また一つ県境越え路線が消える

北朝鮮KCTV「録画報道:年間人民経済計画を前倒しで完遂」より🇰🇵
1年の4分の3で年間計画を完遂した工場があるという。
それは平壌市楽浪区域の楽浪栄誉軍人樹脂日用品工場。
まあ洗面器とかそういうのを作る工場ですね。

ただ計画の完遂とは言っても、需要のあるなしに関わらず材料さえ供給されてラインさえ回して決められた量を作ってればそれでOK、余ってもそれは知らないよ、というのであればロスも大きいような気がするがどうなんだろう?

目が覚めたら5時前だった。
ここで二度寝したら確実に起床時間になってしまう。

また、匂いはある。
昨日は、高知県内では高知市と土佐市といの町と、午前中に滞在した市町で発生したので気が気ではなかった。

今日の列車は、6時32分の須崎行きである。
それに向けて準備をすることになる。

朝食は、高知駅の近くのファミマで買うことにした。

須崎行きは、キハ32の2両編成であった。
6時台の列車では俺は、部活の朝練の高校生をたくさん運んできた。

そして高知を出てもなお、高校生は結構乗っている。
旭と高知商業前でたくさん降りていった。
旭はロッテの有藤の母校である高知高校が近い。

しかし須崎までの時間は長い。
その間、チョソンマルでも勉強していようか。
とにかく単語力を上げること。
そして「知る楽しみ」を忘れないこと。

西川のあたりから、また高校生が増えてきた。
佐川の辺りまで来ると、通学圏としては須崎と言うことになるらしい。

その高校生たちは、須崎のひとつ前の大間で降りていった。
そのようなわけで、須崎で降りたときには、数人しかいなかった。

須崎で降りると、昔ながらの国鉄らしい配線が広がる。
ここから先は、普通列車は1日3本か4本程度しかない。
あとは特急なのである。

須崎の駅前は、まるで昭和のような街並みである。
歩道にさびついたアーケードがかかっており、その下にバス停があった。

果たして、やってきた梼原行きは日野リエッセであった。
その程度の輸送量なのであろう。
ちなみにこの梼原行きのバスの客は自分1人である。

バスは、雄大な新荘川の流れを、国道197号線沿いに遡っていく。

収鋲する上で気になるのは、この場所が、どの自治体を走るかと言うことである。
始発の須崎市から、終点の高岡郡梼原町の間には、高岡郡津野町という自治体がある。

客が1人しか乗っていない状況であり、なおかつこの午前中に梼原方面に向かう客が乗り込んできて停車すると言う事態も見込めないことから、津野町での収鋲は持ち越しにしたいと思う。

ところで、終点の梼原から愛媛県の伊予日吉に抜けるバスは、たった6分の接続時間である。
だから、このバスの1分の遅れがかなりメールを左右することになるので、よくやるような、バス停ごとの遅れを継続することにした。
それによれば、大体1分から2分の遅れで走っていることが分かる。

ところで、東津野役場前からおばあさんが数人乗ってきた。
こういう需要もあるらしい。

トンネルを何個かくぐり、集落が開けてくると、そこが梼原町であった。

高知高陵交通の梼原営業所は、待合室には切符売り場もあり、名実ともにバスターミナルの面持ちをしている。

いずれ、ここにて高知県高岡郡梼原町は収鋲としたい。(収鋲率:高知県67.6%、全国50.9%)

伊予日吉行きのバスが出るまで、5分しか撮影時間は無い。
限られた時間の中で、手際よく決死を進めなければいけない。

しかし、いかんせん光線状態が悪すぎる。
もう秋の日差しなのだ。

梼原営業所に出入りするバスは、須崎から来たリエッセが1番大きく、それ以外のバスはマイクロバスとなっている。

日吉行きは、今日で終わりの系統である割には、客は自分1人しかいない。

そしてバスは、県境に向けて出発する。
昨日の大川村へ行くバス同様、ドコモの電波すら入らないような山奥を縫っていく。

迂闊なことに、車内で例のはんつ遠藤の記事を読んでいたら、県境をどこで越えたかわからなくなってしまった。

いつの間にか、下り坂になっていたのである。
つまり、峠を越えて肘川の流域まで来たと言うこと。

そして谷間にだんだん集落が開けてきて、そこが愛媛県北宇和郡日吉村…いや、愛媛県北宇和郡鬼北町となる。

バスの案内では、終点は「日吉駅前」となっていた。
確かに、伊予日吉は国鉄バス南予線のバス駅があり、切符も売っていたのは確かである。
今でもその表記になっているとはエモい。
もしかしたら駅の設備が残っていたりするのだろうか。

到着してみてわかったのだが、終点は駅は駅でも「道の駅」であった。
なおかつ、バス停の標柱が無いのだ。
これでは、バスに乗ろうと思った時にどこで何時に乗ればいいかわからないではないか。
今回は、梼原側から乗ったから良かったが、もし日吉側から乗ろうと思ったら、絶対に乗れなかったであろう。

…と思ったら、道の駅の中をくまなく探していたら、駐車場の隅っこの、コイン精米機のあるところに木製のポールが立っていた。
こんなところにあったら、バス停なんてわかるわけがない。
それも、バスはバス停と関係ないところに発着していた。
それに加えて、10月1日から休止になる旨の張り紙が貼ってあり、時刻表は撤去されていた。
ずいぶん気の早いことで…

