3.11に中通りから行く浜通り

今年も早いものでまた3.11が来てしまった。

去年の3.11はカンボジアだった。

今年は・・・ 福島の避難区域に行ってみようか。

常磐線は既にもう、竜田の先の富岡まで開通しているらしい。
では富岡に行こうか・・・

いや、それでは芸がなさすぎる。
趣向を変えて、避難区域のギリギリまで行ってみようか。
「原発さえなければ」の飯舘村にする?
どうやらここは、福島〜南相馬(原ノ町)のバスの通り道で、意外に交通の便は良いようである。

では、この「くずお村」?みたいな所はどうだ。
飯舘村や川内村と違い、あまり報道されていなかったような気がする。
どうやら、ここは「かつらお村」という人口約1000人の村で、wikipediaによれば、特段の産業もなく、若者の流出が著しく高齢化が進行しているのだという。
特段の産業もない! これはなかなかエモい。
なおかつ、双葉郡という浜通りにありながら交通機関は磐越東線の船引駅からバスしかないのだという。
つまり、中通りからしか入れない。これまたエモい。

バスは平日は5往復走っており、ちょうど良いのは、
船引12:20→落合13:10、落合14:30→船引15:20あたりではないだろうか。

しかしこの、葛尾村の中心である落合で何か時間を潰すことができるであろうか。
調べてみると、こんなニュースに行き当たった。

とにかく大盛りチャーハンで有名な食堂があり、除染作業者で賑わっているのだという。
「何もない」なんてことはない。これは十分な観光資源であると言って良い。

ただ、事前に定休日を下調べしていかないと、プールでも2018年6月22日2018年11月19日のような例が無いわけではない。ことに月曜日である。世の中の定休日率がいやが上にも高まる日・・・
果たして、調べてみると月曜日は営業しているようだった。

さて、行きましょう。

それにしても、最近は暇ができればすぐ旅行である。
もうちょっと腰を落ち着けて家事をしても良いのではないかとも思う。
しかし、現実にはこうして家を出ている。
決死モデル:チームPみく

まるで「赤いくつ」のカーレンのように、来る日も来る日も踊り続けているかのような毎日である。
今日は東日本大震災の発生の日なので、国旗も弔旗になっており、これまた「赤いくつ」を彷彿とさせる。

そして新八柱で新幹線の切符を買って旅途に就く。
武蔵野線はどこだかで人身事故があったようで少し遅れている。
それでも数分レベルのことであり、1本早い電車で行ったらちょうど良い程度であった。

また、平日の始まりではあるがどうにか新八柱から座ることができた。
これで南浦和まで一直線である。

そして南浦和からは大宮まで京浜東北線。
南浦和から先は、京浜東北線も10分に1本までになっているようである。

みくは元々持病があるので衣装は特殊であるが、その他のメンは普通の衣装となる。
今日も昨日と同じ衣装で・・・ と思ったら、上のブラウスがない。
どうやら、昨日出たメンを洗いに出した時に一緒に洗ってしまったらしい。
仕方がないのでスペア箱からイージーモードの衣装で行くか・・・
決死モデル:チームP芳香ちゃん

新幹線は盛岡行きのやまびこ53号。
郡山までなので、乗車時間はそうそう長くはない。

昨夜3時過ぎまで夜更かしした分を寝る暇もなく、すぐに郡山に着いてしまった。

郡山からは磐越東線となる。

内陸都市であるだけに石油の輸送は鉄道が頼みとなる。
それで、構内にはタンク車が並んでいる。
決死モデル:チームWBミサメグ

また、駅裏には保土谷化学の工場があり、転車台【ターンテーブル】も残っている、昔ながらの国鉄の一般駅の雰囲気を醸し出した駅である。

向こうの5番線からは、E721系の新白河行きが出発した。
新白河は新幹線が開業するまでは「磐城西郷」と言う駅であり、現在でも所在地は西郷村である。
その新幹線のおかげで、現在は都内への通勤者もおおいということで、全国で3番目に人口の多い村となっているのだという。

