かつてはマイクロバスの特急バスも走った松山高知急行線の後裔であるところのJR四国バス久万高原線の久万高原~落出が廃止になるのだという。
落出駅。旧松山高知急行線で国鉄時代の面影を残す自動車駅。 先日JR四国バスHPで、久万高原ー落出廃止の公式発表あり。この駅舎の行方が気になる。 pic.twitter.com/3YIRjrIUP4
— 99_k_line (@99_k_line) 2017年1月14日
ということは、久万高原から先の御三戸、落出といったバス駅もなくなってしまうということなので、一度これで四国縦断してみることとしたい。
ということでバスタ新宿からドリーム松山。
2日に1回の運行で、1台に3席しかないプレミアムシートを確保して悠々と四国を目指すことにする。
(決モ:チームPユウリ)
大阪行きの23時台の発車になれた身には、21時の発車というのはかなり早く感じる。
四国というのはかなり遠い所なのである。
兎も角も、深夜の東名高速を西へ向かって走る。
早朝の休憩は、四国入りして香川県の愛媛県境にある豊浜サービスエリア。
(決モ:チームT美川)
ちなみに、ドリーム松山は香川県内では停まる所が無く、最初の降車停留所は県境を越えた三島川之江インターチェンジとなる。
観音寺から乗る場合は、ドリーム高松に乗ることとなる。
四国はそういった県境というか讃岐・伊予・阿波・土佐の峻別が明確なのだろうか・・・?
そして松山市内に入り、高速道路を降りて松山一の繁華街・大街道で降りる。
JRバスと伊予鉄道のバス停は大街道だが、宇和島バスは「三越前」、ウィラーエクスプレスは「松山一番町」と、まったくバラバラになっている。
(決モ:チームWB嵐山)
ちょうど、その「三越前」バス停に宇和島バスが到着した。
愛媛県の南の果て・城辺あたりから来たのだろうか。
大街道の吉牛で朝食を食べたくらいにして、松山駅を目指すことにする。
ちなみに大街道からは1番と3番に乗ると松山市駅に連れていかれる。
2番は遠回りで城北線経由で松山駅へ。
松山駅へは、5番に乗ればいいことになる。
それにしても最近の伊予鉄の電車は、市内線も郊外線もオレンジ一色である。
これは、官僚出身で天下った地元出身の社長が、コーポレートアイデンティティーだかでオレンジ一色にしたのだそうな。
この塗色変更は、鉄ヲタには概して不評であるが、地元民からするとどうなんだろう。
単なる社長の改革ごっこで終わらなければいいが・・・
さて、高速バス網が発達した四国であるが、松山駅前の乗り場も、切符売り場がある他、このように待合所も存在感を発揮している。
しかし「落出」は、3月いっぱいでもう無くなるのである。
松山高知急行線も今や久万高原までしか行かなくなるのだ。
さて、しばらくバスを待っていると、高松行きのバスがずっと止まっている。
その裏に、ピンク色のバスが二重駐車するような形で停まった。
最初は気にも留めていなかったが、学生さんが急いで乗るようなしぐさをしていたので、見てみるとそれが落出行きだったのだ!
