第3回ウォーキング 〜学問の自由と表現の自由〜

体重の推移は以下の如し。

体重は-2.7kg(前回比-0.3kg)で、10回平均は-2.7kg(前回比±0.0kg)。

昨日はりょなけっと展の前にかすうどんを食べ、なおかつりょなけっと展でお菓子を食べまくったので覚悟はしていていたが、それに比べてさほどは上がっていないという感じ。

昨日、風呂でスマホをいじっていたら、湿気で誤操作となり文京区の全域が表示されてしまった。
文京区というのは、山手線の内側にありながら、JRの駅が一切ないという非常に珍しい区である。
ただし、区の北側の境界に巣鴨と駒込が、南側の境界に水道橋と御茶ノ水がある。

いっそ、その北端と南端を縦断してみようか。

その中間には、今話題になっている東洋大学がある。

東洋大学は現在、あの竹中平蔵を国際地域学部教授かつグローバルイノベーションセンター長として招聘している。
その竹中平蔵を、哲学科の学生が立て看やビラで批判したというので、大学側が慌てて退学までちらつかせて黙らせにかかったのである。

ビラはネット上でも読めるが、大学当局の言うような素行不良であるとは思えず、理路整然としたものとなっている。
むしろ、他の学生がこの抗議に共鳴して立ち上がらない程に、従順に飼い慣らされていることを問題にすべきではないかとすら思う程だ。

そして何より、これこそが「言論の自由への弾圧」そのものなのだ。
レイシストへのカウンターや、エロ漫画への抗議が発生した時ばかり弾圧うんぬんと騒ぎ立てるが、「言論の自由」はそもそも、「権力者からの自由」を言うはずである。
反差別やフェミニストにばかり矛先が向かう「弾圧への抗議」とは何だろう?
抗議しやすい相手にだけ抗議して溜飲を下げるというのは余りにも情なくないか?

・・・というのはいいとして、早速步いてみましょう。

ということで巣鴨駅にやってまいりました。
決死モデル:チームY間宮

向こうには「老人の原宿」巣鴨地蔵商店街が見える。
ところで一昨年8月に拙ブログでも紹介した赤パンツ専門店の広告が無くなってる・・・?
調べてみると、一応店舖自体は健在のようである。

ともあれ今回歩くのは、巣鴨地蔵通りとは逆に白山通りを南下する方向である。

白山通りとは言うが要は国道17号線であり、今歩いている道を逆に行けば新潟まで行けることになる。

それにしてもあの中央分離帯の向こうに立つ国道標識おにぎりは紺色で古式ゆかしいものとなっている。
まさかとは思うが都電系統のラストナンバー41系統の廃止も見届けたとかじゃないだろうな・・・?

ところで沿道の商店では「都民ファースト」のポスターが貼ってあり、小池百合子も写っている。
思えば2017年の都知事選の熱狂は凄かった。
現在の安倍政権下で、自民党を一敗地にまみれさせた数少い例となったまでは良かったが、結局は「ジェネリック自民党」の化けの皮が剥がれたような形となり、希望の党として国政進出するも民主党まで巻き込んで空中分解という体たらくとなってしまった。

・・・だからこういうことはいいんだってば。

さて、この白山通りは都営三田線が真下を通り続けるが、千石の駅の真上でニ手に分かれ、本郷へ向かう国道17号と、水道橋へ向かう白山通りとなる。

今回は一旦国道17号に進路をとることにしたい。
こちらは国道であるにもかかわらず狭く、庶民的な商店街が続く。
かつてであれば、都電18系統が神田橋から志村坂上を結んでいた道となる。

・・・さて、いよいよここから今回のウォーキングの目玉となる、東洋大学となる。
一応「部外者立ち入り禁止」という表示は出ているものの、警備員が外部者の入構を咎め立てすることはない。何より今日は英検の受験日であるようで、東洋大学もその会場になっているようである。

構内に入り、大きな階段を登ると、創立者である哲学者・井上円了の銅像が聳え立っている。
そもそも東洋大学はの発祥はこの井上円了が創設した「哲学館」に遡る。
だから、今回抗議活動を行った学生の所属する哲学科は、東洋大学の看板学科であるはずだったのだ。
今般の騒動を、井上円了はどう見るだろうか・・・?

