高知嶺北収鋲

北朝鮮KCTV「録画報道:咸鏡南道新興郡 被害復旧工事を力強く進める」より🇰🇵
今日また洪水復旧作業も槌音が聞こえる。
それ以上に聞こえるのは芸術宣伝隊の歌声。

今回の番組のキモは、その復旧工事が昼夜兼行で行われているということ。
しかしトラックのライト以外はかなり暗い。
これがあの衛星画像で日本・南朝鮮・中国よりひときわ暗かった北朝鮮のリアルな夜である。

目が覚めたのは6時台。
とりあえず、最初に土佐市に行きたいので、その時間だけ調べる。
その結果、堺町は8時05分に出発すれば良いと言うことだけわかった。

朝食はバイキングではない。
おそらくはコロナ対策であろう。

8つ位の定食から選ぶようになっているが、今日はカツオの藁焼き定食を頼むことにした。
魚が食べれないのだが、やはり高知に来たのであれば高知らしいものを食べたいではないか。
あと「インスタ映え」。

魚は嫌いだが意を決して食べてみると、なかなか旨い。
ローストビーフにも似た味わいがある。

駅前のホテルから、はりまや橋まで歩いて10分位であろうか。
余裕をみて、15分ぐらい前に行くことにした。

そうすると、意外と歩くことがわかった。
はりまや橋についてみると、かなりギリギリとなっていた。

それでも、はりまや橋だけは写真に撮ることにしたい。
「日本3大がっかり」の一角を占めている。

そして、堺町のバス停から高岡行きのバスを待つことにする。
基本的に、高知市内のバスは、必ず高知駅前をターミナルにしているという事は無い。
高知市内でバスが集まるのは、高知駅前以上にはりまや橋である。

堺町に来るバスは、県庁前行というのが多い。
長浜から来る高岡行きも、少し遅れて到着した。

高岡行きのバスは、高知から松山まで四国の右半分を半周する国道56号線を南西方面に下っていく。

そのうち、「春野」というなんだか聞き覚えのあるような地名のアナウンスが流れてくる。
春野と言えば、西武ライオンズのキャンプ場にしてるところではなかっただろうか。
ここがそうだったのね。

そして仁淀川の橋を渡ると、土佐市に入る。

土佐市には国道56号線が通っているが、JRの線路は通っていない。
鉄道が通っていないのかかわらず、土佐市は昭和34年に市制している。
そんな早いうちから市制する位、何が盛んなのかというと、特に何も盛んではないようで、あえて言えば広い平野部での農業が盛んなようである。

土佐市役所前でバスを降りると、その市役所は改築中であった。
ただ、この地にある銀行は高知銀行も愛媛銀行も「高岡支店」となる。
昭和34年に市制した時、明治22年に既に市制していた富山県高岡市に遠慮して、「高岡市」とはせず「土佐市」としたようである。

いずれ、これをもって高知県土佐市は収鋲としたい。(収鋲率:高知県52.9%、全国50.7%)

その土佐市の町並みを歩いてみる。
何の変哲もない、普通の地方都市であるように思える。
国道56号線は、この土佐市の中心部の街並みを避けて、現在ではバイパスとなって市街地を迂回している。

その市街地と、国道56号線の西側のジャンクションが「高岡高校通」と言うことになる。
このバス停に、神戸や大阪に行く高速バスも通るし、ベンチもある。

そんなことを考えてたら、すでに国道56号線の交差点の向こうには、伊野行きのバスが来ている。
伊野行きのバスは、土佐市が運営する「ドラゴンバス」と言うのだが、基本的には、とさでん交通が運営しているので、車両の大きさも、とさでん交通のバスと同じ位である。

バスは土佐市の市街を出ると、仁淀川沿いを上っていく。
仁淀川の東側は、高岡郡ではなく吾川郡となる。

そして30分ほど走ると、伊野駅前に到着する。
ちなみに、「伊野駅前」と「伊野駅」のバス停は違う。
伊野駅前と言うバス停は、あくまで幹線道路上にある。
伊野駅と言うバス停が、本当に伊野駅の前にあるのだ。

長沢行きのバスは、まだ1時間以上あるので、土佐電鉄の伊野駅を見ることにした。

もともと、なぜこの伊野まで土佐電鉄の路面電車が走っているかと言うと、この伊野の名産物である和紙を運ぶためだったのであると言う。

確かに、高知において鉄軌道の歴史とは、国鉄よりも土電のほうが早いのである。
昭和31年の証券会社社長殺害事件でも、被害者は大阪から高知には船で来ていた。

この井野町は、日本の路面電車が走る自治体の中で最も最初の自治体であるのは確かであろう。
電車は、1時間に1本あるいは30分に1本来るようで、後免まで通しで走る系統はなく、文珠通で終わるようである。

