北秋田の山深く

今日の朝は小坂レ一ルパークで始まる。

小坂レールパークの朝はブルートレインの体験乗車で始まる。

まずはDD13を連結するところから。
トワイライトでもサンライズでも、連結風景は一つのショーとなっており、スマホをかまえた客で鈴なりになっている。
決死モデル:チームY城ヶ崎

そして乗車できるのは、最後尾(駅舎側)の開放寝台車のみとなり、宿泊した状態での乗車はできない。

ということで乗客全員が1号車に移動する。
ところで、この1号車は宿泊には使っていない?

ところで、ハイケンスのセレナーデと「今日は7月20日…」で始まるアナウンスは、どう考えても録音には聞こえない、リアルな車掌の生声である。
よほど錬習したか、あるいはよほど大好きなのか。
けだし日本一のセルフ車掌というべきではないだろうか。

さて、9時になり列車が出発する。
大館方とは反対方向となる。

そして構内の端まで行き、機回しもせず推進でバックする。
そして降りてみてびっくりした。

軽便時代の車両に数mまで近付いた位置で正確に停止しているのだ。
JRを退職した元運転士なら可能なのだろうか。
決死モデル:トルソーさんナイ

聞いてみると、JRや小坂鉄道での運転経験は無いのだという。
民間のエンジニアからの転職であるという。

それにしては、車内のアナウンスといい、なかなかレベルが高いのではないか。
どのようにして運営しているか興味深いところではあった。

小坂レ一ルパークの構内は、元が鉱山鉄道であっただけに広大である。
タブレットキャッチャーまで置いてあるが、終点駅だった小坂で、このような投げ入れ式のタブレットキャッチャーは必要であったろうか。
特に貨物列車なら、停止位置と閉塞区間がイコールである必要はなかったとか?
まして貨物列車なら重量も重く、いちいち停止するのも面倒だったかも知れない。

そして向こうでは日車標準形のキハ2000が朽ち果てている。
ブルートレインの維持管理に能力を全振りしており、それ以外には手が回らないということなのだろうか。

また、構内の信号は椀木式であった。

本来であればレールバイクやトロッコ試乗もしてみたかったが、こちらは10:08に小坂小学校前を出るバスに乗りたいので、泣く泣く後にすることに。

小坂駅前の通りには役者幟が立ち並び、明治建築の演芸場「康楽館」の存在を際立たせる。
この通りは「明治百年通り」と言う。
決死モデル:チームWB嵐山

そもそも、なぜ秋田のこのような山中にここまで広壮な演芸場があるのか。

小坂鉱山の歴史は江戸時代の盛岡藩にさかのぼる。
日/本一の金銀鉱山であった小坂鉱山は、明治維新により藤田組に払い下げられた。
これが現在の同和鉱業である。

そして鉱山町であった小坂には交通や生活・娯楽のインフラが整えられた。
その一つがこの康楽館であった。
夕張にしても松尾鉱山にしても軍艦島にしても、鉱山町は「雲上の楽園」として、ともすれば東京など都市部以上の充実を見せていた。

小坂鉄道レールパークに保存されていた軽便鉄道の客車には貴賓車があり、これで明治時代の皇太子殿下つまり大正天皇も見にきたのだという。

そして鉱山事務所もまた、鄙には稀な三階建ての広壮な洋館となっている。
明治時代に事務方だけでこれだけの建物が必要であったとなると、相当な規模の鉱山であったことが窺われる。
東京帝大の金属工学科をでた学士様もこんな所で働いていたであろうか。

ちなみに、秋田大学には工学部がなく「鉱山学部」となっていたが、それはこの藤田組の尽力で秋田に鉱山専門学校を設立したということに始まる。
秋田県内には小坂だけではなく花岡や尾去沢と言った有名な鉱山もある。
そしてこの「鉱山学部」の名は、平成に入ってからしばらくも残っていた。
現在は資源何ちゃら学部になってしまっている。

この鉱山事務所の向こうには「永楽町」という駅がある。
まさか、夕張鉄道の末広駅とか営林署前駅のような市内利用が主の駅が軽便鉄道時代にあったとか・・・?
決死モデル:チームTアンヌ