さて、こちらは船引にむけて出発である。

そして船引に到着。
決死モデル:チームWBラジエッタ

船引は、少し前までは田村郡船引町という町であったが、平成の大合併で三春町や滝根町(神俣)などと合併し「田村市」となることになった。
交通公社の時刻表でいえば、市の代表駅として「◎」が付いているのがこの船引駅である。
それで駅舎もこの通りの立派なものとなった。2004年に建てられたものだそうで、つまり震災復興と関係はない。

12:20の葛尾行きのバスまで、しばらく待つことにする。
駅の中には、軽食を出してくれる店もあるようだが、そこのおばさんによれば「20日でなくなる」ということだった。
震災復興の途上にあり、税金が多く投入されているとはいえ、地方の実態は厳しいようである。

そして福島交通のバスで葛尾を目指すことにする。

終点のバス停は、葛尾村の中心部である「落合」なのだが、バスの行先は「葛尾」とある。
こういう「分かる人にだけ分かればいい」と言わんばかりの不親切な表示は嫌いではない。

ところでこの葛尾村までのバスであるが、2017年までは途中のうつしまでしか走っておらず、そこから先は葛尾村営バスで行くことになったのだという。
全村避難からある程度の住民が葛尾村に戻り、なおかつ震災復興で補助が付くなどで復活したということであろうか。

ともあれ、50分の道のりをバスで行くことになる。

そして葛尾村の中心となる落合の交差点のすぐ東に「落合」バス停はあった。
交差点の北側に葛尾村役場、南に交流施設「あぜりあ」、西に葛尾郵便局があるといった具合となる。
ちなみに、北へ4km行き浪江町に入ると、DASH村があるという。
決死モデル:チームY宇崎

「村の中心」とは言うものの、家が並んでいるわけではなく、ポツポツ点在するという程度である。

さて、噂に聞く大盛り炒飯の食堂へ向かうこととしたい。
落合の交差点からは西へ向かうこととなる。
郵便局は浪江郵便局の下で集配機能があり、床屋は週2日だけ営業しているようである。

そしてこれが噂の「石井食堂」となる。

入ってみると商店を兼ねており、また数組の観光客らしきグループが入っており、やはりチャーハンの盛りの大きさにびっくりしていた。
自分もそのチャーハンを頼むことにする。

果たして、出てみると聞きしにまさる大きさである。
これが、過酷な除染労働の腹を満たしているのだ。
この自分が危なく残しそうになるほどの大きさであったが、どうにか完食することができた。

さて、腹もいっぱいになったので、バス停の前の交流施設「あぜりあ」に行ってみることにしますか。。。

葛尾村の中心にある「あぜりあ」は、「復興交流施設」と銘打っているだけあり、震災と原発事故による全村避難からの復興の象徴として建設されたと明記されている。
決死モデル:チームPメイ

入ってみると、木の香りが広がっている。
休憩所は食事の持ち込み可で、コーヒーを頼むこともできる。

14:30のバスの発車まで、ものの30分弱であるがしばし休憩することにする。
葛尾村は凍み餅を推しているようで、ゆるキャラ「しみちゃん」というのがいるらしい。
ただ、凍み餅は東北地方であれば割とどこでも作っているようなものである。
いよいよここには「何もない」のだろう・・・

さて、時間になったのでバスに乗ることにしたい。
車内の客は自分1人だけ。

出発してしばらくは、坂を上り続けることになる。
船引駅へのバスが唯一の公共交通機関とはいえ、葛尾村は双葉郡(浜通り)であり、船引駅は田村市(中通り)であり、そこには分水嶺があることになる。
その分水嶺となるバス停は「境のくき」と言うようであった。
そこからは下り坂となる。

さて、このあたりで14:46を迎えることとなった。
走っているバスの中で黙祷を捧げる。
2011年3月11日、自分自身が何をやっていたかと言うと、身バレすることになるので詳しくは言えないが、とにかく帰宅難民になったのは確かである。

そして再び船引駅に戻る。
決死モデル:トルソーさん霧島

船引駅は近代的な駅舎であるが構内は島式ホームで構内踏切でつながっている。
その構内踏切の所に「お人形様」という魔除けの守り神がある。
そして「カンカンが鳴ったら止まれ」と書いてある。
「カンカン」というのがいいね。