一応、1本来てくれたので、それを撮って伊野駅でバスを待つことにしたい。

果たして10時49分、長澤行きのバスが来た。

バスは雄大な仁淀川沿いに、国道194号線を上っていく。
国道194号線は、四国山地を縦に切り、伊予西条まで行くルートである。

今でこそ全線がいの町内にあるが、「平成の大合併」までは、吾北村・本川村と言う独立した自治体であった。
曲がりくねった山道を登っていく、なかなか険しいルートである。

途中、柳瀬営業所というところで、乗務員が交代する。
ここはまだ、平成の大合併以前でもすでに伊野町内にあった区域であり、まだ前ルートの半分も行ってないところにある。

ここから先は、すでに雄大な仁淀川ではなく、峻険な山が入り組んだルートとなっている。

そして、バスに1時間強乗ったところが終点の長沢となる。
ここが本川村の中心部であった。

バス1台だけの簡易な車庫があり、そして待合室もある。
なかなか立派な交通センターとなっている。

ここから先は、嶺北観光バスでいくことになる。

…と、その霊峰観光バスのマイクロバスは、今まで来たバスのバス停の向かいに既に待機していた。
こんな山奥まで来ると、やる事は結構アバウトである。

そして出発。
驚いたことに、このマイクロバスは、ワンマンバスではなくツーマンバスなのである。

マイクロバスは、ドコモの電波すら届かないような深い山奥を縫うように走っていく。

ツーマンバスの車掌曰く、「この先、県道が崩落していて迂回するけど大丈夫ですか」と聞いてくる。
いや、もし仮に「だめです」と回答しても、何もしようがないのではないだろうか。

早明浦湖に架かる橋の向こうに、まとまった集落が見えてきた。
あれこそが大川村である。

高知県土佐郡大川村。人口350人。
あまりにも人口が少なすぎて、村議会を廃止して「町村総会」に移行しようと言う議論がなされたと言うことでも有名である。

大川村の中心部は、早明浦湖に沿って存在しているのみである。
役場があり、診療所があり、郵便局があり、駐在所があり、農協の売店があり、特産物の加工センターがありで一通り揃っている。

「大川局前」と言うバス停が大川村の交通センターの体をなしていると言っていいだろう。
とはいっても、ベンチすらないのである。
人口350人の村にそのようなものを求めても仕方ないのだろうか。

申し訳ないが、福祉センターの玄関のベンチでしばらく休ませてもらうことにした。
昼食は、伊野のローソンで買ってきたカロリーメイト。

これにて、高知県土佐郡大川村は収鋲としたい。(収鋲率:高知県55.9%、全国50.7%)

そうしていると、黒丸という所まで行っていたマイクロバスが戻ってきて大川局前で客扱いを始めた。
車内には2人程度乗っている。

そして早明浦湖の左岸を走り、集落になってくるとそこが田井であった。
田井には嶺北観光バスの車庫があり、堂々たる交通センターが存在する。

早明浦ダムのたもとにあるこの田井という集落が、高知県土佐郡土佐町の中心となる。
ここにて高知県土佐郡土佐町は収鋲とする。(収鋲率:高知県58.8%、全国50.8%)

早明浦ダムのある吉野川を挟んで右岸と左岸で土佐郡土佐町と、長岡郡本山町が分かれている。
川を挟んで自治体が分かれているので、生活圏が一緒なのである。
それは昨日の高知県宿毛市愛媛県南宇和郡愛南町篠山小中学校組合立篠山小中学校と事情は似ているであろう。

と思ったら、会社というか직맹の人から電話。
「今どこにいる?テレワーク?」
「いや、夏休みで四国の早明浦ダムにいます」
「早明浦ダム!? あの茨城での会議の件だけどね。規模拡大しようと思って」
「あっちの人を動員するなら何か手土産必要じゃないです?」
「そりゃそうなんだけどさ… とにかくできることはしようと思って」
「で、それの準備はこっちがやる、と…」
「ところで早明浦ダムは干上がってる?」
「そんなことなかったですよ。大川村役場も見えなかったですし」
「あっそう。まあ楽しんでね」

さて、ここから早明浦ダムのダムサイトの上に行ってみたい。
そのためにはタクシーで行ってみたい。

バスの車庫の近くに、タクシー会社があったので、そこで1台お願いできないか頼んでみたら、10分ぐらいしたら戻ると言う。

そう思って待っていると、ものの2分か3分でタクシーが来た。
「お客さんどこからきたの」と聞くので、千葉からですと言うと、その運転手の子供も千葉なのだと言う。
船橋に住んでおり、帰省する時は成田空港から高松便の飛行機に乗ってくるのだと言う。