調べてみると、小坂鉄道レールパークのレールバイクの終着駅なのだという。
本当は時間が許せばこれにも乗ってみたかったのだが・・・

さて、そろそろバスの時間になってしまった。
バスはこの明治100年通りも走り、鉱山事務所前と康楽館前の2つのバス停がある。
9時55分に大館行きのバスが来て、10時08分に花輪行きのバスが来る。

こちらは花輪行きに乗って十和田南駅を目指す。
大館行きは親会社の国際興業カラーであったが、花輪行きは昔ながらの秋北バスカラーであった。

程なくして毛馬内・・・というか十和田南に到着。
十和田南駅のバス乗り場は、駅から雨に濡れないように行くことができる。
この構造は前に行った山陽本線の大畠駅もそうだった。
決死モデル:トルソーさん霧島

国鉄バスとしての十和田南線は、昭和10年に十和田湖へのアクセス手段として毛馬内〜休屋が開業したことに始まる。
そして毛馬内が十和田南に改称したのは昭和32年のこととなる。

この頃は、この国鉄バスのバス停を小坂行きの秋北自動車が使うなんてできただろうか。
当時の国鉄は、地方ではかなり威張っていたとも聞く。

その十和田南駅も今では委託駅であり、日中しか駅員はいない。
鷹ノ巣までの切符を買うと、「たがのす」と低い平板の発音で駅員は聞き返した。

まず十和田南に入ったのは、大館からの盛岡行きであった。
そして次に来たのが、鹿角花輪からの大館行きで、向こうのホームに停車した。

駅舎とホームの間にはかなり間が空いている。
そこは庭のようになっていて、大湯環状列石を模した何かが置いてある。

そして11時08分、大館行きは発車。
座席はそこそこ埋まっている。

2両編成のキハ110は米代川を下るようにして花輪線を行く。
少し前であれば快速「よねしろ」が県都秋田を結んでいた。
現在では鹿角市から秋田に出るためには大館で乗り換えないといけない。
高速バスが走っているかといえば、秋田まで走っているものはなく、大館〜仙台の便なら1日2往復あるという状況のようである。

そして大館に到着。
大館の構内には貨車がひしめいている。
これこそが鉄道に元気な姿であると痛感させられる。
決死モデル:チームWBナギサヤ

同和鉱業は小坂鉱山での採掘を終了したが、現在は逆に大都市部での焼却灰をこの鉱山跡に持ち込んでいるのだという。
現在でも同和鉱業自体の輸送は終わっていないのだ。

大館は比内鶏の本場であるだけに、地鶏弁当を買う。
駅弁なんて高いのであまり買うことはないが、旅の情緒としていつまでも続いて欲しくはある。

そして701系の秋田行きに乗る。

大館から程なくして鷹ノ巣に到着。
同じ秋田県北で近いとは言っても、大館は比内郡で鷹巣は北秋田郡になる。
決死モデル:チームR小沢

ちなみにJRの駅は「鷹ノ巣」であるが、自治体名と内陸縦貫線の駅名は「鷹巣」となる。
このような例は全国いたるところにあり、一ノ関駅のあるところは一関市だし、三ノ宮駅がある所は三宮である。

その「鷹ノ巣駅」にも切符を回収する駅員はいない。
ちなみに大館駅も委託駅になっており、駅長はすでに東能代駅にしかいないのだという。
どこまで合理化してんの・・・

さて、ここからは秋田内陸縦貫鉄道に乗ることになる。

内陸縦貫線は秋田杉の林の中を走っていく。
これが阿仁合線の頃からの風景だったのだろう。

車内ではなんとWi-Fiが使えるのだという。
ただし10時から15時までではあるが、なかなか良いサービスではないか。

合川では列車交換のために3分停車する。
3分もあれば駅舎まで出て決死ぐらい可能である。
ということで1枚。
決死モデル:チームYジャスミン

そしてなおも列車は南下する。

そして列車は米内沢に到着。
米内沢も内陸縦貫線ではそれなりに大きい駅ではあるが交換設備は外されており棒線駅になっている。
決死モデル:トルソーさんアハメス

向こうには2〜3番線であったと思しきホームがあり、鉄建公団の情緒を醸し出している。
駅舎もおそらくは1950年代の建築ではないだろうか。
当時考えられていたであろう「近代化」の息吹すら感じさせられる。

