毎年カウントダウンをやってる渋谷の交差点では、コロナによる密を防ぐためにカウントダウンはやらないという。
それにもかかわらずこれだけの密な状態になっている。
こういう時こそ自粛警察が身命を賭すべき場面ではないだろうか。
今日は初詣にでも行ってこようか。
朝食はお雑煮。ちなみに角餅を焼くスタイル。ついでに言うとくるみペーストで食べていた。
今年はしてないが、子供の頃は年末になるとクルミの殻から実を取り出すというお手伝いをしていたものだ。
高麗神社に行くとなったら9:32拝島発の八高線に乗りたい。
あれやこれやはあったが結局間に合った。
今や八高線すらE231系化している。
そのE231系の高麗川行きの969Eは、住宅地を抜けて畑作地帯に入る。
金子周辺は狭山茶どころとなり、美しい茶畑が広がる。
東飯能では西武線と接続するが、前世紀にこの駅に来た時はまだ木造駅舎だった。
あの頃もっと撮ってればよかった。
そしてその次が終点の高麗川となる。
高麗川には三番ホームまである典型的な国鉄型の駅。
高麗川もまた木造駅舎である。
人影は疎らだがゼロではない。
現在、高麗川は「埼玉県日高市」ということになっている。
しかし、警察署は無いようで「飯能警察署日高交番」というのが駅前にある。それも無人交番である。
そうなると普段日高市内を守っている警察官は誰もいないということか。
高麗川駅から高麗神社は歩いて20分ぐらいある。
畑作地の中の道路を歩いていく。
高麗神社は出世の神様である。
その前の道路にかかる橋は「出世橋」。
その出世橋を渡った先の神社の前には「天下大将軍」「地下女将軍」のトーテムポールがある。
参拝客はそれなりにいるが密というほどではない。
ここで一年の健康と出世を祈願する。こういう時に限って45円が無いので100円を賽銭箱に。
さて、来意を果たしたので高麗川駅へ戻ることにしましょう。
ところで、ゴミは持ち帰りましょうということになっているようだが所々にゴミが捨ててある。こういう不心得な参拝客には神罰が当たるべきだ。
さて高麗川まで来て戻るのもせっかく18きっぷ使ってるのに勿体ない。拝島からは立った418円の区間に過ぎないのだ。
どうせなら拝島から片道1205円以上の所に行きたい。
それならディーゼルカーに乗って群馬藤岡に行こうか。
拝島から群馬藤岡まではsuicaで1518円。これなら元が取れる。
ということで高麗川11:32発の高崎行きの235Dで群馬藤岡を目指すことにする。車両はキハ110系。
高麗川を出ると畑作地帯の中を行く。東京から比較的簡単に行けるローカル線である。
この八高線の非電化区間は越生と小川町と寄居で東武に接続する。中でも寄居は、秩父鉄道とも接続しているので3社が集まるということになる。
地方都市を通り越してここまでの田舎町で3社が接続するなんてそうそうは無い。
その寄居を出ると今度は米作地帯となる。狭山丘陵で畑作地帯が多かったのは水利の問題だろうか。
そして神流川を渡れば群馬県入りする。
そして12時43分、235Dは群馬藤岡に到着。
冬の激光で光線状態が悪い。ポジション取りだけでも一苦労である。
こういう時は逆光をうまく使ったほうがいい。
その群馬藤岡の駅舎は木造駅舎で、国鉄とは思えないとんがり屋根が特徴である。
と思ったら昭和6年の開業以来ここは一貫して国鉄の駅なのだという。
さて、駅前はほぼ無人という状態である。元旦なんてそんなもんか。
ここから13:11発の232Dで引き返しても良いのだが、ちょうど昼時でもあり、なんと言っても丑年でもあり、チー牛でも食って帰ることにしたい。
群馬藤岡駅から1.9kmの距離にある関越自動車道藤岡インターチェンジのと近くにすき家があるようである。特盛食ったら腹ごなしにはちょうどいい距離となるはずだ。
ということで戻りは14:11発の234Dにすることとしたい。
そう思って歩いていると、ロードサイド地帯に突き当たった。
ゲオとかが入ってる地元ヤンキー御用達っぽい商業施設に入ってるCoCo壱が・・・ 営業してる!?
こうなると、何も1.9km歩くことなんて無い。
別に牛さえ食えればいいのだ。
という事で牛カツカレーを食べる。
あとは群馬藤岡駅に戻る。
途中、昭和っぽい街並みがあったりする。そんなところは地方都市だ。
そして14:11発の高麗川行き234Dの中の人となる。
しかしだな、1日の大半をこうして自分の行動を記録することに使うというのはどうなんだ。
高麗川からは到着した同じホームから、川越から来る八王子行きの1565H。E231系の4両編成である。
車内にはベトナム人がやたら多い。確かに川越にはベトナム人が増えているという。
そして拝島に到着。
父母宅へ戻ると、テレ東で日本全国のご当地ソング番組をやっている。
まあこのくらいが高齢者にはちょうどいいのだろう。
それで、各局とも懐かしい歌番組をやってるわけだ。それなりに需要をリサーチしているという事らしい。
酔っ払ってくるとお袋がこぼす。「育て方が悪くて…」 要は息子である当方に「そんなことないよ」と言ってほしいらしい。いわゆる「誘い受け」。
この年になってまで何かを親のせいにするというのも大人げないようだが、性癖がゆがんだりなんだりというのも、かなりの部分をかつての親の厳しさという点が原因の大部分を占めていると考える。正直、そんな誘い受けに応じる気にはなれないので「その話はやめてほしい。それ以上するなら直ちに帰る」旨を伝えた。
なんて言うんだろうね。欠損フェチという場は、そういう肉親の桎梏から逃れた所、肉親が入って来れない所にあるという意味合いもある。
まあ一々こんなことまで書かんでいいか。
なんだか稔りのないまま元旦は過ぎてしまった。
仕事のことを考えると憂鬱だ。