そういえば何で深日から洲本の船がなくなったんだっけ・・・
その答えは簡単で、明石海峡大橋が開通したからである。
「明石海峡大橋がない頃は大阪から淡路島まで船が出ててな、南海が深日港まで『淡路号』という連絡船急行を走らせてたんやで」
と言っても最近の若いのに言っても信じてくれなかったので、証拠を晒してみる。昭和63年(1988)の南海時刻表より。淡路号も懐かしいけど、空港急行がないのもなんだか新鮮。 pic.twitter.com/z6jKpAYbgf— BEのぶ(米澤光司) (@yonezawakouji) 2018年7月16日
そりゃ確かにね~ 洲本から乗り換えなしで神戸や大阪に出れるんだったら誰だってそうしますってね。
深日からの航路を復活したいなんてのも、しょせんはノスタルジーなのかね・・・。
ということで朝も暗いうちからなんばグランド花月の近くのホテルを出て南海は難波駅へ。
(決死モデル:チームP桃園)
まだ特急も走っていない時刻で、深日港発8:05に間に合うためには、6:38の急行で出ないといけない。
ちなみに一番早い特急は、ラピート(泉佐野からは結局急行か何か)が7:00発、サザンは7:17発となる。
ただしこれだけ朝早く、ラッシュと逆方向となると余裕でコーナーに座りながらの旅行となる。
昨夜もブログ付けるので夜更かししてしまい、眠いので和歌山市まで乗り過ごさないように寝るとするか・・・
果たしてみさき公園に到着。
みさき公園は多奈川線の分岐駅であるだけでなく、保線の基地でもあるもよう。
ここから深日港へは、多奈川線の区間運転で行くことになる。
明石大橋開通前は、冒頭の通り難波からの直通急行も走っていたが・・・
みさき公園発は7:40。車両は2扉の2200系2両編成で十分な輸送量である。
そしてものの数分で深日港に到着。
深日港駅は棒線駅であるが、ホームは広く屋根は深い木造で風格はじゅうぶん。
(決死モデル:チームY楼山)
日本に数ある(というか数多くなった)棒線駅の中で、ここまで堂々としたホームの駅はないのではないだろうか。
名実ともにここが淡路島への玄関駅であったという面持ちを感じさせる。
世界を見渡せば、ベトナムはハノイの東の玄関口・龍辺駅なんかは堂々とした棒線駅でターミナル情緒も充分だった。
南海電気鉄道というのはその歴史上いろいろあって近代化が遅れている。ただしファン的にはそのことが幸いし、昭和の面影が残る駅舎を数多く見ることができる。
深日港の駅にも、往年の臨時改札口がまだ残っている姿を見ることができる。
帰省のシーズンなどは、この臨時改札口もフルに使用して客をさばいただろうか。
さて、船のターミナルはこの駅から歩いてすぐとなる。
かつては南海と同じ系列の南海淡路ラインであったからと言って、青函連絡船や宇高連絡船のように駅の中に桟橋があるわけではない。
さて、深日港となる。
深日港は既に通年の定期航路を失って久しい。この深日淡路ラインにしたって2月までの限定となる。
それで、旅客船ターミナルが一体全体どこにあるのか最初は分からなかった。もしかして船内で切符売るとか!?
(決死モデル:チームWB嵐山)
・・・と思ったら、駅から反対の向こう側に青いプレハブのような建物があり、そこが観光案内所となっていた。
ここで切符を買うことになる。
船舶としては定員30~40名ぐらいだろうか。フェリーではなく高速船という感じで、ターミナルの小ささと言い、高速船の小ささと言い、三池島原フェリーを彷彿とさせる。
乗客としてはいずれも中高年で10名強を載せ、洲本へと出発する。
後ろには、飲み物程度の売店もある。
(決死モデル:チームY城ヶ崎)
船内に無線LANがあるわけでもなく、当然電源もないので、 ネットにつなぐのはちょっとお休み。
淡路島というのは玉ねぎだけではなく、牛肉や牛乳も特産なのだという。
そういうグルメと洒落込んではみたいが、あいにく今はカロメ生活・・・
まあ牛乳ぐらいは飲んでもバチは当たるまい。
果たして9:00、洲本のターミナルに到着。
洲本も定期航路がなくなって久しくはあるのだが、こちらのターミナルは堂々としている。
洲本港の近くには「ドラゴンクエストの碑」というのがある。
洲本はドラゴンクエストの作者・堀井雄二氏の故郷であるという。
氏は昭和29年生まれだというので、福良行きの電車(昭和39年廃止)の記憶も当然ありそうである。
ところで、背後の赤レンガの建物は何かというと、鐘紡洲本工場の跡地なのだという。
鐘紡の工場はこの一帯に広大な工場敷地を持ち、淡路島最大の産業であったのだという。
さて、あとは淡路牛乳でも飲みつつ、11:30の徳島行きのバスでも待ちますか・・・