15:37のいわき行きは、1日に6本しかない磐越東線のいわき直通の列車である。
この磐越東線も、郡山~いわきで快速列車を増発して乗客確保できないものだろうか。

磐越東線は、小野新町から本数が激減し、1日6往復だけになる。
JR東日本屈指の閑散区間であると言っていいだろう。

しかし交換駅はあり、川前と小川郷は交換できる。
また、各駅は構内が広く、貨物輸送で賑わっていた往時を思わせる。
決死モデル:チームR真夜

この辺りは石灰石が産出していたようで、各駅の付近には工場あるいはその残骸も多い。
また、各駅は構内踏切ではなく地下道となっている駅が多い。
やはり貨物列車が多く走っていた時代の名残なのだろう。

そしていわきに到着。
いわきと言えば、交直流車両ながらもグリーン車が無いので持て余され、水戸線や常磐線水戸以北でしか活躍の場がなくなったE501系の天下である。
決死モデル:チームR天美

E501系は無駄に4扉ロングシートなので、まるで大昔のツーリスト寝台のように寝そべることだってできる。それが常磐線の民度である。

さて、次は福島臨港鉄道を見たいので、まずは泉に行くことにしたい。
16:54発だというので、そうそうゆっくりもしていられない。

いわき市は北九州市と同じで、新産業都市の絡みで昭和38年ぐらいに5市が合併して誕生した。
それで、いわき駅も割と最近まで「平駅」であり、「平市」であった。
そしてその隣が内郷市の内郷駅、その次が常磐市の湯本駅、そしてその次が磐城市の泉駅、そしてその先に勿来氏の勿来駅・・・という配置であった。

そして泉駅で降りる。
泉駅は、福島臨港鉄道と言う現役の貨物鉄道が分岐しているので、構内は広くコンテナ車が留置されていたりする。
決死モデル:チームTアンヌ

福島臨海鉄道は1972年まで旅客輸送をやっており、中国鉄道からディーゼルカーを持ってきて営業していた写真を湯口徹氏の著作などで見ることができる。
その旅客ホームが、割と最近まで残っていたような気がするが、駅の橋上化で撤去されたようである。

さて、ここからバスでイオンモール小名浜へと向かう。
それにしても「市の代表駅」ではない駅からバスで行く、と言うのがまたエモいではないか。

そしてイオンモール小名浜に到着。
決死モデル:チームPペギー

元はと言えば、こここそが福島臨海鉄道の小名浜駅だった場所なのである。
しかし、東日本大震災の津波により被災し、駅は600m泉側に移設されることとなった。
そしてその跡地に、復興事業としてイオンモールが建った、という経緯となる。

さて、現在の小名浜駅に向かって歩いていきましょう・・・

そして道路を渡り、緑十字旗の翻る福島臨海鉄道の本社に到着。
ここが小名浜駅となる。
向こうの車庫にはDD56と思しき機関車が停まっているが、私有地となるのでこれ以上入ることはできないのでここで撮ることにする。

コンテナ車もたくさん停まっているが、暮色も濃くなってきたのでここで終わりにする。
あとはもうフォロースルーにしましょう・・・

イオンモール小名浜からいわき駅まではバスで40分。
今時、市内の移動だけで40分もバスに乗るということがあるだろうか。
それだけいわき市が広大だということである。
さすがは5市が合併して発足しただけのことはある。

さて、夕食であるが「半田屋」にしよう。
決死モデル:トルソーさんメア

やっぱり南東北である以上「半田屋」で納豆ご飯と豚汁を食わないと、南東北に来た気がしない。
さて、腹がいっぱいになったので帰りますか・・・

今時の常磐線は、いわきから柏に行くためには、水戸で乗り継ぎをしないといけない。
いわきまで足を延ばす「ひたち」は、上野~水戸間がノンストップなのだ。
土浦にすら止まらないというあたりが徹底している。

兎も角も特急券を2枚買って車内の人となる。
そんな3.11を偲ぶ旅でしたとさ。

 

 

 

 

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