さて、なぜ前項で図書館に行ったか。
それは、「広島で初めてのタクシー強盗」
それは昭和10年7月1日、現在の広島市佐伯区となる
以降は図書館でコピーした新聞記事によって説明していくこととす
梅雨末期の連日の豪雨が明け、7月に入った1日のこと。
朝、
何だと思って中を覗いてみたら、
大に驚いて廿日市警察署に通報、調べてみるとそれは広島市堺町(
近来ない大事件に、捜査が始まった。
・・・というのはいいのだが、
連日の中国新聞の報道では、次から次へと容疑者が挙げられ、
プライバシーなどという概念がどこにもなかった時代の話である。
当日のアリバイが曖昧だといえばすぐに捕まえられ、
いくら拙ブログとはいえ、とても載せられたものではない。
いや、
結局、
これを報じた7月11日の1面は「竹の御園の弥栄 皇后陛下御妊娠五ヶ月」。
この年の11月10日にお生まれになられる常陸宮正仁親王であっ
そしてこの日の2面の社会面で「真犯人遂に逮捕」
ではなぜ逮捕できたのだろう?
それは、佐伯郡砂谷村(現在の広島市佐伯区杉並台など)
逆に言えば、
現在の広島日赤病院から元安川をはさんで向かいにある吉島公園の
そしてその犯人が自白したところによれば、目的は強盗であり、
そして広島駅前の食堂で「
果たして、証拠品でもある被害者の免許証も家宅捜索で発見され、
そしてこれまで濡れ衣を着せられてきた容疑者たちも、
また、「広島県警察百年史」によれば、経緯としては、
その一番後ろの自動車に乗ることにしたのだという。
「観音村の倉重まで行ってくれ」
現在はやはり広島市佐伯区となっている倉重にいる知人の家に行く
「車代はなんぼになりよん? 2円にならんじゃろか」
図々しくも運賃を2円に負けろという。
それにもかかわらず・・・
これまた現在は広島市佐伯区となった五日市に差し掛かった時、
「すまんのう。実は金は持っとらんのんじゃ」
「おどりゃ何なら!?警察に言うちゃるど!」
これは大変なことになった。
どこかで始末しちゃらんといけん。
しかし停めようと思うたびに人が見ている。
そんなこんなで鉄道の踏切の近くまで来てしまった。
「ちょっくり便所行くけぇ」
「・・・」
踏切前の河川敷で車を止め、用足しをした後、
その後は、何食わぬ顔で荷馬車引きとして働いていたのだった。
さて、これからはダークツーリズムである。
どうせなら実際にタクシーに乗って行ってみようか。
何と、被害にあったタクシー会社は、
実際に電話をかけてみた。
「すみません、1台タクシーをお願いできますでしょうか」
「どちらですか?」
「広島電鉄の、土橋という電停の近くです」
「あー、済みません。そちらの方には車はないんですよ」
あっさり断られてしまった。
もともと本社が広島駅の東側というのだから仕方ないか・・・
仕方がないので、「堺町のゴーストップ」
(決死モデル:チームWBラジエッタ)
「どちらまで?」
「その・・・ 五日市の楽々園の駅のすぐ先に川があるんですけど、
Googleマップで調べた限りの行先を言ってみた。
「中古車でも買われんですか?」
「まあ・・・」
まさかこのタクシー運転手氏に「
「お客さんはどちらから」
「千葉からです。原爆の平和記念式典に」
「ああ。五日市の方に知り人でもおるんですか」
「まあそんなところで」
運転手氏の方が適当な言い訳を用意してくれた。
「広島というと『はだしのゲン』の作者が書いた『
「そりゃー、古葉の前の監督なんて外人だったけど、
「最近は『カープ女子』なんて女性も多いですからね」
「若い男の子もみんな紳士でね・・・『負けても明日があるさ』
「最近の若い男は乱暴だと女性にモテませんからね」
「タクシーのお客さんでも、乱暴なのは40代50代」
「『お客様は神様です』ってのを勘違いしてるんでしょう。
そして事件現場に差し掛かる。
「はい3,270円。よく乗っていただきました」
現場に立つと、
ただし、現在は「岡の下緑地」と名前が付いている。
さて、では次の用事に行きますか・・・