ジラード事件の翌年の昭和33年。
今度は埼玉のジョンソン基地(入間基地)で事件は発生した。
昭和33年9月7日、19歳の米兵が、ジョンソン基地の中を走る西武電車に向かって銃を撃ったところ、乗客が死亡したというのである。
撃った米兵の実名はすぐに公表された。
ピーター・E・ロングプリー航空三等兵 19歳
日本人であれば少年法のもとに氏名は伏せられたであろうが、19歳の米兵に対してそんな議論が起こった形跡は一切ない。
では、当時の報道を見てみたいと思う。
まずは朝日新聞から。
この年の8月には、東京の江戸川区で、小松川高校定時制の女子生徒が、やはり19歳の定時制生徒に殺された事件(小松川事件)が発生したが、この事件の余罪である賄婦殺しに関する記事も報道されている。
この頃は、まだ李珍宇という本名は報道されておらず「朝鮮人工員(十九)」という報道のされ方をしている。
ロングプリーと李珍宇は、同い年だったのだ。
朝日新聞では、ロングプリーの母キャサリンの、被害者の母への手紙も掲載されている。
曰く、
息子は遠い地で家族も愛する人もなく苦労しています。
彼は立派な人間で故意に人を傷つけることはありません。
どうか理解してください。
ちょっと日本人には理解しかねる文面である。
これがアメリカ人なんだろうか。
「可哀想な境遇だからイエローモンキー一匹殺したところで御同情下さい」って?
宮崎勤の事件で、被害女児の遺族に「今田勇子」の名前で送り付けた手紙を思い出した。あの手紙も「子供ができない私を御同情下さい」という体をなした、被害者遺族の感情を逆なでする手紙だった記憶がある。
ところで、なぜ冒頭の記事が熊本日日新聞なのか。
それは、被害に遭った武蔵野音大の学生が熊本県荒尾市出身であり、熊本日日新聞が連日にわたって報道を続けたからである。
熊本は被害者の郷里であるだけに、家族周りの報道記事が多くを占める。
前年のジラード事件の件もあって米軍側は恐縮し、遺族の熊本から東京への上京費用などを負担したのだという。
熊本から東京への移動は、急行「さつま」「霧島」の列車名が記事中に出てくる。
両列車とも荒尾には止まらないので、大牟田で普通列車に乗り換えていたようである。
結局、銃撃したロングプリーであるが、禁固10ヶ月が言い渡されたようである。
その頃のアメリカの報道でも「Shooting Accidental」として、一応報道はされたようである。
キャプションを読んで、以下のように訳してみたがいかがであろうか。
(9月8日)いわく「間違って撃った」--米空軍3等兵ピーター・E・ロングプリー(19歳 真ん中の人物。カリフォルニア州レークウッド出身)の、東京での記者会見前の写真。
ロングプリーは、東京から20マイル北西のジョンソン空軍基地で昨日発生した銃撃事件に関係している。日本の新聞は、一面トップで大々的に報道した。
記者会見では、(前年の)ウィリアム・ジラードの事件のような国際的な騒ぎに発展しないよう呼びかける努力をした。
ロングプリーは、電車に乗っていた若い日本人の音楽大学の学生を撃った事件はアクシデントであるといった。
ジラードと違って日本人妻がいるわけでもなく独身であり、その後どのようになったのかはどの資料を当たっても判然としない。
結局本国に戻されて不名誉除隊となり、カリフォルニアの田舎で暮らしただろうか。
銃撃のあった場所は西武池袋線武蔵藤沢~稲荷山公園間のジョンソン基地内、電車は3両目で右側の扉であったという。
(決死モデルはチームPペギー)
当時の西武であればどの車両であろうか。
この時期の鉄道写真の豊富なむ~さんあたりが持っていないだろうか・・・ と思って調べてみたら、やっぱりあった。
300系か・・・ この頃になると63型は姿を消していたであろうか。
また、ジョンソン基地は昭和53年(1978年)に完全返還され、現在は航空自衛隊入間基地となっている。
ただし基地内を電車が走っていることには変わりない。
ホームの東端からすぐ、入間基地を見渡すことができる。
立ち入り禁止看板も「入間基地隊員が出動し身柄を拘束されます」と物々しい。