当事者でもないのに ~web1.0の頃の空気感~

杉田水脈のLGBT生産性騒動について、一部のLGBT当事者は「杉田水脈に抗議する左翼の方が鬱陶しい。当事者でもないくせに」みたいな話をしている。

で、その発言に喝采しているのは「差別がないことにしたい」保守勢力というお定まりの図である。
このような構図は「差別」の存在するいたるところに見られたのではないだろうか。昨今の医学部女性配点問題にしても同じ。
当事者でもないのに口挟むな」と、当事者が自ら差別に抗議する勢力を牽制するのである。この攻撃はなかなか効果的だ。

翻って、devoteeさんの世界にもこの手の話はあった。
欠損バーなんてのが影も形もなく、devoteeが正に日陰の世界だった頃の話。「web1.0」の時代である。
切断障害や義足に関するページがあれば、その掲示板にはdevoteeさんが一定数いたことは間違いない。
女性の書き込みがあれば、絶対に男から声を掛けられていた。
そんな時に「義足フェチは黙れ」みたいなことを言うのは、だいたい義足の男性だった。つまり当事者というには微妙にずれている。
現在なかば廃墟化してはいるが、ネカマとなったdevoteeさんを糾弾するページなんてのもある。
当の女性はと言えば「その手のフェチがいるらしいことは一定の理解はできる」みたいな言い方をする人もいるのとは対照的だった(明確に「フェチお断り」と言っていた女性もいたけど)。もっとも、理解してくれるという女性にしても、表立って言えば角が立つと言うだけでかかわってほしくは無かっただろうけど。あるパラリンピアンの女性もブログ(現存しない)で「障害をある個性と捉えるのはいいことだと思うのですが、そっとしておいていただければ…」と、明らかにdevoteeさんを念頭に置いた書き方をしていた。

ともかくも、なにか「抗議する必要がある」問題が発生した時、うるさいのは当事者以上に周囲だよな・・・ という気はした。
いや、むしろ世の中に「当事者だけがうるさい」抗議は浜の真砂ほどあって、そういうのは「勝手に騒いでるだけ」と黙殺されるだけなのだ。
そして、当事者でない人までが大騒ぎしている抗議が、世の中に目立つ形で表れているのだ。

・・・なぜこんなことを書こうと思ったか?
まあこのように人迷惑な存在ではあったのだが(自分も含め)、欠損バーがオープンするなど世間的にごく一部ではあるが一定の理解を得られる前の、devoteeさん達の空気感を「私的devotee史」として書き残しておきたいと思ったのである。

 

関連するエントリ(とシステム側で自動的に判断したもの)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です