棒線駅ではあるものの、森吉町の中心駅だけあって、切符売り場や売店も人がいる。
この米内沢の名物は、縄文時代の岩偶だそうで、笑っているような形になっているのが特徴的である。

その売店のおばちゃんが、「岩偶の絵描き歌を地元の小学生が作ったのでやってみてください」という。
せっかくなのでやってみることにした。

〽︎ひし形弁当 ありまして
黒豆2つ おいしそう
かもめが1羽 棒ひとつ
大きなしずくが おちてきた
木の枝4本 橋渡る
にっこり笑って はい 岩偶

読者諸氏も米内沢に行ったら是非挑戦ありたい。

さて、ここからバスに乗りたいが、米内沢駅前にあるバス停のポールにある時刻表には、どうも「沖田面」とも「ダム入口」とも書いていない。
もしかしてここではない?

そう思って道路に出てみると、もう1本バス停があった。
こちらには「鷹ノ巣駅」などと書いている。と言うことは逆方向。
つまり、もう1本バス停がなくてはいけないはずなのだが・・・

おそらくは、道路の向こう側にあるはずなのだが、どこを探しても無い。

もしかして・・・と思って立ち木をみると、たしかにその中に埋まっていたのだ。
これで分かるはずはない。
それとも地元民さえ分かればいいのか?
危なくバスに乗れないところだった。

来たバスは、秋北バスカラーではなく国際興業カラーだった。
米内沢営業所管内は国際興業カラー化が進んでいるのだろうか。

そしてこのバスは峠越えとなる。
上小阿仁村への交通は、合川からのバスと、米内沢からのバスがある。
地形的には、小阿仁川沿いの合川からのの方が合理的なのだが、道路としては秋田と大館を峠やトンネルで一直線に結ぶ国道285号線が米内沢も通っている。
米内沢からのバスは、その国道285号線を通って上小阿仁村を目指すのである。

さて、上小阿仁村といえば何があるかといえば言わずと知れた「上小阿仁村診療所」。
医者いじめの村として全国的に有名になった上小阿仁村唯一の医療機関となる。
決死モデル:チームY楼山

バス停としては村役場前で下車。
合川からのバスも米内沢からのバスも停車する。

上小阿仁村診療所は、来る医者来る医者が村人にいびられて辞めるのだという。
貧乏な村人の何倍も高級を貰っているからとか、反村長派だからだとか、色々説はあるようだが・・・

診療所は流石に日曜日の今日はやっていなかった。
個人医院よりは大きいと言う程度だがそこそこの大きさはあり、前庭には花壇が整備されている。
それが全国的に注目されているような陰湿な事件の舞台となっているのだ・・・
ムラ社会ではどうしてもそのような事件が発生するのだろうか。

医者というのはどうしても、村の中では「ヨソ者」になるわけで、どんなに高給で地位が高いといって、村の中でのカーストが上というわけではないだろう。むしろ高給だけに妬まれたりもするだろう。
上小阿仁村に限らず、人間社会のあるところ、カーストが発生して妬みが生まれるしかないのだろうか。
そうなるのが人間、いや社会をつくる全ての動物の本能だとしたら、自分はずっと社会など作らず1人でいたい。

・・・さて、自分で来たくて来た旅行であるとはいえ、話が嫌な方向に流れてしまうのは精神衛生上好ましくない。
その上小阿仁村はこの小沢田地区が中心となるようである。
役場もあれば道の駅もあり、物産館もある。
16時の帰りのバスまでちょっと時間を潰すことにするか・・・

道の駅の前の屋台では、味噌たんぽを売っている。
おばちゃんが「脚痛めてるのに来てくれたの」と言ってくれる。
まさか「噂の上小阿仁村診療所を見に来ました」とも言えずお茶を濁す。
決死モデル:チームWBラジエッタ

やっぱりこんな親切なおばちゃんも、このムラ社会を生きているのだろうか。

物産館に入ってみると「馬肉うどん」「馬肉定食」なんてのがある。
この辺りは馬肉でも有名なのだろうか。
注文してみると、今は昼と夕方の間で休みなのだという。
仕方がないので、タッパで売っている馬肉の味噌煮込みを頼むことにした。
本当は温めてもらえればよかったのだが・・・ まあいいか。