さて、その立て看事件の場所であるが、今やGoogle mapも構内に入っているようで、どこで発生したかまですぐに分かってしまった。
そして今回決死モデルとして出てもらったのは チームPメイ
なにしろ権力に反抗する形で政治ネタを扱うので、既に両腕を切り落としている時点でこんなことを気にするのもどうかとは思うが、政治的主張のために中の中の人に迷惑をかけるというのは気が引ける。
その点、メイの中の中の人であれば、頼まれなくても常時政治的な(ネトウヨ的な)主張を繰り広げている。
で、そのメイの中の中の人が、今般の竹中平蔵の件をどうとらえているかと言うと、最近の韓国軍のレーダー照射事件に忙しいようで、何とも思っていないようである。
基本、安倍政権大ちゅきネトウヨ共も弱肉強食の新自由主義は相容れないようである。

さて、撮るだけ撮ったらあとは退散。

東洋大学から国道17号線を離れ、急な階段を下って白山通りへ行くこととする。

都営地下鉄白山駅の近くには、かつて「朝鮮出版会館」があり、1階には「コリアブックセンター」という北朝鮮の図書の専門店があった。
決死モデル:チームR園田

ここでは、普天堡軽音楽団《ポチョンボアンサンブル》のCDや、在日漫画「イプニ」なんかも置いていた。

しかし2015年ぐらいに朝鮮総連は敷地を売ってしまい、現在では学生向けマンションになってしまっている。
ただし、コリアブックセンターは全くなくなったわけではなく、通販専門の書店として存在はしているようである。

そして白山通りを南下する。
白山駅自体は旧白山通りの真上にあり、朝鮮出版会館は東洋大学の西側のいわばバイパス道路ぞいにあることになる。

向こうに後楽園ゆうえんちの観覧車が見えてくると、両側にピルが迫って来る。
オフィス街の面持ちはあるが、この辺りがオフィス街であるとは聞いたことがない。中小企業がオフィスを借りやすい地帯であるという事だろうか。

そして丸の内線のガードをくぐると後楽園である。

さて、丸の内線の駅としては「後楽園」でも、都営三田線の駅としては「春日」である。
何故春日であるかと言えば、大河ドラマにもなった徳川家3代将軍家光の乳母春日局が拝領し、下男30人を住まわせた地域であるからだという。
そして春日局は52歳にして江戸城大奥の総取締にまで出世した。それでこの拝領地の鎮守として建てられた春日稲荷神社を「出世稲荷」としたのだという。
決死モデル:チームR真夜

ここで自分自身も出世を祈る。
出世のためにはそもそも仕事をすることなんだけど。

さて、今回のウォーキングもいよいよラストを迎える。
右後ろを振り返ると、左手に東京ドーム、右手に後楽園ゆうえんちとなる。

後楽園と言えば「日本三大名園」である岡山の後楽園が有名であるが、こちらの後楽園は徳川家の庭園である小石川後楽園にちなんでいる。
「後楽園」の語源としては東京も岡山も一緒で、北宋の范仲淹による散文「岳陽楼記」の中にある「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から取っているのだという。
その小石川後楽園は、現在は都立公園となり東京ドームの西側に広がっている。

そしてついに水道橋駅に到着となる。
そもそもなぜここが「水道橋」かと言えば、神田上水の掛樋がこの橋に並んで掛かっていたからだという。
神田上水は明治になっても給水を続けていたというが、浄水していたわけでもなく都市化による汚染が深刻となり明治19年にコレラが大流行するに至り、20世紀に入ってすぐ給水は停止したのだという。

水道橋駅が甲武鉄道の駅として開業したのは、その神田上水が給水を停止した数年後の明治39年のこととなる。

ところで、昼食におでんを頼んだらまた555円となった。
555ファイズにちなんで再び園田

 

 

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