ハロン湾の猿

今日は実業家さんは仕事なので、1人でハロン湾でも見てきたいと思う。
ハロン湾と言えば世界遺産。今まで行っていなかったのがおかしいほどだったのだ。

幸い、ハロン湾の葛婆(カットバ)島へ行く船は、ホテルの近くの桟橋から出るというので歩いていく。
周辺は、仏印の頃からあったであろう街並みが残っている。
インドシナ戦争でもベトナム戦争でも焼かれなかったのだろうか。

果たして、港へ行くと切符売り場が開いていた。
それが7時半頃のこと。
決死モデル:チームRスマレ

・・・と、待合室でおばさんが「カットバ島に行きたいの? 船で行くなら2万2千ドンハイムォイハイギンだけど、バスと渡し船で行くなら7時40分発で1万ドンモッチャムギンだよ」という。

バスは昨日も経験して居住性が悪かったしどうしようと思ったが、この桟橋でぽつねんと1時間半以上待つよりマシかと思い、バスで行く方を選ぶ。
チケットは切り取り線が付いた3連のもので、1枚目がカットハイ桟橋までのバスの切符、2枚目がカットハイ島からカットバ島までの渡し船の切符、そして最後がカットバ島の渡し船の桟橋から中心部へ行くバスの切符となっていた。

バス乗り場へは、おばさんがバイクで送ってくれる。

とは言っても、それほど遠いわけではない。
バスには数人だけが乗って出発。
2座席占有も余裕である。

バスは一路、橋でつながって行けるカットハイ島の東端の桟橋に向かって走る。
カットハイ島は、現在は橋でつながっており、その橋は「cầu Tân Vũ – Lạch Huyện」というのだという。漢越で言えば「橋津武-勒県」となるだろうか。

ところで、このバスは一般の路線バスのような感覚で、途中でもお客を乗せる。
まあカットバ島に行きたい人はどこにでもいるだろうからね。

さて、ハイフォン市内からバスで行けるギリギリの地点である桟橋に到着。
ここからは渡し船に乗ることになる。
ここもここで、物を売ったりしているなど「人が集まる所」の雰囲気を醸し出している。
決死モデル:チームP桃園

ところで、基本的に船は「tàu」(艚)のようであるが、これが渡し船やフェリーになると「phà」(𪸁or𣔡)になるようである。

本当に小さな船で、座席数は20〜30人程度。一応トイレも付いて、絶えず水の流れる音がしていた。
それでも中に乗ったのは数人程度で出発。

ものの数分で着いてしまった。

カットバ島の桟橋では、船が2列に並んでいるところに横付けするように止まった。
陸に上がるには、その2列の船をまたいで上がるような形になった。
阪神尼崎で西大阪線に乗り換える時、電車の中を通ってホームに移動するような感じ、といえば分かるだろうか。

さて、決死なんかしていると、「早く乗って!」という感じで急かされるので、決死もそこそこにバスに乗ることにする。
決死モデル:チームP芳香ちゃん

カットバ島は山がちな地形で、看板や標識がないと、まるで日本の道路を走っているような感覚に襲われる。

ものの30分も揺られたところで、カットバ島の中心部に到着した。

中心部はホテルやカフェが立ち並び、完全に観光地の趣である。
港には大小の船が浮かび、観光客を出迎えている。
中にはレストラン船なんてのもある。
決死モデル:チームWBラジエッタ

さて、これからどこへ行こうか。
クルーズ船でもあるのだろうか。チケット売り場らしきところで聞いてみると、
「3時間船を貸切できるよ。モンキーアイランドやフィッシングビレッジに行くよ」
「いくら?」
「タムチャムギン」

うーん・・・80万ドンか。つまり4000円。
ただ、一人で3時間ボートを借りきると思えばそんなものだろうか。

意を決して申し込むことにした。

自分1人を乗せたボートは、快調にハロン湾の島々を行く。
これが世界遺産に認定された大自然である。
決死モデル:チームY城ヶ崎

多くの観光客を乗せた船がひっきりなしに通る。
海外の客も多い。

そういえば、2016年に満鉄客車に乗るためにハロン湾ではなくハロン駅へ行く列車に乗った際、ハノイで泊まったホテルでは、
「明日は朝の4時にタクシーを呼んで」
「どこへ行かれますか」
「ハロン湾まで」
「ハロン湾ならそんなに早起きしなくてもいいでしょう。バスだって走ってませんよ」
「レールウェイで行きたいんだよ」

