東武宇都宮線

回顧録です。(2023年5月15日しるす)

西新井大師で厄年の厄除けがてら東武大師線で厄除け。
その後、大師前にて決死
電車は2両編成。

宇都宮というか新栃木まで行くのに特急を使う必要があるのかどうかはわからないが、兎も角も春日部で特急待ち。
「きりふり」は東武日光行き。
かくて200系のきりふり275号。

東武200系車内。
ということで、「きりふり」で新栃木に到着。
蔵の町らしいよ。

宇都宮線は単線なので必然、列車交換がある。
ということで、おもちゃのまちで決死
そして、江曽島でもダイヤ上は3分ぐらい停車時間があったので、車内に荷物置いてホームに出て余裕かまして撮影してたら「ドアが閉まります」とな!
危ないところで飛び乗ったのだった。

東武駅の1つ前の南宇都宮で下車してみる。
いい感じの駅なので。
構内踏切で結ばれた島式ホーム1面2線の駅。
良い感じの駅舎。

ということで、東武宇都宮駅に到着。
この駅は、昭和34年以降百貨店の中にある駅となっている。
さすがは宇都宮で餃子のアピールに余念がない。
左が駅で、右がデパート。

ということで、西川田で途中下車してみましょう。
だだっ広い島式ホーム。
昔は宇都宮競馬場があり、開催日はにぎわっていたという。
その広いホームの上下線の中間に駅舎があるというスタイル。
東西の出入り口には地下道で出入りする。
だからこの出入り口は駅舎ではない。

西川田には県営グランドがある。
それが何かあったというのか?

  • 栃木雑貨商一家殺害事件 – Wikipedia

この事件で、犯人の菊地正が脱獄した際、兄と「草津節」の口笛を符丁に待ち合わせたのがこの西川田の県営グランドなのだという。

No.050 脱獄した死刑囚 菊池正・11日間の逃亡より

菊地は持って出た金ノコでこの鉄条網も切断した。最後の難関を突破し、ついに敷地の外へと出た。
ここからは速い。荒川沿いの道を全力で走り、すぐ近くの東武伊勢崎線の小菅(こすげ)駅を目指す。もちろん電車賃は持っていないので、土手の辺りの侵入出来そうなところから線路内に入り、そのまま駅のホームへと駆け上がった。無賃乗車である。
久喜駅でいったん降りて東北本線に乗り換え、栃木県宇都宮を目指す。
兄には
「新聞で脱獄が報道されたら宇都宮の総合グラウンドの○○へ来てくれ。」
と暗号で連絡をとっておいた。
とりあえずの目標地点はその総合グラウンドだ。宇都宮駅でも改札を通らず線路を走って囲いの甘いところから外へ出ることに成功した。
菊池が総合グラウンドへついたのは翌日12日の早朝だった。
(中略)
菊池の方は、兄との約束の場所である総合グラウンドでひたすら兄を待っていた。待望の兄が現れたのは脱獄してから4日目に当たる5月15日の夕方である。菊池は三日半の間、ここでほとんど飲まず食わずで兄を待っていたのだ。
久しぶりの再開に兄弟は抱き合って喜んだ。ここまではうまくいったが、最終目的は兄と落ち合うことではなく、実家の母に会いに行くことである。2人は用心に用心を重ね、母のいる実家を目指した。総合グラウンドから実家までは約20kmある。
脱獄から7日目の18日の午前中、2人は市羽村(現・市貝町)の実家の近くの山にたどり着いた。
「ちょっと実家の方へ偵察に行って来る。」
そう言い残して兄は実家へと先に向かった。
だが兄はそのまま帰って来なかった。実家の方に警察が張り込んでいることは容易に想像出来る。もう戻って来れなくなったに違いない。
そして翌日の19日にはこの近辺の大掛かりな捜索が始まった。再び1人となった菊池はこの後2日間、山の中を逃げ回った。

野州平川で交換時間があったので決死
かくて栃木に到着。

南栗橋で2分だけの待ち合わせ時間に決死
とはいえ、同じホームでの待ち合わせなのでそんなに大変なことはない。

さて、今晩はサンライズで岡山へ旅立ちです。
瀬戸か出雲かといえば「出雲」の方。
個室寝台。

今回の枕頭はサンライズの車内。
ファラキャと一緒に。

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