雨のフォルモサ

〽雨音に気付いて 遅く起きた朝は まだベッドの中で 半分眠りたい・・・

・・・という「12月の雨」を地で行くような台湾の朝。
昨夜はやたら遅かったので朝も遅い。
9時ごろ目が覚めた。

とは言っても、今日はノープランなのだ。
とりあえず行きたい所は、「十三号水門事件」の現場と、後は平渓線さえ見れればいいかね・・・

さて、その「十三号水門事件」とは何か。
「台湾のロミオとジュリエット」と言われている有名な事件である。

日本で言えば昭和25年、台湾なら民国39年の1月13日の朝のこと。

台北の淡水河畔に住む農夫が、朝に農作業に行こうと思って13號水門の前に来ると、若い女性の死体があるではないか。
急いで警察に届け出た。

翌1月14日の朝刊が出るまでに分かったことは、その若い女性の死体は遺書の他に、日本語の「中国語言教授法」「中国語言語文学」、中国語の「春野恋人」という本を持っていたこと、現在の台鉄の区間車の行先駅である樹林に住む19歳の女性であること、そして、遺書などからは自殺あるいは無理心中に失敗して女だけが死んだのではないかと疑われるような状況であった。

では男の方はどうなっているのか。
男の方は24歳のラジオ局に勤める男で大陸の方から来たらしい。
この自殺の報を聞いて涙を流したのだという。

男の方は文学を愛し、そのことから女も惹かれ、いつしか2人は結婚を誓い合っていた。
しかし、女の方の父親が結婚に反対していた。男が大陸の厦門から来たということが引っかかっていたようである。
結局、男の方はラジオ局の同僚と結婚することになった。

1月12日の午後のこと。
その日もラジオ局に勤めていた男は樹林からの1本の電話を受けた。
「夜の7時半に台北駅に汽車で着くわ。そこで会いましょう」
結局、それが彼女にとっては死出の旅となった。

この日の中央日報の別の記事から。
男の方は「女から『一緒に死にましょう』とか言われて大変だたった」みたいなことが書いている・・・ ように見える。

遺書にはどんなことが書いていたのか。

お父さん!お母さん! 私はあなたたちと永遠に別れを告げることになりました。だからと言って悲しむ必要はありません。私は永遠にあなたたちの元にいます。
今、私には結婚したい人がいることに関してどれだけ言葉を尽くしても言い足りないことがあります。でも私は愛情に絶望しました。どうしてこの先再び世間で生活することができるでしょうか? もう言葉はありません。私があなたたちに望みたいのは、私の死を悲しまないでほしい、男の人を悪く言わないでほしいということです。私が死んだからと言って、台湾の外の人を悪く言わないでください。
最後に皆さんの健康をお祈りいたします。あなたたちの親不孝な娘より

ちなみに、より正確な訳が立命館大学の論文で出ている。

翌15日の中央日報では、女の方が荼毘に付せられたことを報じている。

しかし、家族は自殺であるということに懐疑的だったようである。
警察も、遺書の筆跡が本人のものであるかどうかについて疑いを抱いていた。
文章がやたら上手なこと、内容がやたら男を庇うものであったことに疑いが向けられた。

また、男の方には妻がいるのである。
その妻のコメントも掲載されていた。
「何も聞きたくないし何も言いたくない。女の人については多少は知っていた。しっかりした家の娘さんだとは聞いている」

2人の写真も載っているが、結構なイケメンと美人である。
そういうこともあって、全台湾の話題をさらうことになったのである。

その後、この事件をモチーフにした作品が何個もつくられた。

  • 1950年 歌謡曲「青春悲喜曲」(陳達儒作詞、蘇桐編曲)
  • 1951年 小説「淡水河心中」(陶晶孫)
  • 1964年 映画「河邊春夢」
  • 1964年 映画「陳素貞與張博帆」
  • 1996年 テレビドラマ「臺灣靈異事件」第一單元:來世再見
  • 1980年 映画「少女殉情記」
  • 2017年 映画「血觀音」
  • 2017年 舞台劇 「夏雪冬雷──淡水河殉情記」

