さて、こんな広島の西側まで来てしまったのであれば、ちょっと安芸の宮島にも行ってみますか・・・
宮島連絡船にも乗ってみたいし、ついでに言えば「夏の二の腕」のあの日は、宿泊は宮島に泊まったのだった。
そして朝早く宮島連絡船とJRの115系に乗って広島を目指したのだった。
楽々園からだと、広島電鉄で宮島口へ行くこととなる。
昔であれば阪急電鉄のお古が鉄道線専用として西広島(己斐)~宮島口を走っており、軌道線からの直通電車とも対応するために、ホームは2段になっているというのが有名だった。
さっきタクシーで通ってきた井口もそのようなホームが残っていた。
そして宮島口に到着。
広電の宮島口は頭端式ホームであり、駅前には「原爆ドームなど中心部までは広電が便利」と、JRへの対抗心を燃やしている。
駐車場をはさんだ先には宮島競艇場がある。
そして宮島競艇場前の臨時停車場もある。
この駅は、レース開催日の開催時間しか空いてない駅であるせいか、駅名標も何もない。
きっと、競艇に通う人がわかっていればいい駅なのだろう。
そして何より、井口と同じで、鉄道線だった頃の高床ホームがまだ残っているのである。
阪急のお下がりの高床車は、実に1991年まで走っていたのだという。
(決死モデル:チームR持田)
さて、宮島口で見るべきものも見たこととて、宮島にわたってみましょう・・・
そして宮島連絡船へ。
宮島へは往復360円であるという。
そして当然、JRの直営連絡船なのでICOCAも使うことができる。
宮島へは15分間隔で船が出ており、1階部分には車が入ることもできる。
収容台数としては2~3台ぐらいだろうか。
人は2~3階部分に乗ることになる。
(決死モデル:チームY宇崎)
宮島口から宮島へは、JRの宮島連絡船の他に松大汽船が運航している。
こちらも大体同じ形の船であった。
ただし、西側に航路を取るJRの連絡船の方が、厳島神社の鳥居を間近に見ることができる。
ほどなくして船は宮島桟橋へ・・・
宮島桟橋は、JRと松大汽船が共用となっていた。
待合室のたたずまいはまさしく「駅」そのもの。
それも特急の停まる地方駅の風格さえ醸し出している。
宮島桟橋に到着したのは13:20ぐらい。
そして、宮島桟橋から広島の宇品港まで直接行く高速船の出発は13:55だというので、実質30分程度しか宮島で時間を使うことはできない。
次の宇品行きは15時だというので、その後のスケジュールにも影響する。
厳島神社の赤鳥居に行くには微妙な時間ではあるが、ちょっと行ってみるか・・・
途中「日本三景」の碑がある。
その前に宮島名物の鹿がいる。
そして連絡船もフレームに入っている今こそがシャッターチャンスとなる。
決死撮影はいかに情報を盛り込むかがポイントとなる。
(決死モデル:チームY楼山)
さて、厳島神社への道を急ぎましょう・・・
果たして、厳島神社に来てみると赤鳥居は工事中であった。
まあこれも厳島神社の一つの顔であろう。
ざて、撮るだけ撮ったらあとは桟橋へ急ぐこととしたい。
今日の宮島は修学旅行生も結構来ている。
おそらく、朝は平和記念式典にも出たのだろう。
ところで、最近は学校の作文やなんかで「平和」なんて書いた日には「政治的中立性を損なう」みたいな指導をされるのだという。
ということは? 憲法9条で「国際的紛争の解決手段としての戦争を禁じる」と定めているにもかかわらず「国際的紛争の解決手段として戦争もありうる」と考えるのが政治的に中立であるということ?
平和を希求するのは政治的に偏向している?
さて、それはともかく13時55分の宇品行きの高速船には間に合うことができた。
・・・ところでこんな小さな船・・・?
まあ高速船なら小さい方が空気抵抗も少なくて小回りが利いていいのか?
(決死モデル:チームRスマレ)
ところで、もっと小さい船が隣の桟橋に着いていて、それは「平和公園⇔宮島」とある。
そんな船便があるのか。
調べてみると、こちらの宇品行きより余程頻繁に出ているらしい。
それも河川航路でなおかつ中心部にも近い
分かっていればこんなに急ぐことはなかったのだ。
・・・まあいいや。
宇品港には宇品港に楽しみがあるだろう。
高速船は定時に出発。
瀬戸内の島々を横目に快調に宇品港を目指す。
そして宇品港に到着。
同じ桟橋に、江田島への船が停泊しており、乗り換えることもできる。
内航海運こそが瀬戸内の魅力である。
(決死モデル:チームP桃園)
さて、こちらは広電で横川を目指すことにしたい。
可部線の延長区間に行こうと思うが、広島駅ではなく横川駅にするのは、あまりにも汗をかきすぎてタオルを大量に消費し、またさっきのコインランドリーに行きたくなったのだ。
という事で、3番の電車で十日市町を目指す。
コインランドリーに行ったあとは、横川駅から可部線に乗ることにする。
可部線は日中は1時間3本出ている。地方都市の都市鉄道としては申し分ない本数と言えるだろう。
そして可部線は、広島から山陽本線の上り線をまたいで5番線に来る。
可部線というのはやたら駅間距離が短い。
もしかして山陽本線の天神川や新白島のようにJRになってから新設した駅が多い?