というと、「変わった人ですね」という顔をしていた。

さて「モンキー アイランド」の別名を持つCát Dứa(葛𦼥?)に上陸するためには、港の桟橋というものが無いため、沖合で艀で中継して、海岸に直接上がるような形になる。
今朝は靴下を全部洗いに出しているので履いてこなかったのだが、それが幸いしたかもしれない。

「いいか、1時間だけだぞ。1時間したら迎えにくるからな」
「ということは11時までということね?」

果たしてサンダルも脱いで素足で上陸する。
とはいえ1時間では行けそうなところも限られているし、疲れてもいたので海の家的な所で一休みすることに。

モンキーアイランドなんていうくらいなので、猿でもいれば面白いのだが・・・
何もせずに帰るだけか・・・と思ったその刹那のこと。

なんと猿がいるでは無いか。それも数匹も!
急いで決死しよう。
決死モデル:チームPさくら

メス猿は最初、さくらをエサだと思って取られまいと威嚇する。
しかしプラスチックの食べられないものであると認識したらしく、ポイと捨ててしまった。
それでも威嚇は続ける。一体何を守ろうとして威嚇しているのか。

さくらはTRS48史上初めて、猿に手づかみされたメンとなった。
思いがけず、良い絵が撮れてしまった。

寄せる波をジャブジャブ掻き分けて艀に戻り、再び船に乗ったら、
「次はフィッシングヴィレッジ行くぞ」という。

フィッシングビレッジというのは、ハロン湾の奇岩景勝の海上に船を浮かべて生活している水上集落で、色々な品物を揃えた商店船まである。
一昨日のカイラン水上マーケットと同じで、かなり本格的に水上生活をしている感じだった。

さて、あとは戻るだけ。
周囲にはフランス語を書いたフレンチコロニアルな感じの船もある。
仏領インドシナの頃は、フランス人たちはこのような場所で秘書していたのだろうか。

そして桟橋に戻ったら、あとは帰るだけ。
来る時はバスを乗り継いできたが、帰りは直接船で帰りたい。

14時の船まで結構あるので、昼食でも食べつつ待つことにする。
とは言ってもベトナム料理で食べたいものがあるわけでもなく、適当にメニューを手繰ってみると、pho heoつまり豚のフォーなんてのがある。
日本では何故か豚のフォーにお目にかかったことがない。別にベトナムで食べてはいけないものなんてないはずなのに。
ともかくも食べてみよう。

さて、良い時間になったので桟橋に戻ると、結構な人が待っていた。
これらが全員ハイフォンまで行くということ?
決死モデル:チームT美川

実際、乗ってみると結構な収容力で、かなり余裕を持って乗ることができた。
あとはゆったり帰るだけである。
外国人観光客は、ハイフォンから先、バスでハノイまで行くのだろうか。

ハイフォンに差し掛かると、ベトナム最大の商業港としてコンテナやクレーンが高くそびえていた。

そしてハイフォンの桟橋に到着。

ここから特に何をやるでもなく歩いていると、歩道にテントを張って床屋をやっているところがある。
髪もいい加減伸びてきて、帰国しても髪を切る暇もなさそうだったのでここで切ってもらうことにした。

「どんな髪にしますか」
「そうですね・・・ ベトナムで普通の髪にしてください」
結局、ベトナム 人男性でよく見るような刈り上げになった。
まあいいんじゃ無いの。

そして大通りに出ると、警察官が道行く車をチェックしている。
あの交通警察がカツアゲ・・・いや仕事をしている。
こうして運転手たちに何か理由をつけて巻き上げた金で、家を建てるのだという。

ホテルに戻ると、洗濯物はすでに洗いあがっていた。
やることもないし、明日の計画でも立てるか。

明日は帰る日なので、ハノイに出て、バオカップ期の本を買いたい。
バオカップというのは、ベトナム戦争終結による赤化統一からドイモイ政策の開始までの配給制の貧しい時期で、最近は日本で昭和30年代を思い出すような感覚で懐かしまれているらしい。
その辺りを行きつけのベトナム 料理店の店員に聞くと、「お父さんやお母さんによく言われます。あの時は貧しかった。あなたは恵まれていると何回も言われました」

流石にハノイ最大の本屋であればあるだろう。
どうやら「FAHASA」という本屋が有名のようである。

調べてみると、ハイフォン店が出てきた。
ハイフォンにもあるらしい。

まだ日は高く、やることも無いのでちょっとダメ元で行ってみるか。

タクシーで行ってみると、そこは空港通りの入り口のショッピンぐセンターだった。
その3階に本屋はあり、聞いてみると、なんとあったのである。

意気揚々とホテルに戻ることにした。

 

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