何と事件発生から70年が経とうとしてもなお新たな作品のモチーフになっているというほどの有名な事件であった。

さてその事件の現場に行きましょうか・・・
時間は10時を過ぎていた。
ちょっと寝坊しすぎただろうか。

重慶大廈のような宿を出て台北駅方面へ。
さすがに車やバスが沢山走っている。
新光三越という日本との合弁のデパートもある。

駅前には物乞いがいたが、右足を膝下から切断していた。つまりはRBKということになる。
決死モデル:チームR真夜

大陸中国と違ってQRコード決済で物乞い、ということはなかった。
そういえば台湾のQRコード決済はどうなっているのだろう。あれは、偽札のリスクが高い国ほど普及率が高いというが・・・

この先、平渓線にも乗りたいので、バスを使ってもどの系統かも分からないし、バスを使うにもこの後の予定を圧迫してしまうかもしれない。
ここはひとつ計程車タクシーで行きますかね・・・
ということでタクシーで現場に向かうことに。

とは言ってもお互いに言葉が分かるわけではないので、Googleマップの「阿嬤家-和平與女性人權館 AMA Museum」を目標に行ってもらうことにした。

果たして到着すると、ゴミゴミした台湾らしい町並みが広がっていた。
また、1950年の時点で既に存在していたのではないかと思うような古い建物もある。
あの事件で、死体を発見したのが農夫であったからと言って別にここは一面の農地だったということはなさそうである。

また、その「13号水門」のあった場所は現在水門はない。
ところで、新聞にあった「涼州街134巷地先」の番地には、檳榔店がある。
ただ、店の女性が別にセクシーな恰好してるわけではない。台北とかでは規制が入っているのだという。

さて、行くだけ行ったら次は平渓線を目指しましょう。
実は地下鉄の大橋頭駅が近かったらしい。
これでさっさと台北駅を目指すことに。

到着したら11時30分頃だった。
それで昼食でも食べてから平渓線の乗換駅の瑞芳駅に行くことにしようと思い、12時発の区間車(近郊電車)の切符を買うことにした。
しかし台北駅の中には食べる店がまるでない。あるのはコンビニかお惣菜屋さん系の店だけ。
仕方が無いので、昼食は瑞芳で食べることにして、11時48分の花蓮行き「莒光」に乗ることにした。
決死モデル:チームTアンヌ

「莒光」の車内はいい感じに古き良き「日本国有鉄道」を思い出させてくれる。

そして40分ほど「莒光」に揺られて瑞芳へ。
ここで平渓線に乗り換えるが、13:08の八斗子行きまで30分以上あるので、昼食をとることにする。

駅前には魯肉飯の店がある。
しかしまあ八角の香味が強くて食べにくいことよ・・・

そして駅に戻り、平渓線のフリー切符を48NT$で買って3番ホームへ。
ホームに出ると、13:00の菁桐行きがまだ出発していなかった。車内は立ち客も出るほどの盛況である。
決死モデル:トルソーさんナイ

これをやり過ごすと、逆方向の八斗子行きが来る。
これに乗りこむと、車内は全くガラガラであった。
途中駅は海科館駅前のみ。

そして八斗子に到着。
ホーム1本だけの駅で、眼前には荒海が広がる。まるで予讃本線の下灘駅のように。
決死モデル:チームWBラジエッタ

観光客もそれなりに来ている。全員が女性で、自撮り棒で思い思いに写している。

数十分の後、逆の菁桐に向けて発車した。
車内にはさっきの女性客も含め数人程度。かなりガラガラである。

再び瑞芳に到着し、客の流れが変わる。
とは言ってもさっき見送った13:00発ほど客がいるわけでもない。

平渓線のディーゼルカーはしばらく東廻本線を行く。
平渓線として山側に分岐するのは三貂嶺からになる。

車窓は台湾らしい断崖絶壁が広がる。
これはなかなかの絶景である。台北からも近く、人気観光地であることはうなずける。
元々、この地域は鉱山地帯だったのだという。

・・・と、タイのメークロンのように車窓の両側に市場が広がってきた。
その先に十分駅があった。

この十分で列車交換を行うので数分停車する。
そして客のほとんどがここで降りて行った。
決死モデル:チームTフジアキ

観光客向けの店が線路の両側に広がる。
この先はほとんど何もないと聞いている。

やがて八斗子行きの対向列車が来て、こちらも出発と相成る。
後の駅は、嶺腳、平溪、菁桐と続くが、いずれも山間深い鉱山町としてまるで夕張本町のような趣を醸し出していた。