・・・と思ったらそうでもなかった。
考えてみれば、可部線は国鉄の頃から仙石線や富山港線のように旧型国電が入れられていた路線である。そういえば広浜鉄道という買収私鉄だった。
横川で乗った時にほとんど埋まっていた座席は、大町や緑井で減っていき、梅林に到着する頃には2座席を占有できるまでになっていた。
(決死モデル:チームP芳香ちゃん)
梅林で写真を撮っていると、車掌氏が、
「写真撮っちょるんやったらね、これあげますからね」と記念カードをくれた。
しかしそこに書いていたのは「歡迎向廣島」。裏には「等另光临 广岛乘务员段」。
そんなに日本人に見えなかったか・・・
そして可部から先の復活区間を行く。
可部は駅舎を建て替えてはいなかった。
山沿いの住宅地の造成が進んでいる。
西日本豪雨では、このような住宅地が崖崩れで崩壊したというが・・・
復活区間で唯一の中間駅となる河戸帆待川駅は、安佐北区役所が近い。
安佐北区の中心は可部ということになっているようである。
ローカル線に多い棒線状の終着駅ではなく、島式ホームで2番線まであり、それに加えて側線も何本か通っている。
保線基地や夜間駐泊に使う予定だろうか。
意外に鉄道駅の構内としては広かったあき亀山であるが、営業的には無人駅となる。
駅の周囲は住宅地がまだ整備されておらず、舗装すらされていないという状況だった。
もっとも、これからどうなるか分からないが・・・
さて、あとは戻ることにしましょう。
至極普通に横川まで単純往復することにする。
そして横川から広電の8番に乗り寺町へ行きコインランドリーで洗濯物を回収し、次は十日市町から広電の2番か3番に乗って、今日最後の目的地へ向かうこととしたい。
向かった先は福島町の電停。
西区役所の真ん前であるが、この電停の北側では、広島の隠れた名物「ホルモン天ぷら」を食べることができる。
広島出身の人にこの西区福島町について聞くと「在日の人の多い町」なのだという。
電停から一番近い店に入ると、お客で繁盛していた。
早速「天ぷら」を注文してみる。
ホルモンの部位別に注文するようになっており、白肉(第一胃袋)、ハチノス(第二胃袋)、センマイ(第三胃袋)、ビチ(赤千枚)、オオビャク(大腸)、チギモ(脾臓)という名前が付いている。
(決死モデル:チームTフジアキ)
また、脇にはおでんのように煮込み鍋が仕込んであり、ガツ(喉笛)がカールした軟骨が付いたままで供されるというワイルドさである
一通り飲み食いして、22時の高速バスまでバスセンターで時間を潰しますか・・・
と、バスセンターに到着する。
さすがは日本で初めての自動車ターミナル法で整備されたバスセンターだけあり、今でも売店や供食設備が充実している。
乗り場からは広島郊外の各団地へのバスがひっきりなしに出発している。
東京行きの最高級バス「ドリームスリーパー」は1番乗り場から出るという。
その時刻も確認・・・ と思ったら、20時05分!?
つまりあと10分程度でくるということである。
確認していなかったら乗り逃すところだった。
(決死モデル:トルソーさんのナイ)
さて、ドリームスリーパーであるが、数分遅れてバスセンターに到着した。
ドリームスリーパーの元々の始発はアストラムラインの中筋駅である。
安佐南区の中心である中筋にはバスターミナルがあり、結構な数の高速バスも乗り入れている。
そして乗り込み、いざ東京を目指す。
2列シートであるが、フルリクライニングはしない。
なんでも、人間工学的にもっとも快適な角度であるらしいが、自分としてはフルリクライニングして欲しいところである。
そして翌朝。
目覚めたのは首都高の用賀のすぐ前ぐらいだった。
どうやら渋滞に捕まったらしい。
終点の大崎まで行こうと思ったが、どうも難しそうなので、東京ドームホテルで降りることにするか・・・
そして東京ドームホテルに到着。
(決死モデル:チームR天美)
バスタ新宿でも東京駅八重洲口でもないというこのターミナル選定が分からないのだが、色々大人の事情でもあるのだろうか。
ともあれ、広島への弾丸旅行はこれにて終わり。