昭和の終わり頃、吉永小百合が主演の「天国の駅」という映画が公開された。
今回は、このモデルとなった事件の現場に行きたいと思う。
別に上野東京ラインで行ってもいいのだが、今回は奮発して新幹線で行くことにしたい。
旅立ちは上野駅からで、もう少し待てば「Maxとき315号」だったのだが今回はそれには乗らない。
というか東北新幹線の方だし・・・
(決死モデル:チームTアンヌ)
地下深くにある新幹線の上野駅を出て程なくして、日暮里を過ぎたあたりで地上に出る。
あれだけ深い所からすぐに地上に出るということは、上野~日暮里のあたりはかなりの勾配になっているのではないだろうか。
さて、赤羽を過ぎると埼京線と並走することになる。
埼京線という路線は、子供の頃「いつの間にかできてた路線」というイメージがあるが、その建設は東北新幹線とセットで語られる。
昭和57年に、大宮から先が開業したものの、上野~大宮は185系の「リレー号」だった。
その間に大宮~上野間の建設が行われていたが、既にこの区間は人口密集地帯で、騒音問題も考慮しなければいけなかった。
昭和60年に、新幹線の上野開業とともに開通した埼京線は、その代償措置という側面も持つようである。
果たして宇都宮に到着。
宇都宮といえば餃子だが、昼食にするにしては時間が早すぎる。
ということで、栃木県立図書館に寄ることにしたい。
図書館は県庁の近くにあり、交通は至便である。
ちなみに宇都宮には、関東バスと東野バスとJRバスが出入りする。
このうち、図書館に最も近い県庁東バス停に止まるのは関東バスである。
ただし、運行頻度としては1時間に1~2本。
これ以上に、多少歩くが県庁前バス停であれば、各社がバスを頻繁に走らせているので便利である。
果たして栃木県立図書館で当時の下野新聞をコピーすることにする。
(警察マター なので、決死モデルはチームPウメコ)
なにぶん「戦後初の女性死刑囚」という有名な事件なのだが、Wikipediaには項目は無し。
事件サイトとして有名な「無限回廊」でも、つい最近載ったばかりという、知名度の割に扱いのあまり良くない事件である。
さしあたり、死体の発見された昭和36年2月21日~24日の下野新聞の報道は以下の通り。
さて、宇都宮で情報を仕入れたら、塩原温泉に向かうことにする。
宇都宮から先は「宇都宮線」ではなく、もはやローカル線の趣となる。
京葉線か武蔵野線あたりから転用されたであろう205系で西那須野を目指す。
(決死モデル:チームWBノノナナ)
新幹線開業前であれば、西那須野はそれなりに地位の高い駅で、デッドセクションのある運行上の拠点であった黒磯駅は別として、急行「まつしま」「なすの」等も停車する駅だった。
昭和40年代までは、大田原や黒羽を目指す東野鉄道も出ていた。
大田原といえば栃木の県北随一の都市で、塩原温泉で発生した前述の事件も、取扱署は大田原警察署になる。
また、黒羽といえば田代まさしが服役していた黒羽刑務所がある。
現在、大田原や塩原温泉など栃木県北の拠点は、那須塩原駅(かつての東那須野)に移っている。
ただし、塩原温泉へ向かうJRバスは現在でも西那須野の駅から出ており、営業所も西那須野にある。
昼食時になったので、駅前で何か食べようと思ったが、大した店が無かった・・・
さて、塩原温泉行のバスは順調に西を目指す。
途中、自動車駅は関谷宿と福渡温泉があったというが、関谷宿はどこに駅舎があるのか分からないまま通り過ぎてしまった。
また、上記の新聞にも載っている「国鉄バス福渡駅」については、その形跡すら見出すこともなくつうかしてしまった。
終点は、塩原温泉駅というバス駅である。ただしJR職員が切符を売っているわけではない。
ここで早速にしこくん仕事と洒落込みたい。
今回の中の人は、 左向きメンのファラキャ。
にしこくん仕事に関する前回のエントリで、左向きメンはにしこくん仕事に使いにくい旨を書いたが、この時に右向きのメンがおらず、苦肉の策でファラキャを起用したのである。
ともあれ、バスの塩原温泉駅は、バス駅というよりは、普通のバスの営業所に近いような面持で、発着所に大きな屋根が掛かっているのが特徴である。
待合室は、塩原温泉の案内所となっている。
さてさて、では事件現場である日本閣を目指したい。
塩原温泉では、ゆ~バスという温泉巡りのバスが走っており、本数は少ないが便利である。
にしこくんの中の人は、ウメコと同じデカレンジャー出身のチームYジャスミンにバトンタッチ。
日本閣は、福渡橋の西詰にあったようである。
ところで、昭和36年2月21日の記事を見ると、この日本閣の対岸側に「国鉄バス福渡駅」とある。
あ、福渡にもバス駅あったんだ・・・
「1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 関東地方自動車局」で見る限りでは、以下のような記述となっている。