そして終点の菁桐に到着。
日本語で書かれた旅行記には「何もない駅」と紹介されていたが、なかなかどうして観光地化されている。
駅舎は明らかに日本時代に建築されたものであろう。
決死モデル:チームWB嵐山

日本の古い駅を彷彿とさせるような古い待合室の中には、「空襲の時に逃げる時の導線図」が掲示されている。
割と新しめの図であったが、常にこのような恐怖に晒されているということなのだろう。

そして駅前に出て、山猪の香腸ソーセージを食べることに。
しかし出来上がりが遅い。
「慌てないで。まずは先のお客さんの分を焼いてから」
「いや、というか15:12分ので行きたいんだけど・・・」
「えっ!?」

はたせるかな、その15:12の八斗子行きは無情にも出発してしまった。
「ごめんなさいね・・・」おばさんは気にしている様子。

・・・と、隣の店のおばさんが、
「あんたどこに行きたいんだい? 十分かい? ならバスがあるよ」と、iPhoneで時刻を検索してくれる。

本当であれば、列車で十分まで戻って。さっき通った十分の市街地を堪能したらバスで地下鉄の木柵駅まで行こうと思っていたが、面倒臭くなったので「台北に行きます」と答えることにした。

菁桐駅の近くの幹線道路上にバス停はあり、程なくしてバスは来た。
後は台北を目指すだけ。

地下鉄 というか捷運の木柵駅は都営三田線の蓮根駅のように高架上にあった。
この路線は・・・ゴムタイヤ式? まるで札幌のというかパリの地下鉄のような感じである。
決死モデル:チームRハナ

木柵駅は始発から2駅目であり、座りながら行くことができた。
さて次はどこへ行こうか?

正直、もう行きたいところが無いのである。
どうせなら士林夜市にでも行きますかね。

Googleマップで検索すると、大安で淡水線に乗り換えて剣潭に行けばいいようである。
この淡水線でも座ることができた。

剣潭で降りると日が暮れかけていた。
夜市は若者で賑わっている。

臭豆腐の屋台もあったが、噂通りの臭さである。
決死モデル:チームR持田

Wikipediaでは、以下のように記述している。

元来、発酵液に漬けて作る臭豆腐は湖南省の郷土食であったが、近世中国各地に伝播した。中国南部、台湾、香港などの地域では広く食べられているが、独特の臭い匂いがあるため、人によって好みが分かれ地元民であっても食べられない者もいる。台湾では外省人が戦後広めた(1949年に湖南省の李名傳が広めたという説がある)。
元は野菜などと一緒に豆腐を1週間ほど漬け込んで作っていたが、発酵の制御が難しく今はほとんど行われていない。台湾、香港で市販されているものは植物の汁と石灰等を混合し、納豆菌と酪酸菌によって発酵させた漬け汁に豆腐を一晩程度つけ込んだ物。豆腐自体の発酵はほとんどしていないが、豆腐表面の植物性タンパク質が、漬け汁の作用で一部アミノ酸に変化し、独特の風味と強烈な匂いを発するようになる。

冒頭の事件でも、男の方は1949年に台湾に来ている。
デートの時など「大陸じゃあんな臭いもの食べてるの?」「まさか、あんなの湖南省の山奥だけだよ」なんて会話もしたのだろうか。

屋台で色々食べたくらいにして、後は士林駅前の喫茶店でブログを付けて、後は台北駅前のドミトリーホテルに投宿。
外国人旅行客のたまり場のようになっており、久しぶりにバックパッカーとしての自分を思い出した。

 

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