0el) 2017年5月20日
TRS48に関する事項です。
やっぱり今回名古屋に来た目的と言えばこっち。
本日はお店の前にこのような目印を置いています。
探せるかな〜? pic.twitter.com/AZF32w24rC— 欠損BAR ブッシュドノエル公式 (@bucheden0el) 2017年5月20日
欠損バーで名古屋に行くついでに・・・
『欠損バー 名古屋』
5月20日(土)
1:1200〜1330 満席
2:1345〜1515
3:1545〜1715
4:1730〜1900 満席
5:1915〜2045 満席— 欠損BAR ブッシュドノエル公式 (@bucheden0el) 2017年5月12日
かつては名鉄の代名詞とも言われた7000系パノラマカーであるが・・・
設計上の愁眉は何と言っても「ダンプキラー」となろう。 “ダンプキラー設計成功の陰で” の続きを読む
眞子さまと御婚約あそばされた海の王子こと小室圭さんは一夜にして「朝お起きになられ」「自宅をお出でになり」「電車お乗りになられ」「会社にお着きになられ」るまでの一挙手一投足を御報道され、「意見交換会」をネット民に合コンと邪推されるまでの御身分におなりあそばされました。
【小室圭さん会見 多くを語らず】秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さまと近く婚約と報じられた小室圭さんが会見。「時期が参りましたら」と多くを語らず。 https://t.co/RU6JADcaVQ
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2017年5月17日
Jimdoでご愛顧いただいていたかどうかは分かりませんが、「喜び組のフリークショー」を、WordPressに移行します。
http://grbapsc.sakura.ne.jp/wp/
WordPressについてはまだわかっていませんが、今後ともご愛顧のほどをよろしくお願いいたします。
昭和史に興味がある、というのであれば、下山事件は避けて通れないのではないだろうか。
昭和24年7月5日、その年に発足した日本国有鉄道の初代総裁・下山貞則氏が専用車での出勤途中に日本橋三越で行方不明となり、翌6日 に常磐線の北千住~綾瀬の東武鉄道と交差するあたりで死体で発見されたという事件である。
この事件は自殺なのか、殺されたのかについて、朝日と毎日の両新聞社ばかりではなく、法医学界では東大と慶應、警視庁内でも捜査1課と捜査2課でも対立し、結局は何も分からないままになってしまった・・・ということだけはとりあえず本を読む前からわかっている知識である。
(写真はWikipediaから) “【ブックレビュー】生体れき断 下山事件の真相” の続きを読む
ツイッターにはこんなハッシュタグがあるようで・・・
では当方もTRS48のメンで・・・ というのは無駄な炎上のもとになるのでやめときましょう。(やらないとは言ってない)
場所あたかも国営ひたち海浜公園。
ネモフィラの最後のシーズンである。
ブログの形式を新しくして、写真が出るようになったら、やたら写真がボケているのが気になる。
これまでの懸案だったTwitterでのOGPが可能になりそうな見込みです。
このページを読めばtwitterでJimdoのOGPを反映できるよう設定できる。https://t.co/nOTdDGZ5Hc
— マカマカP (@Venus_Revue) 2017年5月11日
大石順教尼の足跡を偲ぶ旅の最後は、「堀江六人斬り」の惨劇の跡である。
「大阪府警察史 第1巻」によれば、惨劇のあった山梅楼は、
西区北堀江上通三丁目一七七番地
にあったのだという。
北に「北堀江上通二丁目」、
東に「北堀江下通二丁目」が通っているというので、街区の北東角にある建物ということになる。
どうやら、古い地図と現在の地図を重ねてみると、確かにその場所が浮かび上がってきた。 “大石順教尼の足跡を偲ぶ(3)堀江六人斬り 惨劇の跡” の続きを読む
高野山奥の院の腕塚から、南海高野線で数駅降りた九度山という駅に、「萱野家」という真田幸村ゆかりの旧家があり、そこはまた「大石順教尼の記念館」として一般にも開放しているので、一度行ってみることにしたい。
現在の九度山駅は、すっかり真田幸村ムードに包まれている。
今回は、大石順教尼の足跡をたどって高野山や大阪を回ることとしたい。
大石順教尼とは?
明治21年に大阪で生まれ、13歳で堀江新地の「山梅楼」で芸妓になるも、17歳の年に山梅楼主人の兇刃による「堀江六人斬り」で唯一命を取り留めるも、両腕を失い、その後得度し出家して、一生を障害者自立のために捧げたという方である。
この大石順教尼の墓所と、両腕を供養した「腕塚」が、高野山奥の院にあるというので、行ってみることとしたい。