1985(S60)年当時の自動車駅として、(自)西那須野、関谷宿、福渡温泉、塩原温泉の各駅が存在し、バス運行の拠点として西那須野駅前に西那須野自動車営業所が、塩原温泉に塩原派出所が置かれていた。
ともあれ、福渡温泉駅に関しては思わぬ拾い物であった。
日本閣については、バスの本数が少なく車内から撮ることしかできなかった。
場所的には、天狗岩も見渡すことができて良いロケーションではあるのだが、いかんせん別の伝統旅館の番頭が独立して開業した新興旅館だけに引き湯の権利をもらえず、「塩原温泉にありながら温泉のない旅館」ということで経営は苦しく、観光シーズンにどこの旅館も満室で止まれなかった際におこぼれが発生するという程度で糊口をしのいでいたようである。
そしてまた、この事が旅館乗っ取りを企図する目の付け所となった。
それにしたって風光明媚な場所である。
今、ここにホテルでも建てればそれなりに観光客を見込めるような気もしないではないが、やはりいかんせん・・・
さて。撮るもの撮ったらあとは撤収したい。
とはいえ、西那須野まで単純往復というのも芸が無いので、ゆ~バスで野岩鉄道の上三依塩原温泉口まで行くことにしたい。
ところで、塩原温泉には「塩原湯治郎」という何とも微妙なイケメンキャラらしきものがいる。
曰く、温泉療法医という医者なのだそうで、情熱的に塩原をPRしているのだそうな。
ということで、おどろおどろしい事件現場の跡を撮影してきたジャスミンとチームWB嵐山で記念に撮影。
そして野岩鉄道で浅草を目指すことにする。
この辺りはまだ雪を頂いている。
東武とも共通の6050系で、まず新藤原を目指す。
ほぼ毎日、北千住で東武の電車を見ることになるが、6050系と出会うことなんてほとんどない。何しろほぼ「中距離列車」とも言うべき快速の運用に充当されており、1時間に1本しか走らないからである。
そのあたりの運用の仕方は、西武4000系と共通していると言って良いかもしれない。西武4000系も、都心部のターミナル駅である池袋まで足を延ばすのは休日しかない。
しかし、このような末端部まで来ると、扉数が少なく車内の保温性も高いので、主力として活躍することになる。
西武秩父線もそうだが、大手私鉄の中距離向け車両がいやと言う程見れるこの路線は、なかなかどうして味がある。
中三依温泉で6050系同士の列車交換がある。
(決死モデル:チームTヤギー)
野岩鉄道としての区間は新藤原までで、その先は東武鉄道の区間ということになる。
鬼怒川温泉で、浅草まで長駆する区間快速に乗り換える。
近く、300系特急車「リバティ」が登場すれば、この6050系の快速も浅草に来ることは無くなる。
その乗り納めも兼ねて、スペーシア「きぬ」ではなく、この快速に乗ることとしたい。
「区間快速」ということは、区間ではない「快速」もあるということになるが、こちらは2006年に既に廃止になり、全て区間快速ということになっているようである。
「快速」は、東武動物公園から先(栃木側)もかなり駅を飛ばしていたようである。
その昔・・・とは言っても相当昔の昭和34年まで矢板線を分岐していた新高徳でスカイツリートレインと交換する。
(決死モデル:チームP桃園)
矢板線は最後までSLによる客車列車しか走らなかったというが、どんな感じだったんだろう。
あまり資料が無いのでよく分からない所である。
スカイツリートレインは、もう団体専用列車としてしか走らないのだという。
団体専用だけで1形式できるというあたり、さすがは近鉄に次ぐ路線規模を誇る東武鉄道だけはある。
ちなみに近鉄も、「あおぞら」という団体専用列車を持っている。
日光線と合流する下今市で、成田エクスプレス崩れの253系と交換する。
日光への輸送といえば、国鉄と東武が鎬を削り、国鉄もキハ55や157系といった、それだけのための新鋭形式まで投入した路線である。
そのような路線に、成田エクスプレスの中古を持ってきたというあたり、現在の日光輸送の地位というものが見て取れるというもの。
あまつさえ、現在はスペーシアが新宿に来るなど、JRと東武が相携えて運行しているという状態である。
そして日光線もしばらくは単線が続くので、列車交換のための長時間停車が所々である。
それで、東武金崎でも駅の外に出て写真を撮るだけの時間ができた。
(決死モデル:トルソーさんのナイ)
この単線区間の間は、まるでローカルトレインのようにこまごまと駅に停車していくが、東武動物公園から先は、東武の「快速」の本領を発揮する時である。
東武動物公園を出ると、春日部に止まり、その次は越谷も西新井も停まらずにそのまま北千住となる。
そして牛田や鐘ヶ淵を通過し、終点の浅草へ。
6050系の長い旅がここで終わった。
ちなみに、浅草駅でにしこくんの中に入っていたのはチームPの芳香ちゃんであった。