ただ、道の駅の良いところは、食べるものが豊富にあると言うことである。
野村行きの宇和島バスは、12時58分に出ると言うので、それまでの3時間ちかくをここで過ごすことになる。

ともあれ、ここにて愛媛県北宇和郡鬼北町は収鋲としたい。(収鋲率:愛媛県70.0%、全国51.0%)

昼食は、雉メンチカツを食べることにした。
雉と言うと、かつて北海道の岩見沢で食べたことがあるが、なんだか生臭くてクセの強い肉だった記憶がある。
それでも、地元のジビエを食べると言うのであれば、食べてみたいではないか。

果たして、雉のメンチカツは、それほどクセもなく美味しく食べることができた。

さて、後は12時58分の野村行きのバスを待つだけである。

宇和島バスは、スマホでバスロケーションを見ることができるので便利である。
見てみると、4つ前のバス停に来ていた。
大体2分程度の遅れ止まっていた。

そしてバスに乗り込む。
野村までは40分弱。
少し休むことにしよう。

そう思って次に目が覚めたら、もうすでに野村町どころか宇和島バス野村営業所の構内にまで来ていた。
慌てて降車ボタンを押して降りる。

この宇和島バス野村営業所は、かつては国鉄バス四国自動車部卯之町線野村町駅だったところである。

バスから降りるとやたら日差しが強い。
ここは、かの「大日本ラブドール党」で八潮市議会議員に立候補された兵頭喜貴氏の出身地である。

確かに、この街を歩いていると、商店などには兵頭さんと言う苗字が多いようだ。

さてこれから先であるが、卯之町行きのバスは15時03分だと言うので、待合室でゆっくりしていることにしよう。

そうしてる間にも、バスは結構な頻度で出入りする。

さて、15時03分が来た。
バスセンターの脇のほうに、西予市民病院行きのバスが来たのでこれに乗り込む。

西予市民病院は卯之町と伊予大洲の中間あたりにあるようで、伊予大洲の駅まではいかない。

卯之町駅というか西予市役所前に15時27分に着いたとして、卯之町では1時間ちかく時間がある。
そうであれば、卯之町の歴史的な街並みをちょっと見ていこうか。

と言うことで、バスを降りて卯之町の歴史的な街並みをちょっと見てみる。

かつては、この街を通る街道は「宇和街道」と呼んでいたようである。
その頃の宿場町の面影が現在でも残っている。

中には、後藤新平や浅沼稲次郎も宿泊したと言う古い旅館もある。

とりあえず見るだけ見て、にしこくんくん仕事や決死もしたので、後は駅に行くことにする。

…と、駅にはなぜかNHKのテレビクルーがいる。
何事かと思ったら、今日の15時10分を持って、この駅の窓口は営業を終了するのだと言う。

それで、駅長が色々と記者の取材を受けていた。
駅長もまた、いかにもな「四国のおっさん」といった面持ちであった。

さて、16時22分発の「宇和海」が入ってきたので乗ることにする。
車内では、朝鮮語の勉強でもしていよう。
とは言っても、できる事は、NK-POPの歌詞を訳すくらいなのだが。

そして松山に到着し、「しおかぜ」に乗り換える。
アクセス時間は15分ぐらいあるので、駅の中のセブンイレブンで夕食を買うことにする。

そして発車ギリギリに車に乗り込んだら、席がほとんど埋まってるのだ。
そして、そのほとんどが高校生という…

別に、部活動の大会で岡山の方に行くと言うわけでは無いようで、それぞれの学校の制服が、日常の通学で使っているという面持ちである。

その間、デッキで立っているしかなかった。

高校生たちは今治で降り、やっと座ることができた。
後は暗くなっていく予讃線を東へ向かうだけ。
引き続き朝鮮語の勉強を続ける。

「しおかぜ」は岡山行きだけなので、宇多津で乗り換えなければいけない。
宇多津からは、徳島行きの「うずしお」が接続している。

「うずしお」は、宇多津まで高知行きの「南風」と一緒になって走る。
つまり、岡山から徳島までの間に、都合2回方向転換を行うことになる。
高松行きのマリンライナーのように、瀬戸大橋から坂出の直進ルートを辿るわけでは無いようだ。

宇多津の改札を少し出てみると、さすがに駅員がいなかった。
JR四国最大のジャンクションとは言え、やはり「町」にある駅だけに、利用客自体は少ないのだろう。

さて、2両編成の「うずしお29号」は逆向きで宇多津を出発する。
途中、高松でほとんどの乗客が降りる。
ガラガラな状態で、徳島を目指すことになる。

この列車も、キハ2700型なので、充電しながら移動することができるのである。
昨日のコーチと違って、それなりの時間を充電しながら過ごすことができたのでよかった。

そしてついに徳島に到着。
2番線からは、板野行きのキハ40が出発しようとしている。
キハ40も、だんだん見られなくなっていくので、撮るなら今のうちの方が良いだろう。

さて、今日の宿も、徳島駅の近くというか徳島駅そのものなのであるが、道宿する前に徳島ラーメンでも食べたい。
…と思ったら、もう閉店している。
徳島も緊急事態宣言が出ていただろうか。

それはともかく、酒とそのつまみでも帰って投宿することにする。

今日決死に出た7名を洗いに出せば、明日はイロハシャッフルとなる。

明日はダークツーリズムなので、新聞記事の解説を書きながら酒でも飲むことにしよう。

 

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