稚内~網走縦断(1日目)

何でか、1年のうちで一番流氷が多いのは3月5日ごろだと思い込んでいた。

それで、この時期を見込んでオホーツク海を稚内から網走まで行くことにしたのである。

旅の始まりは大宮駅前から、十和田観光電鉄の大湊行きの夜行バス「しもきた号」。
決モトルソーさん丸尾

ちなみに、この「しもきた号 」は12月~2月は運休でなおかつ隔日運行なので、これが2017年に入って初の運行ということになる。

別にバスタ新宿からでもよかったのかもしれないが、色々都合があって大宮から出ないと間に合わないということが分かったのである。

兎も角も「しもきた号」は一路東北道を北上する。

翌朝7時15分に、野辺地中央に到着する。
あくまで野辺地駅前ではなく、野辺地町の中心街となり、十和田観光と下北交通のバス停が立っている。
決モトルソーさんアハメス

鉄道駅と市街地が離れた所というのが、青森県には意外と多い。
八戸にしたって東北本線の駅は市街地ではなく、八戸駅は「八戸駅」ですらなく「尻内駅」であり、八戸の本来の市街地には「本八戸駅」がある。
それに、十和田市(三本木)も青森の南部地方では八戸に次ぐほどの都邑であるが、東北本線が通っているわけではなく、三沢から十和田観光電鉄が走っていた。(しかし2012年に廃止)
また、黒石も「市」になる程の規模なのに、奥羽本線が通っているわけではなく弘前から弘南鉄道で行くことになる。昔は国鉄黒石線が田舎館村の川部から通っていた。

さて、野辺地中央からはバスで野辺地駅へ行くことにする。
「市」ではない「町」であるとはいえ、市街地から駅まで歩いて行けるような距離ではない。

野辺地駅は1番線が大湊線のホームとなる。
向こうの3番線には、青い森鉄道となった青森行きが到着している。
決モチームTアンヌ

大湊行きのキハ100は一路陸奥湾を北上する。
途中、列車交換できる駅は陸奥横浜だけである。

そして大湊に到着。
決モチームP桃園

大湊駅は昔からむつ市の代表駅であった。
ちなみにむつ市は昭和34年9月1日に「大湊田名部市」として発足、翌昭和35年8月1日に「むつ市」に改称している。
町の中心としては下北線の田名部の方が近かった(あ、ここも本線筋から中心部が離れた青森の自治体だ)のだが、軍港として有名であった大湊の方が駅としても格上だった、ということのようである。

そして大湊から田名部に向けてJRバスで行く。

下北交通の田名部駅は廃止されたが、JRバスの田名部駅は今でもある。
ただし、能登飯田のように鉄道駅を差し置いてまで「市の代表駅」を名乗っているということは無いようである。
決モチームY城ヶ崎

また、下北交通(下北線)の田名部駅であるが、廃止後も何かの施設として残っていたようであるが、現在では駅舎は跡形もない。
但しホームは現在でも残っている。

田名部の駅前には市街地が広がっており、少し歩けば下北交通の古式蒼然としたターミナルがある。
決モチームWBミサメグ

むつ市内から下北半島の各地へ行くバスは概ねここを通るので、町の規模の割には頻繁にバスが発車するよな印象を受ける。
少なくとも、大間から来るバスも大畑から来るバスも、恐山から来るバスも尻屋崎から来るバスも、ここから下北駅へは行くので、それなりの頻度で走るということになる。

そんな頻繁なバスに乗って、下北駅へ行くことに。

大間へ行くバスの旅の始まりは、下北駅からということになる。

下北駅は、むつ市役所に一番近い駅であり、恐山や大間方面へのバスの接続地点でもあるので、大湊駅より利用客が多い。
ただし、線路配置的には棒線駅で停留場扱いということになる。

そんな下北駅から佐井行きのバスは出発する。
バスは昔の下北線に沿って走る。
大間までだけでも3時間以上ある長丁場だけに、途中、大畑で休憩がある。

大畑には、鉄道線の駅舎が今でも残っている。
現在は営業所の建物として使用しているようである。
決モチームY楼山

駅構内の線路も車庫もまだ残っていて、マニアがキハ22の運転に来るようである。

そしてバスは、下北半島の先端に向けて走っていく。
どこまでも孤独な道のりである。

そして大間フェリー前に到着。

大間町内でマグロ料理でも食べる時間があるかと思ったが、どうもその店に行くまでが時間がかかるようで、1日2本しかないフェリーを乗り逃がしても仕方ないので、泣く泣く諦める。

それにしても風が強く、決死撮影するのも一苦労である。

そして時間が来たのでフェリーに乗り込む。

フェリーの船内ではちょうど石原慎太郎が豊洲市場の移転問題で記者会見をやっていた。
背景を見ると、外国人記者クラブであろうか。
決モチームTヤギー

結局、この会見では石原慎太郎はのらりくらりと追及をかわしてうやむやになった形になった。

船内であるが、ほとんど客もおらず、コンセントはもとよりマス席を独り占めする形で函館まで行くことができた。

そして函館のフェリーターミナルに到着したら、帝産バスで函館駅へ。

函館駅も駅舎が新しくなっており、コンパクトになってしまった。
そして北海道新幹線が開業してからは、乗り換えは新函館北斗で行うことになったので特急同士の乗り換えがなくなり、青函連絡船のころからの伝統ある構内待合室ももはや手持無沙汰である。

駅内ではひな人形が飾ってあった。

ここからは「北斗」で札幌を目指す。
ところで、自分の乗った号車のトイレが満水で使えませんというのが、現在のJR北海道の置かれた境遇をいみじくも表しているような気がした。

そしてすっかり暗くなり札幌に到着。
決モチームWB嵐山

札幌駅からススキノまでは地下鉄で2駅。
しかし、札幌駅からススキノのニッカウヰスキーの広告を見ることができるのだ。
自分も札幌在住経験があるが、この区間だけならいつも地下道を歩いて行っていた。
札幌駅から大通の地下道は、地元の大学生やベンチャー企業が新しいものを展示していたので、個人的には「意識高いストリート」と呼んでいた。

また、大通からススキノにかけてのポールタウンは、黒いタイツをはいたおしゃれな女性が常に闊歩している印象があったので「黒ストストリート」と個人的には呼んでいた。

さて、稚内行きの夜行バスまでいましばらく時間があるので、何かをして時間をつぶさないといけない。
幸い、大鳥公園の交差点の南東角の地下にドトールができたので、ここで時間をつぶすことにしよう。

そして23:30も近づいてきたので、大通のバスセンターから稚内行きのバスに乗ることにする。

ただ、札幌市営バスなき今、このバスセンターを使っているのは北都交通の稚内行きや瀬棚行きぐらいのものである。

中央バスは北1丁目に自分のバスターミナル持ってるし、沿岸バスや道南バスは札幌駅前だし・・・

兎も角も、バスは稚内目指してひた走る。

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