そもそもピンク色のJRバスなんて想像したこともない。JRバスのそれも路線バスは青に灰色と相場が決まっているではないか。あまりに非常識なカラーリングである。(高速バスは黄色に水色の帯になったようだけど)
それと、あんな二重駐車みたいな形で、1番乗り場で高松行きの物陰で馬鹿正直に待っていたら、あのバスを乗り逃がしたことになる。
今回は学生さんの姿を見逃さず乗れたからよかったようなものの、こんな発車の仕方では営業的にかなり問題があると思う。
よほどJR四国バスに抗議してやろうかと思ったが、面倒臭いのでやめた。それでなくともあと1か月強で廃止になる路線だし・・・
兎も角も落出行きは松山市内を出て、昔伊予鉄道森松線が走っていた森松を経由し、どんどん農村地帯へ分け入る。
ということで、最初のバス駅である久万高原に到着。
(決モ:チームY楼山)
久万高原駅は、現在は特産品も売っている「道の駅」のようになっていて、往年の「バス駅」の情緒は見る影もない。
ただ、これが「バス駅」の新しい形と言って良いのかもしれない。
それでなくともバス駅は減少の一途をたどっているのである。
国鉄ヲタの懐古趣味だけではなく、新しい道の模索を温かく見守るということも必要なのかもしれない。伊予鉄の電車の新塗色と同じで。
そして久万高原から、バスは本格的に山の中を分け入ることになる。
次の自動車駅は、旧美川村の中心地・御三戸であるが、久万高原のようなバス溜まりは無く、通過型のバス駅となる。
それでも、昔は面河までの路線の乗換駅で、乗車券も発売していたのだという。
現在は面河線は、伊予鉄南予バスが担当している。
そして新道を突っ切り、深山幽谷を分け入るようにして旧柳谷村へ。
その柳谷村の中心が、終点の落出である。
(決モ:チームY宇崎)
落出駅の周辺は、渓谷に面した細長い集落となっている。
落出駅自体は、御三戸と同じように通過型のバス駅のように見えるが、道路を挟んだ橋の方にちょっとしたバス溜まりがある。
そして、落出駅の松山方に少し歩くと「落出車庫」がある。これは今でもJRバスの車庫として使っているのだろうか。バス1台分の車庫と、その上に乗務員休憩所があるといった簡素な建物である。
そして次は、黒岩観光バスの佐川行きとなる。
現在、落出~佐川つまり松山高知急行線の高知県側の部分は、平日のみ1日2本だけの運行となる。
落出からは数人が乗ったが、どうやら「同業者」のようであった。
こんな調子なので、廃止もきっと時間の問題なのだろう。
それにしても、落出発が12:10と17:10というのは、落出側に学校や病院があるというダイヤなのだろうか。
兎も角も、バスは深山幽谷に囲まれた愛媛・高知県境を行く。
そして高知県側に入り最初のバス駅は土佐大崎。
仁淀川町の中心集落である。
但し、土佐大崎の駅舎は国鉄時代のものではなく、新しくなっている。
(決モ:チームWBノノナナ)
しかし、バス溜まりもあり、国鉄バスの駅としては雰囲気じゅうぶんである。
ちなみに、「1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 四国地方自動車部」によれば、国鉄バスの時代、土佐大崎からは池川(旧池川村)への路線が分岐していたのだという。
この様な山間のローカルバス停で途中下車してしまうと、次に来るバスまで時間が長い所だが、幸運なことにこの20分程度後に、佐川行きがもう1本来るので、土佐大崎で降りる時間ができたのである。
その池川への支線筋から来る系統であろうか。
国鉄バスは無くなっても、さすがに仁淀川町の交通の中心だけあって、80条バスというかマイクロバスが集散する。
いい時間になっても、それらしきバスが来ないので、手前のマイクロバスに聞いてみた。
「もしかして・・・ これが佐川行きですか・・・?」
「違うき!あそこにバスが来ゆうき!」
あの「海が聞こえる」で聞いたような典型的な土佐弁でマイクロバスの運転手はまくしたてる。
果たしてその佐川行きに乗る。
あとは佐川目指して走るだけである。
途中、越智にもバス駅があるが、さすがによる時間は無く、また寄るほど国鉄的な味があるわけでもない。
さあ粛々と佐川へ行きましょ。
そして佐川に到着。
JR四国の駅は、古い木造の駅舎の真ん中を中途半端に近代的なファザードにしているものが多いような気がする。
伊予鉄道の郡中港駅の真向かいにある伊予市駅も、確かそんな感じの駅舎だった。
(決モ:トルソーさんのメア)
さて、あとは高知目指して列車に乗るだけ。
高知行きの普通列車が来たのでそれに乗る。
次の西佐川は、佐川駅と急行停車駅の座を争ったのだそうな。
そのことは、Wikipediaの「鉄道と政治」の項でも触れられている。
(決モ:チームPウメコ)
それにしても高知周辺も随分と駅が増えたものである。
高知駅から窪川方面は、国鉄の頃であれば次が旭でその次は朝倉だったはずの所、入明、円行寺口、高知商業前と次々と駅ができ、まるで国鉄の駅とは思えないほどの駅間隔となった。
というか、国鉄時代が長すぎた?