「お客さんは早明浦ダムは初めてなの」と聞くので、初めてですと答える。
「早明浦ダムはねぇ、昭和44年にできたけど、私は高校生でバイトをして、1日3000円位の金になった」のだと言う。

ダムサイトに到着し、自分が本山町側に行ってる間、運転手はそこで警備をしていたおばさんと話に興じていた。

ところで、他のサイトの上のほうの本山町側は立入禁止になっていた。
仕方がないので、そこで写真を撮るしかない。

これをもって高知県長岡郡本山町は収鋲とさせてもらう。(収鋲率:高知県61.8%、全国50.8%)

運転手は、こちらがタクシーに戻ってもなお、警備員のおばさんと話に興じている。
「戻ってきたから早く戻ろうよ」と言うのも無粋なので、運転手が満足するまでこちらは話しかけないことにした。

運転手も満足したのか、田井に戻ることにした。

さっきまでどんな話をしていたのかと言うと、いつだったかの大雨で、早明浦ダムの放流で、あまりに放流量が多すぎて、下流である田井の集落は床下浸水などの被害を被ったのであると言う。
あまりにも被害が甚大であったため、高知県選出の国会議員を呼んで話をしたのだと言う。

そして、単純に体まで戻ったわけではなく、「四国で1番の清流はここだ」と言うことで、支流を見せてもらった。

「田井から出るバスは15時55分だからね」と、いろいろサービスしてもらい、結局料金は980円だった。
かなり安いような気もするが、話し相手になったと言うことがまぁ大きかったのかもしれない。

バスの待合室のテレビを見てみると、自民党総裁選で岸田が河野を破って総裁になったのだと言う。
まあ岸田だったらよかったかもしれない。
何より、新自由主義を否定して正常に戻すと言う考えがあるということが期待できる。

さて、田井からのバスは、県庁前行きと言うロングランのバスであった。
このバスに乗れば、高知市内に1番早く着くのであるが、そうなると大豊町を収鋲することができなくなるので、大杉駅で降りることにした。

バスの車内には3人か4人乗っていたが、「大杉駅前」とアナウンスされると降りようとしていたが、「JRに乗るんでしょ?駅なら入るから」と、橋を渡って大杉駅まで入ることになった。

とさでん交通のバスと言うのは「駅」と「駅前」というのが厳然と区別されているようであった。

土讃線の大杉駅は、峡谷の中にある緑豊かな駅であるが、周りに建物がほとんどない。
ただし、ログハウス風の駅舎の脇には、国鉄の頃に使ったであろう詰所が今でも残っている。
そして、側線には事業用車が停めてある。
国鉄の頃から、保線の拠点駅であったという事は明らかであろう。

これにて、高知県長岡郡大豊町は収鋲としたい。(収鋲率:高知県64.7%、全国50.9%)

ブログの下書きを口述筆記しながら待っていると、上りと下りの両方から列車が来た。
上りは岡山行きと高松行きの特急、下りは高知行きの普通列車である。

キハ1000が高知に向けて出発すると、トンネルがちな路線を走りドコモの電波がまるで入らない。
それでブログの編集も思うにまかせない。

ところで、Yahoo!路線で調べたところによれば、ここから高知に1番早く着けるのは、土佐山田でこの普通列車を降りて土佐山田から「南風」に乗ることなのだそうだ。

それで土佐山田で普通列車を降り、18時33分発の「南風17号」に乗ることにした。

南風17号は、さっきまで乗っていた普通列車を後免で追い越すようであった。

ところで、この2700系ディーゼルカーは、ディーゼルカーなのに座席から電源が取れるのである。
これは素晴らしい。さすがはバスとの競争にさらされているJR四国だけの事はある。

しかし、充電する間もなく「南風」は終点の高知に到着。
同じホームでは、宿毛行きの「あしずり」が待っている。
3両編成の特急が到着し、2両編成の特急が出発すると言うことである。

さて夕食であるが、昨日と同じ鍋焼きラーメンに行くことにしたい。

ところが、ご飯がもうないのだと言う。
仕方がないので、ラーメンの方を特盛にすることにした。
とはいっても、この鍋焼きラーメンは超がつくほどあっさりラーメンなのである。

食べるだけ食べたら、高知駅前のホテルに投宿することにしたい。

今日は、上着もズボンもコインランドリーに出すことにしたい。
と言うことで、コインランドリー放り込んだのだが、そうすると、酒を買いに行くこともできない。
仕方がないので、自動販売機でお茶を買った程度にしておきたい。

明日は、6時半の列車で行くので、朝食はここで食べる事はできない。

 

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