さてプール後の旅はあもり駅からです。
篠ノ井まではJR東日本であるが、車両はしなの鉄道車である。
ただしこれは小諸行きなので、どこかで篠ノ井線の松本方面に乗り換える必要がある。
(決死モデル:チームR真夜)
ということで、松本行きの篠ノ井線の快速が停まる隣の川中島で乗り換えることにする。
ところで、長野市内を走るバスは長野電鉄の他に「川中島バス」があるが、あえて「長野バス」ではなく、長野市の一部地域の地名である「川中島」なのはなぜなのか?
「川中島の戦い」のネームバリューから?
Wikipediaで調べる限りでは、祖業の地が、長野市に合併される前の川中島村だったからというようであった。
さて、篠ノ井線といえば日本三大車窓の姨捨である。
御存知の通りのスイッチバック駅であり、対向式の2面2線のホームであるが、何と駅舎と反対側のホームに停まるのである。
(決死モデル:チームR持田)
これは、姨捨駅の乗降客以上に、「日本三大車窓」の景観を優先した結果ということになるのだろう。
現在の姨捨のホームには、半円のお立ち台があり、夜景のための観光列車を走らせるなど、長鉄局も路線起こしに余念がない。
果たして松本に到着。
昼時でもあり、20分強待ち合わせ時間があるので、駅のホームで蕎麦でも食いたい。
何と言っても信州は蕎麦の産地である。
鹿肉そばを頼んでゆっくり食べる。
最近のJR東日本系列の飲食店は、鹿肉に力を入れているようである。
これは、沿線に鹿が増えすぎて、駆除に力を入れているということもあるらしい。
・・・と思って時計を確認すると、12:42!?
ちょうど小淵沢行きが出発した時間である。
つまり乗り遅れ。
ただ、茅野で「あずさ」の待ち合わせをすることは分かっていたので、13:02発の「あずさ」の特急券と乗車券を買って乗ることに。
(決死モデル:チームWBミサメグ)
身から出た錆とはいえ、思わぬ出費である。
果たして、茅野で小淵沢行きに追い付き、そこから先は本来乗る予定だったこの列車で小淵沢へ行く。
小淵沢駅は、つい最近までいい感じの木造駅舎だったような気がするのだが、いつの間にか近代的な駅舎になってしまっていた。
ここからは小海線で、キハ110である。
(決死モデル:チームPみく)
さすがは観光路線であり、2両編成は観光客や登山客でにぎわっている。
さて、小諸行きはエクゾースト音を響かせて野辺山越えに挑む。
途中、信濃川上で列車交換。
小海線の拠点となるのは、小海線営業所のある中込である。
(決死モデル:チームTヤギー)
駅前には千曲バスが出入りする。
まごうかたなき「東信」の面持ちである。
この辺りになると、観光客というよりは帰宅する高校生で賑わうようになる。
どう見ても高校生にしか見えないのだが、やたら私服が多い。
そういえば、長野高校といい松本深志高校といい、長野の名門校は私服校が多いようである。
この界隈で名門というと、野沢北高とか?
そして佐久平で新幹線客や高校生の群れを下ろし、列車は終点を目指す。
終点の小諸は、小海線としなの鉄道のレールは既につながっていなかった。
昔は同じ国鉄だったというのに、甚だ寂しい話ではある。
ところで、そのしなの鉄道、軽井沢行きと長野行きが同じホームの向かい合わせに停まっているのだが、115系のパノラミックウィンドウの所に「軽井沢行」「長野行」という表示がしてある。
なかなかうまいやり方である。
程なくして軽井沢に到着。
かつては碓氷峠の西側であり、草軽電鉄も出ていた軽井沢駅は、ちょっとした鉄道博物館の体をなしている。
ホームにはEF63と169系が保存されており、駅前にはこのように草軽電鉄のジェフリーが保存されている。
また、旧駅舎も鉄道博物館として公開されているが、今回は乗り換え時間がたった9分なので、草軽のジェフリーだけ撮って先を急ぐことにしたい。
軽井沢から横川の、長野新幹線開通に当たってJR東日本の哀願により鉄道廃止した区間は現在はJRバスが走っている。
軽井沢駅前の、いかにも後付けで作ったというようなバス乗り場から出ている。
代行バスという扱いではないので、前に行った摺沢~さかりのバスとは違って、青春18きっぷでは乗れないので、別途510円払うことになる。
ここから急な下り坂を、40分近くかけて降りていく。
横川に到着した頃には、すっかり暗くなっていた。
あとは、帰途に就くだけである。
115系で高崎まで出て、高崎からは上野東京ラインで大宮まで行くことになる。
どのような天の配剤か、大宮からは武蔵野線直通の「むさしの号」に乗る事ができた。
(決死モデル:チームR小沢)
果たして、長野旅行も無事終わりましたとさ。