それでも、土電が並走しており、列車本数も多いわけではなかったのでそれでも良かったのだろう。
今回は、その増えた駅のうちの1つ、入明で下車することとしたい。
(決モ:チームY城ヶ崎)
入明は高知城に比較的近い所にあり、石垣の浦道を入ればすぐ、高知県立図書館というロケーションになる。
なぜ高知県立図書館かといえば、昭和30年に発生した証券会社社長殺害事件に関する、地元高知で出版された本がそこに所蔵されているからである。
以前、「高知県警察史」をコピーするときに発見したのだが、あまりに紙質と保存状態が悪く、時間も押し迫っていてとてもコピーできるような状態にないと思ったからである。
しかし今回は比較的時間があるので、コピーしようと思った次第である。
そして図書館で首尾よくコピーする。
古い活字や巻頭写真も相まって、随分とおどろおどろしい出来になっている。
(決モ:チームYジャスミン)
あとはこれを今日明日の列車内で読むだけ。
あとは土電で高知駅を目指しましょうかね・・・。
ということで、高知城前から「ごめん」行きに乗ることにする。
実は、前回に高知に来た時は、同じように「高知県警察史」をコピーするために伊野から乗ってきて高知城前で降りたので、高知城前~はりまや橋という非常に短い区間が未乗区間になっていたのである。
そして高知県の経済中心であるはりまや橋で高知駅前行きに乗り換えることにしたい。
(決モ:トルソーさんのアハメス)
今回コピーした昭和30年の社長殺害事件そのものについては後述するとして、大阪から来た被害者は、天保山桟橋からの船に乗って高知まで来たらしい。
してみれば、昔の大阪~高知の移動は船が最もメジャーだったということだろうか。
たしかに土讃線で東京や大阪を移動するというのはまれな例だったらしい。
どうせ時間が余っているので、土佐山田からJRバスの大栃線に乗ってみたい。
大栃線も美良布、大栃とバス駅に恵まれている。
四国は小さな島だが、この手の国鉄遺産に事欠かないので趣味的には素晴らしい。
今回の旅行は、フリー切符を使うわけでもなく、金のかかる旅行であることはすでに自明の通りである。
ということで、毒喰らわば皿までで土佐山田までは特急で行くことにしたい。
さて、程なくして土佐山田に到着した。
(決モ:チームPさくら)
高知県ひいては四国自体が、アンパンマンをやたらフィーチャーしている感があるが、それもそのはず作者のやなせたかしが高知出身だからである。
でまた、バスの色も問題でもはやこれは国鉄バスではない。何でこんな色にしてしまったのか・・・
兎も角も、バスは大栃に向けて出発する。
さて、前述の通りこの路線には美良布、大栃とバス駅はあるがどのようにするべきか。
大栃まで行くべきか、美良布で折り返すか。
大栃まで行くと完乗ができるが、大栃駅というのは駅舎が中途半端に近代的で面白くもない。
それに対し、美良布は昔ながらの国鉄バス駅の情緒を残している。
こうなると美良布の方がいいような気がしてきた。
ということで美良布で下車。
(決死モデル:チームTフジアキ)
途中下車するだけはあり、これぞ国鉄バスの駅という素晴らしい駅舎である。
現在でこそ香美市となっているが、2006年までは香美郡香北町の中心部であった。
まさに「おらが町の駅」であったということである。
窓口業務はいつまでやっていたのだろうか。
さて、この美良布には、アンパンマンミュージアムがある。
なぜこの美良布なのかというと、やなせたかしの父方の実家がこの香北町にあったのだそうで、やなせ自身は東京の滝野川生まれなのだそうな。
しかし父が外地で客死、母は再婚したために御免にある伯父の家で育てられることになったのだという。
こうしてみると、母親も子供を残して再婚とは、現在の自民党が進める「家族の絆」を基調とした政治の逆を行っていたのではないか。日本の伝統などとは言っても所詮こんなものだったのではないだろうか。ただ政治的には家族のきずなということで自己責任論に押し込めてしまえば税金は安上がりだというだけで。
そんな話はまあいいや。あとはもう列車で戻って高知市内で投宿するだけ。
(決モ:チームP芳香ちゃん)