大石順教尼の足跡を偲ぶ(1)高野山奥の院「腕塚」

今回は、大石順教尼の足跡をたどって高野山や大阪を回ることとしたい。

大石順教尼とは?

明治21年に大阪で生まれ、13歳で堀江新地の「山梅楼」で芸妓になるも、17歳の年に山梅楼主人の兇刃による「堀江六人斬り」で唯一命を取り留めるも、両腕を失い、その後得度し出家して、一生を障害者自立のために捧げたという方である。

この大石順教尼の墓所と、両腕を供養した「腕塚」が、高野山奥の院にあるというので、行ってみることとしたい。

まずはバスで奥の院のバス停で下車。
高野山駅方面からであれば、山内循環バスで終点となるので訪れやすい位置にある。そして山門から道なりに歩く。
(決死モデル:チームY楼山

道なりに歩き、最初の四つ辻の左前を見ると、花菱アチャコの句碑や「楽書塚」が見える。
その左隣が正に「腕塚」となる。
それほど難しい道のりではない。

その区画には、大石順教尼の墓の他、慈手観音と腕塚がある。
まず墓所に手を合わせる。
しかる後に撮影に入る。
大石順教尼がご存命で、現在「手足のない女の子がいるバー」が東京の新宿で人気であるという事を知ったら、どのように思われるであろうか。

ところで、高野山には色々な企業の色々な墓があるもんだね・・・

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