僕らを乗せてどこへ行く

今日はちょっとひょっこりひょうたん島へ行ってみましょう。

朝早くに花巻の大沢温泉を出発。

朝食も兼ねて途中休憩は道の駅とおの風の丘。
決モチームWBナギサヤ

朝食はかき揚げそばにしたが、そのついでにおでんも頼んだがこれが結構美味しすぎて、かなり食べてしまった。
そんなこんなで朝からガッツリ食いすぎた。

遠野と釜石の間は仙人峠道路で、復興枠で予算がたくさん付くのか、ここだけ高速企画になっていた。ただし車線は片側1車線のみ。輸送量を考えるとこんなものなのだろう。

そして釜石からは国道45号線を北上して大槌町へ。

大槌町と言えばもう7年前になる東日本大震災で中心市街地が流され、役場職員も30名が死亡してしまった。
現在では、住宅がちらほら建ちつつある。
決モチームPウメコ

ただ、それでなくとも日本の地方は過疎化に加えて少子高齢化に悩まされている。
「陸中海岸国立公園」を「三陸復興国立公園」に改称してまで予算獲得に努めてはいるようであるが、「震災復興」の枠がなくてもどこまで復興できるのやら・・・という気はする。
少なくとも、自分は都会を捨てて地方に住もうとは思えない。何しろ地方は衣料から何から不便であり、ムラ社会で人間関係も窮屈ときている。このような状況をどうにかできなければ、過疎化などどうやったって解決できはしまい。

さて、お目当てのひょうたん島であるが、正式には「蓬莱島」というのだそうな。
作者の井上ひさしは1950年代に上智大学に通っていた頃、生活費が底をついたために休学して国立釜石療養所の事務員として働いていた時期があったのだという。
この大槌町に土地勘があったのは、そのためではないかと言われている。

この蓬莱島には弁天神社と東大・・・灯台が立っている。
東大と言えば、この蓬莱島のたもとには、東大の海洋研究所も建っており、東日本大震災で津波の被害を受けたようである。

大槌町は昭和30年の昭和の大合併まで、大槌町の他に山奥の方は金沢かねざわ村だったようで、金沢小学校というのがあったようである。

1950年代に建てられたと思しき校舎には「5・6年」とあり、複式学級だったのであろう。
なかなか味のある校舎である。
また、校庭には仮設住宅が建っており、つまり2011年の時点では廃校であったという事になる。

さて、あとは花巻に戻りましょうかね・・・
国道45号線と283号線を行く。

花巻と言えば有名なのがマルカンデパートの巨大ソフトクリームではないだろうか。

マルカンデパートは、花巻市では地場のデパート ――つまり函館の棒二森屋や帯広の藤丸デパートのような―― であったものが、2016年に閉店し、この大食堂も閉店となってしまった。
しかし、あまりに昭和な雰囲気を惜しんだ地元有志が、企業を立ち上げて6階だけ経営を引き継いだのである。
それで、「マルカンビル」として再出発し、1階は巨大ソフトの顔抜きやガチャがあるという、もはや巨大ソフトのためにこのビルがあるというような面持ちとなっている。
決死モデル:チームTエリー

果たして6階に上がってみると、そこはいかにも昭和ワールドである。東北新幹線が開業する前、上野行きの485系「やまびこ」が花巻駅に停まっていた頃からこんな雰囲気だっただろうか。

食券売り場には食品サンプルがあり、これまたレトロな雰囲気である。
そして女子店員の制服もまた、昭和のデパート大食堂の雰囲気を出している者であり、これでもかこれでもかと昭和の雰囲気を演出している。

そしてこれが「10段ソフト」となる。

箸立ても昭和の雰囲気で、これを制作している所はもうないのではないだろうかと思わせるほどである。

そんなこんなのひょうたん島行きでしたとさ。

 

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