道の駅といい物産館といい、箱物は非常に充実しているのだが、いかんせん人の流動がないと、風通しが悪くなり諸々の問題が発生するということになるのだろうか。

さて、16時が近づいたので米内沢行きのバスに乗ることとしたい。
役場前の停留所は、ログハウス風の待合室に時計が付いているなど、ちょっとしたバス駅の面持ちすらある。

・・・と、16時05分を過ぎてもバスは来ない。
これはどうしたことだろうと思って改めて時刻表を見てみると、16時のバスというのは、平日しか来ないようなのだ。
つまり、ここから村外に出るバスは今日はもう無い。
どうする? 米内沢からの角館へ行く列車は16時52分発となる。

急いでタクシー会社に電話する。タクシー会社は米内沢にあるようだ。
祈るような気持ちでタクシーを待つ。
道の駅ではヤンキーっぽい中学生がこちらを見てニヤニヤ笑っている。お前らもそのうちに医者いじめに加担するのか・・・?

さて、幸運なことにタクシーは割とすぐに来た。
ところで、この上小阿仁村からだと、米内沢の駅の他に阿仁前田も近そうである。
「阿仁前田の方が近そうですかね?」
「お客さん、どちらへ行きますか?」
「角館です」
「じゃ前田の方が近いね」

それで行き先は阿仁前田とすることにした。
本当はバスで合川と米内沢の両方に寄れればよかったのだが、休日でそれが出来なかった。
しかしタクシーを使うことになったので、思いがけず阿仁前田にも寄ることが出来るようになった。
災い転じて福となすとはこのこと。

そう思っていたのは支払いの時までだった。

阿仁前田駅に到着し、いざ支払いの段になると・・・
〆めて4,110円なり。
昨日の小坂へ行く時よりまだ高い。欠損バーなら4杯ご馳走してあげられる。
まあ乗り遅れるよりいいか・・・
決死モデル:トルソーさんメア

阿仁前田駅は、合川や米内沢と違って近代的な駅舎であり、温泉も併設している。
タクシーが早く着いたので、時間に余裕があったので入ればよかったかもしれない。

ホームは交換可能駅で、対向式ホームとなっている。
ホームの向こうは製材所となっており、ヤマハの系列企業らしい。
ここで切り出された木がピアノになっているのだろう。

そして17時08分の角館行きに乗る。
ディーゼルカーの色はオレンジ。

阿仁合では10分停車するという。
であれば駅前に出て決死ぐらいできるかな?

・・・と、運転士の肉声でアナウンスされる。
角館かぐだで行ぎに乗られる方は阿仁合であがすろの列車にお乗り換え下さい」

何でだ・・・?
まあ仕方がないので乗り換えることにする。
決死モデル:チームWB小津麗

改めて角館行きは発車する。
いよいよこの旅も終わりが近づく。

そして角館に到着。
駅の広告類は英語・中国語・韓国語・タイ語と外国人観光客にorientedしていることが見て取れる。
就中なかんずく台湾に対しては「東日本大震災の時の厚情に感謝申し上げます」という謝辞まで載せている。
決死モデル:チームPさくら

今でこそ大仙市と北秋田市を結ぶ鉄道、ということになっているが、平成元年の開業時は角館町と鷹巣町の間に「市」など一つも無かった。
そんな人口希薄な山間を走るローカル線は、海外からの観光客に活路を見出すことにしたのだろう。

夕飯時になったので、駅前のフォルクローロホテル併設のレストランで夕食。
きりたんぽ鍋があるわけでもなく、普通に地元豚の田舎焼。

そして「こまち42号」で帰ることにする。
乗った時点では車内はガラガラであった。秋田からの乗客なんてそんなもんか。

こちらはと言えば、明日もやることがあるので、今日載せれるブログは今日書いてしまいたい。

盛岡に就くと乗客が増えた。
そして仙台でさらに乗客が増える。
それでも、こちらには隣に人が来ることも無く、快適に乗ることができた。

そして大宮に到着。
大宮からは国電で帰途に就くことにしたい。
決死モデル:チームPユウリ

国鉄以来のホーロー看板も健在である。

さあ明日も明日で早朝からやることがあるぞ・・・

 

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